創業1444年、変わることのない恩義とは ~飛鳥時代からはるか続く宮大工集団の理念~

およそ1450年もの間、社寺建築の分野で宮大工のすぐれた建築技法を受け継いできた金剛組は、世界一の長寿企業として知られています。危機に見舞われるたび、それを力強く克服してきた秘訣はどこにあるのでしょうか。代表取締役社長の多田俊彦氏にお話を伺いました。

明治維新でも断絶しなかった四天王寺との深い縁

自分の代で会社を潰してはならない——。

先人の苦労や努力を思うとき、2代目や3代目でも、事業を承継した経営者なら誰しもそう気持ちを引き締めるのではないでしょうか。まして、それが「世界最古の会社」ならば、その重圧はどれほど大きなものでしょう。

「西暦578年、四天王寺様の創建に際して、聖徳太子のお声がかりでスタートした会社です。その歴史はもはや現代の私たちには想像もおよびません。社長を継いで以来、とにかく20年後、30年後のために、今、私がやるべきことは何か。このことだけを考えてきたように思います」

2020年、副社長から社長に昇任した多田俊彦氏は、そう話します。

これまで、およそ1450年にわたって同社を受け継いできた歴代の経営者たちも同じ思いだったでしょう。しかしながら、長い歴史の中では想像もし得ないことが次々と起こります。社会構造の変化や自然災害、戦争など、会社の存続を脅かす危機、これらは繰り返し訪れました。それでも同社が淘汰の波をまぬかれてきた最大の要因は、多くの寺領を持ち、天皇をはじめとする有力者たちの崇敬を集めてきた四天王寺による手厚い庇護でした。四天王寺の普請を一手に担う大工は「正大工」と呼ばれ、金剛家の当主にのみ与えられた特別な役職名で、いわば「お抱え大工」として高度な建築技術を伝承してきました。

ところが、明治維新が起き状況は一変。寺領という経済基盤を失った上、廃仏毀釈運動が全国に広がり、四天王寺も存続の危機に直面します。それにともなって同社も安定的な立場を失い、四天王寺以外の寺社にも顧客を開拓していくことになりました。

「当時、四天王寺様から頂戴していた禄が打ち切られてしまい、自分たちで食いぶちを確保しなければならなくなりました。もっとも、それで四天王寺様とのご縁が切れたわけでありません。現在も金剛家の当主が『正大工』職を拝命しています。その頃の当主はたくさんの宮大工を抱えながら、経営者としてずいぶん苦労したようです」

宮大工の技術をコアとして、社寺にソリューションを提供する

その後も、昭和恐慌や第二次世界大戦、オイルショック、バブル崩壊といった歴史的な難局をたびたび切り抜けてきましたが、2000年代、ついに最大の危機に直面します。社寺建築で培った技術力を活かし、一般建築に進出して事業の拡大を志向したものの、深刻な業績不振に陥って多額の負債を抱え、倒産寸前まで追い込まれたのです。やがて、髙松建設の支援によって2006年に窮地を脱すると、以降は一般建築から撤退し、社寺建築の専業に回帰しました。

「私どもは社寺建築で技術を受け継いできたわけですから、やはり原点に立ち返って、最も得意とする分野で勝負していくべきだという判断をしました。ただ、一般建築への進出が誤った経営判断であったのかといえば、あくまで私の個人的な見解ですが、それは結果論ではないかと考えています。もちろん、もっと早い段階で出血を止めるべきではあっただろうと思いますが、収益を安定させるために事業の拡大をめざすのは立派な選択肢の一つです。当時、その立場にいたら、私も同じ道を選んでいたかもしれません。残念ながら、よい結果にはつながらなかったものの、従業員の生活と会社を守るため、先輩たちが必死に力を尽くしていたことは心に留めておくべきだと思います」

再建後の同社がめざす「原点回帰」とは、当然、後退的な懐古主義ではありません。多田氏が社長就任以来、将来像を描く同社の在り方は、宮大工の伝統的な建築技法をコアとするソリューション提供型の組織です。

その実現に向けて、多田氏は従来、部署ごとに構築されていた顧客データベースを整備して一元管理し、社内で顧客情報を共有できる体制づくりを進めました。いわゆるCRMの導入により、顧客である寺院や神社、宗教法人の「お抱え大工」としてきめこまやかな対応に努めていこうというわけです。

「檀家や氏子といった伝統的なコミュニティが崩れていく中で、お寺様や神社様にとっても、今後はますます厳しい環境が予想されています。そのような中で「困ったら金剛組に相談しよう」と思っていただけるような、身近な存在でありたいと願っています。何十年、何百年に一度の大規模な工事しかやらないのではなく、われわれはご要望さえあれば、ちょっとした建具の不具合でも修理に飛んでいきます」

なぜ、日本は世界有数の長寿企業大国なのか

一方、同社の仕事を担う約100名の宮大工たちも高齢化してきています。多田氏は、後継者の育成と技術の伝承を喫緊の課題と位置づけて、2021年には「匠育成塾」を発足させました。2022年は5名が入塾する予定であり、6カ月間の研修を経て、次世代の宮大工となることが期待されています。また、宮大工の技術力を維持する狙いもあって、文化財に指定された歴史的建造物の修築工事も積極的に受注しています。

「時代の流れとともに、伝統的な慣習が悪弊に変わることがあります。歴史の長い組織ほど、前例がないことへの挑戦を逡巡する気持ちも生じます。ですが、便利なものならば前例がなくても採用すればいいと考えています。変えるべきものは、大胆に変えるべきです。反面、絶対に変えてはならないものもあります。私どもの場合、それは四天王寺様、宮大工、そして金剛家に関わることだと考えています」

仮に、全売上に占める四天王寺の割合が減少したとしても、同社にとって格別な存在であることを忘れてはならない、と多田氏はいいます。また、宮大工のいない同社は、ただの「金剛工務店」でしかない、だからこそ宮大工を守るためにできることは惜しみません。そして多田氏は最後に、創業家の存在感も指摘します。

「ご承知のとおり、わが国は長寿企業大国で、いわゆる100年企業が3万社以上も存在するといわれます。世界最古とされる会社の内側から社会を眺めますと、その要因は日本の国民性や文化、培われた風土における歴史的な背景にあるのではないかと思います。それぞれの会社の努力はもちろんのことですが、ここを見逃してはならないと感じます。かつて王朝の交代を経験しなかっためずらしい国柄が、会社という共同体の在り方にも何らかの示唆を与えてきたのではないでしょうか。私どもにとって、金剛家は一種の象徴であり、じつに頼もしい存在であると実感しています」

お話を聞いた方

株式会社金剛組 代表取締役社長 多田 俊彦

1956年4月27日生まれ。1980年に中央大学を卒業後、㈱協和銀行(現㈱りそな銀行)入行。2005年髙松建設㈱へ入社し東京本店副本店長を経て、2016年に株式会社金剛組に入社。代表取締役副社長就任後、2020年4月1日に同社代表取締役社長に就任し、現在に至る。過去の当主や四天王寺様への恩義を忘れず、革新的なものを臆せず取り入れ、新しい金剛組の形を目指して挑戦を続けている。直近では宮大工の育成を掲げ、若手を長期的に育てていく体制基盤づくりにも取り組む。
▶金剛組ウェブサイト https://www.kongogumi.co.jp

 

[編集]株式会社ボルテックス100年企業戦略研究所
[企画・制作協力]東洋経済新報社ブランドスタジオ

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