「恩返し経済」を生み出す博物館経営 ~苦しさを越えていく「好き」の強さ~

ブリキのおもちゃをはじめ、アートや骨董品など多様な分野のコレクターとして活動する北原照久氏は、コレクターであり続けながら、経営者としても巧みな手腕を発揮しています。ビジネスとして成立が難しいとされるミュージアム業を成功に導くことができたのはなぜなのか。その極意をお尋ねしました。

おもちゃを核にしたビジネス

ブリキ、セルロイド、ソフトビニール、超合金、ミニカー、からくり人形。多種多様なメイドインジャパンのおもちゃをはじめ、映画ポスターや看板など、歴史的に価値のあるアイテムのコレクターとして世界的に知られているのが北原照久氏です。

おもちゃを手にすると北原さんは背景にあるストーリーを楽しげに語ります。手に入れたきっかけ、個性、つくられた時代。よどみなく話が広がっていくのは、コレクションの一つひとつが北原氏の「琴線に触れたもの」だからです。

世間的に評価が高くても、自分がわくわくとした気持ちにならなければ意味がない。そう明言する北原氏はおもちゃコレクターの第一人者であると同時に第一級の事業家でもあります。横浜山手にあるブリキのおもちゃ博物館をはじめ、全国に5つの博物館などで常設展示をし、百貨店やショッピングセンターの文化催事、博物館・美術館の企画展、企業のショールーム、ギャラリー展示などの企画を手がけ、おもちゃを核にしたビジネスを確立させてきました。

自分の感性に従い、ひとえに「好き」を貫いてきた北原氏のコレクション第1号は1968年にさかのぼります。

「実家の近くで粗大ゴミとして捨てられていた柱時計を見つけたんです。その前に僕は1年間オーストリアにスキー留学をしていて、現地の人たちのライフスタイルに感銘を覚えていたんですね。祖父の代の時計やテーブルを大事に使い、好きなものに囲まれて暮らす彼らを見て、これが本当の豊かさなんだと感じました。柱時計を見たとき、ヨーロッパだったら絶対に捨てられていないなと思って拾い上げ、油を差してみたらちゃんと動き出したんです。感動でしたね。それが時計やラジオなど古いものを集めるきっかけになりました」

当時拾い上げた柱時計

100の苦しみ、101の喜び

その後、コレクションの範囲は着々と広がっていきました。映画のポスター、看板、広告、現代アート、そしておもちゃ。中でも北原氏を魅了したのが、薄い鉄板に錫(すず)をメッキしたブリキを使ったおもちゃです。鉄板をプレスして型を抜き、いくつものパーツを組み合わせてつくられる精巧なブリキのおもちゃは細やかな手作業なくしては形になりません。経年変化もほかにはない魅力のひとつです。

「鉛の含有量によって違いますが、時間が経つと退色して、鈍色に変化するんですね。鮮やかだった色が落ち着いていく。だから、インテリアとして部屋に飾るとすごく雰囲気が出るんですよ。ブリキのおもちゃの魅力に取りつかれたのは、あるアートディレクターの部屋の写真が掲載された雑誌を見たことがきっかけでした。ブリキのおもちゃが部屋一面に飾られていて、その光景に一目ぼれしたんです。いてもたってもいられず、彼を雑誌社から紹介してもらって会いに行きました。すぐに意気投合し、それからは2人で都内の玩具屋や問屋を訪ね回りました」

「これだ」と思えば、迷わず行動に移す。北原氏の嗅覚の鋭さと抜群の行動力を物語るエピソードです。

しかし、気になるのはその軍資金です。北原氏はどのようにしてコレクションの原資を調達していたのでしょうか。

スキー留学から帰国した北原氏は実家のスキー専門店で働き、毎週のように客を募ってはスキーバスを運行していました。当時はスキーブームの真っただ中。バスツアーに同行し、現地でスキー教室を開催しては自ら教え、稼いだお金をすべてコレクションに費やしていたといいます。

「よく『100の苦しみ、101の喜び』といっていますが、当時は100働いて101の喜びのために頑張っていました。本当に働き詰めでしたが、好きな物に囲まれて生きていく幸せを知ってしまったので、1の喜びはどんなものにも代えがたいんですよ(笑)」

北原氏は37歳のときに独立し、必死で工面した1,500万円を元手にブリキのおもちゃ博物館を開きます。それから10年間、北原氏はまったく休みを取っていません。博物館を成功させるため、スキーや映画など大好きだった趣味はすべて絶ち、ビジネスに没頭しました。

「ただ、まったく苦ではなかったです。もともと熱しやすく冷めにくい性格ですし、仕事自体が楽しかった。継続は力といいますが、さらなる継続は宝となって時代や歴史までつくっていく。やがてコレクションが僕に恩返しをしてくれるようになりました」

鈍色に経年変化するコレクション①

鈍色に経年変化するコレクション②

プライスレスな価値が恩返しをしてくれた

コレクションによる北原氏への恩返し。そのひとつは写真集です。世界的にも高く評価されている北原氏のコレクションはアメリカやドイツなど海外で写真集として出版され、人気を博していきました。

「日本だと写真集の初版は3,000部程度ですが、アメリカでは初版6万部。最初聞いたときには、数字が間違っているんじゃないかと思いました(笑)。そのくらい、マーケットが桁違いに大きいのです。イベントにも頻繁に使われているのでリース料が入ってきますし、CMにも使われています。これはコレクションが僕にくれる恩返しのようなものだと思っています。ケインズの理論にもあるように、お金は流すから入ってくるんです」

北原氏のコレクションが注目され、多彩な場面で活用されているのは、20世紀の日本を知る貴重な手がかりとして歴史を雄弁に物語っているからです。このプライスレスな価値こそが、恩に報いるかのように北原氏に収益をもたらし、事業を起動に乗せてきた原動力。「好き」をとことん追求したコレクション自体が有効な経営戦略として機能したのです。しかし、この間にひとつも失敗がなかったわけではありません。

「かつて、おもちゃ博物館は札幌や博多などにも開いていましたが、撤退しました。見切り千両というか引き際の決断が大事。でも失敗にはちゃんと意味があるんですよ。僕は失敗の蓄積が名人をつくるのだと思っています」

新型コロナの感染拡大によって、北原氏の事業も甚大な影響を受けています。博物館をオープンしてから初めて、2カ月もの休業を余儀なくされました。しかし、北原氏は前向きです。

「空いた時間を生かして、倉庫にある7,000枚のレコードの整理整頓に励みました。時間は過ぎるものではなく使うもの。それに、チャンスはピンチの顔をしてやってきますからね。厳しいときこそチャンスです」

1,200坪の倉庫には、博物館やイベント、写真集にも登場したことがないコレクションが多数眠っています。これらを最大限に活用し、これまでのスケールを大幅に上回るメガミュージアムを開くことが北原氏の次なる戦略。「好き」を軸にしたフル回転の日々はさらに勢いを増しそうです。

 

お話を聞いた方

株式会社トーイズ 代表取締役 北原 照久

1948年東京都生まれ。ブリキのおもちゃコレクター第一人者として世界的に知られ、サザビーズやクリスティーズのオークションカタログにも名前が載るほどの権威を持つ。1986年4月、横浜山手に「ブリキのおもちゃ博物館」を開館。2003年11月より6年間、フロリダディズニーワールドにて「Tin Toy Stories Made in Japan」のイベントを開催。テレビ東京「開運!なんでも鑑定団」のレギュラー鑑定士としても活躍。ラジオ、CM、各地での講演会等でも活躍中。

 

[編集]株式会社ボルテックス100年企業戦略研究所
[企画・制作協力]東洋経済新報社ブランドスタジオ

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