100年企業の本質をつらぬいた戦略
~愛用者の期待に気づき、唯一無二の価値を掘り起こす~
目次
「ゴホン!といえば龍角散」。この有名なキャッチコピーで知られる龍角散は150年余もの歴史を持つ企業です。一時は経営危機に直面しながら、見事にV字回復を果たし、のどの専門メーカーとして卓越した存在感を放っている同社の強さはどこにあるのでしょう。事業を長く営んでいくためにはいったい何が必要なのか、同社社長の藤井隆太氏に伺いました。
赤字体質の会社がV字回復
長い歴史と高い知名度を誇り、今も人々に愛され続けているブランド。龍角散は間違いなくそうした息の長いブランドの一つです。蘭学の知識を漢方に取り入れ、江戸中期に誕生した家伝薬は1871年に「龍角散」の名前で一般向けに販売がスタート。それから約150年を経た今も「龍角散」はのど専門の強いブランドであり続けています。
しかし、約30年前は主力製品の「龍角散」の売上減少が止まらないばかりか、新製品を出してもヒットには至らず、業績低迷にあえぎ、効果的な打開策を見い出せずにいました。売上40億円にして赤字額40億円。青息吐息の会社をV字回復へと導いたのが、8代目にあたる現社長の藤井隆太氏です。音楽家の道を歩みながら10年間のサラリーマン経験も経て、先代の病気を機に1995年に家業を継いだ藤井氏は当時をこう振り返ります。
「率直に言えば、世の中に必要とされていない会社でした。社員は高齢化して人件費は上がる一方なのに、主力製品の売上は落ち込み続け、高額な漢方製品も健康食品も新製品もうまくいかない。工場も老朽化していました。財務も『ありえない』状況でしたが、他力本願で仕事をしていて、厳しさのかけらもなかったですね」
これでは再建は難しい。もはや会社を畳むしか道はない。できるだけ周囲に迷惑をかけずに会社を解散させる方法を模索していた藤井氏の心を変えたのは、奥様の言葉でした。「ここまで来られたのもご先祖様のおかげ。取引先や社員、愛用者にご恩返しをする道を探してみてはどうか」。この言葉を聞いて藤井氏は考えを改めます。会社解散はある程度借金を返してからでも遅くない。迷惑をかけない程度までなんとか踏みとどまってみてもいいのではないか。ここから龍角散の復活劇が始まりました。
藤井氏がまず着手したのは龍角散の愛用者のリサーチです。
「売上が落ちているとはいえ、愛用者はたくさんいました。どうして売れないのかとダメな理由を探るより、売れている理由を突き止めてビジネスのタネを探ろうと考えたんです」
家業に戻る前、藤井氏はプロの音楽家として活動していました。いかに自分のよいところを活かし存在意義を見出して自分なりに音楽を表現していくか。音楽家としてのアプローチを藤井氏はビジネスに応用しました。
まだインターネットが普及していない時代。藤井氏は返信用のはがきを付けて愛用者にアンケートを試み、グループインタビューを実施します。そこから浮き上がってきたのは顧客のロイヤリティの高さと龍角散ブランドの比類のないポテンシャルでした。
「通常、無料の返信はがきのレスポンス率は数%程度ですが、景品を何もつけていないにもかかわらず2桁に達しました。龍角散でなければダメだという熱心なファンが多く、思い入れの強さが伝わってきました。そうか、龍角散は世の中から必要とされているんだと実感しました」
ファンに継続を熱望されるブランドはおいそれと実現できるものではありません。容易には手に入れられない強いブランドがここにある――。活路を見出した藤井氏は大英断を下しました。
徹底した「選択と集中」を敢行
藤井氏が選んだ道とは徹底した「選択と集中」です。龍角散ブランドだけを追求することを決め、当時苦戦していた新規事業や新製品を止めるばかりか、発売40年以上のロングセラーで主力製品の一つであった、のど薬「クララ」まで廃止を決めました。
その代わり、「龍角散ダイレクトスティック」の開発に力を注ぎます。持ち運びやすい手軽な顆粒タイプの薬として人気を博し、のど飴や服薬ゼリーなどの需要も伸びた結果、同社の売上を40億円から150億円へと引き上げました。
「龍角散ダイレクトスティック」の画期的な点は商品の剤形や携帯性だけではありません。龍角散はそれまで売上が冬場に偏っていたため、同商品の発売にあたってはさまざまな用途をアピールしました。春先の花粉のシーズン、PM2.5対策、声がかれたとき。のどの異物排出を促進するという機能を訴求することで利用シーンを冬場から通年へと広げたのです。
2011年には、特殊製法でハーブを丸ごと使用した「龍角散のハーブパウダー」と厳選素材のハーブエキスを配合した「龍角散ののどすっきり飴」を新たに投入しました。のど飴市場は競争が激しい世界です。しかし、強豪ひしめくこの市場において同商品は発売から3年でトップシェアを獲得しました。
成功のキーワードはセルフメディケーションです。「龍角散ののどすっきり飴」は単なるのど飴ではありません。独自製法の「龍角散のハーブパウダー」を内包し、のど専門の医薬品メーカーがつくったのど飴です。龍角散の確かな技術や信頼性が高く評価されたのです。
同商品のヒットには積極的な販促や販路開拓戦略も奏功しました。藤井氏は当時の年間広告予算3億円を一気に倍増させ、さらに自ら営業の前線に立って全国の問屋を走り回り、当時、台頭していたドラッグストアの開拓に成功しました。「龍角散ダイレクトスティック」同様、利用シーンの訴求にも力を入れています。
「釣りの雑誌に広告を入れていますが、これは『船酔いに、龍角散ののどすっきり飴がいい』という口コミが多数あったことによるものです。通常の船酔いの薬を飲むと眠くなりますが、のど飴なら釣りを続けられる。そこで、『揺れるのどにも龍角散』とうたっています(笑)」
消費者のライフスタイルや流通の変化を巧みに捉え、ちょっとしたシーンも見逃さず、用途を積極的に提案した「龍角散ののどすっきり飴」。大ヒットはこうした戦略の賜物です。
のど専門メーカーならではの活動が社会に貢献
龍角散ブランドの強さを知る上では、世界初のゼリー状オブラート「らくらく服薬ゼリーシリーズ」も欠かすことができません。
人間は固形と液体を一緒に飲み込むことが苦手です。そのため嚥下機能が低下した高齢者の多くは薬をすりつぶし、食べ物と混ぜて服用しています。しかし、これでは薬の機能が損なわれるだけではなく、食の楽しみまで奪われてしまいます。高齢者のQOL(クオリティ・オブ・ライフ)に関わる切実な問題をなんとか解決できないものか。この問題意識から開発がスタートしたのが「らくらく服薬ゼリーシリーズ」です。
「服薬ゼリーの実現には適度な固さと流動性が必要ですが、当社の技術ならできると確信していました。完成して介護施設に持っていったところ、1週間も経たないうちに『食事も摂れて薬もゼリーで飲めるようになった』『QOLが高くなった』と評価していただき、今では小児科や一般の病院からも注文を承っております。それでも売上は13億円程度。そう大きな規模は望めませんが、社会貢献の一環でもあると感じています」
のど専門メーカーならではの商品開発と社会貢献活動はブランドイメージの向上につながり、同じのど関連商品を買うなら龍角散にしようという消費者の行動を促していくはずです。
最後に藤井氏に100年企業を目指す企業へのメッセージをお聞きしました。
「世の中に役に立つ企業であれば必ず生き続けていけるでしょう。この会社がなくなると困る。そう言ってもらえる企業であることが長く事業を続けていける秘訣かもしれません」
世の中に必要とされる会社、顧客に求められ、唯一無二の価値を提供できる会社。そうした会社こそが100年企業の本質である。そのことを龍角散は力強く体現しています。
お話を聞いた方
藤井 隆太 氏ふじい りゅうた
株式会社龍角散 代表取締役社長
1959年、東京都生まれ。桐朋学園大学音楽学部演奏学科卒業。フランス・パリ・エコール・ノルマル音楽院留学後、桐朋学園大学音楽学部研究科修了。小林製薬、三菱化成工業(現・三菱ケミカル)を経て、94年龍角散入社。95年8代目代表取締役社長に就任。
[編集] 一般社団法人100年企業戦略研究所
[企画・制作協力]東洋経済新報社ブランドスタジオ