『読書大全』をひらく③~利己主義という気概:エゴイズムを消極的に肯定する

 

2021年4月に、『読書大全』という本を出版しました。人類の歴史に残る名著300冊をピックアップして、その内の200冊について書評を書いたものです。この300冊を、「第1章 資本主義/経済/経営」「第2章 宗教/哲学/思想」「第3章 国家/政治/社会」「第4章 歴史/文明/人類」「第5章 自然/科学」「第6章 人生/教育/芸術」「第7章 日本論」の7つに分けています。

この連載では『読書大全』の中から、企業の持続可能性に関わるものをピックアップして解説していきます。

2008年の世界的な金融危機、いわゆるリーマンショックを契機に、アメリカ型の行き過ぎた資本主義に対する批判が高まっています。”Winner takes all”と言われる、勝ち組が全てを奪っていくような経済システムは根本的に誤っているのではないかとして、そこから今、利害関係者(ステークホルダー)全ての利益を幅広く考えるべきという「ステークホルダー資本主義」と呼ばれる発想が生まれてきています。

今回は、こうしたアメリカ型の資本主義の典型としての新自由主義がどこから生まれてきたのか、その源流について、アイン・ランド(1905年-1982年)の『利己主義という気概:エゴイズムを消極的に肯定する』(1964年)を題材に考えてみたいと思います。

利己主義という気概利己主義という気概
アイン・ランド(著)
藤森 かよこ(翻訳)
ビジネス社

 

恐らく、アイン・ランドという名前もその著作も知っている日本人はほとんどいないのではないでしょうか。ランドはアメリカの政治思想家で、ハイエクやフリードマンと並ぶ、自由至上主義(リバタリアニズム)の提唱者の一人です。

ユダヤ系ロシア人としてサンクト・ペテルブルクに生まれますが、ロシア革命後の1926年にアメリカに単身亡命し、生活苦と闘いながらハリウッドでシナリオ作家を目指します。1943年に発表した『水源』が注目を浴び、1957年に出版された『肩をすくめるアトラス』(米国会図書館調査「20世紀の米国で聖書の次に影響力を持った本」)によって名声を確立します。この2冊は、ランダムハウス調査「アメリカの一般読者が選ぶ20世紀の小説ベスト100」でそれぞれ第2位・第1位となっています。文芸評論やアカデミズムの世界ではほぼ無視されている一方で、右派政治運動やリバタリアニズムに対して強い影響を与え続けていて、アメリカの若者にとっての必読書です。

このように、日本ではほとんど知られていないにも関わらず、アメリカの保守層の中で圧倒的に支持され続けているランドの徹底した自由至上主義(リバタリアニズム)の全貌が、『利己主義という気概:エゴイズムを消極的に肯定する』において明らかにされています。

ランドは、理性を他のあらゆる人間的価値の上に置き、利己主義を支持して利他主義を拒絶しました。共産主義、国家主義、無政府主義のいずれにも反対し、最小国家主義と自由放任資本主義を個人の権利を守る唯一の社会システムだと信じ、「世界というのは人間の思惑とは関係なく存在する客観的な絶対物であり、理性だけが人間にとって唯一、その世界を認知し、対処し、生き抜く知識を獲得する手段である」とする「客観主義」という思想体系を創り上げました。

本書のタイトルにある「気概」とは、「美徳」の別訳で、ランドは「利己主義」は「美徳」であり、人間の正しい生き方であると説いています。神も国も共同体も信用せず、人間の理性と合理性だけを頼りに生き抜こうというランドの思想は、私たちが一般的に「利己主義」という言葉から連想する「自分勝手」というのとはかけ離れた、徹底的に人間の「生」を肯定し、追求する思想です。

ランドに言わせれば、利他主義というのは、他人のために自分の生を否定するように強制する、抑圧と死の思想なのです。利他主義者は自分自身を大切にしないから、他人を大切にすることもできない。自分の人生のかけがえのなさに鈍感であれば、他人の人生のかけがえのなさにも鈍感であり、他人の人生を平気で蹂躙しかねません。ランドが祝福する善とは、「とことん生き延びること」であり、弾劾する悪とは、「生きているのに死んでいること」なのです。

こうした過激な思想の背景には、ソ連における共産主義、ユダヤ人差別、ナチスによる全体主義とホロコーストに対する強い反発がありました。つまり、ランドは、世の中が利己主義者ばかりであれば、決して戦争は起きないと信じたのです。

従って、その論理的帰結として、人種差別を強く糾弾し、個に対して「人種」というレッテルを貼り、個の特性を無視した扱いや差別を加える人種差別主義者を徹底的に批判しています。また、利他主義を批判するといっても、主体である個人が自らの意志で自己犠牲することは理にかなっていると考えました。

このように、島国に住む私たち日本人が「三方好し」と言うのとは全く異なった、厳しい生を生き抜くための思想が、アメリカ経済の源流にあるということは、是非とも理解しておいて下さい。

 

著者

株式会社ボルテックス 100年企業戦略研究所 所長堀内 勉

多摩大学社会的投資研究所教授・副所長
東京大学法学部卒業、ハーバード大学法律大学院修士課程修了、Institute for Strategic Leadership(ISL)修了、東京大学 Executive Management Program(EMP)修了。日本興業銀行、ゴールドマンサックス証券、森ビル・インベストメントマネジメント社長を経て、2015年まで森ビル取締役専務執行役員CFO。田村学園理事・評議員、麻布学園評議員、社会変革推進財団評議員、立命館大学稲盛経営哲学研究センター「人の資本主義」研究プロジェクト・ステアリングコミッティー委員、日本CFO協会主任研究委員 他。
2020年7月、株式会社ボルテックス100年企業戦略研究所所長に就任。
ライフワークは資本主義とソーシャルファイナンスの研究。趣味は料理、ワイン、アート鑑賞、工芸品収集と読書。読書のジャンルは経済から哲学・思想、歴史、科学、芸術、料理まで多岐にわたり、東洋経済などで複数の書評を連載している。著書に、『コーポレートファイナンス実践講座』(中央経済社)、『ファイナンスの哲学』(ダイヤモンド社)、『資本主義はどこに向かうのか』(日本評論社)、『読書大全 世界のビジネスリーダーが読んでいる経済・哲学・歴史・科学200冊』(日経BP)