創業130年の老舗の灯は消さない
~名門鈴木バイオリンの復活に賭ける5代目社長の挑戦~

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明治20年(1887)に創業、2年後のパリ万博で銅賞を受賞するなど高い評価を得た鈴木バイオリン製造(以下、鈴木バイオリン)。最盛期は毎日500本のバイオリンを生産、輸出し、年間10万本を数えたといわれます。しかし2010年代の後半には経営難により存続すら危ぶまれる事態に陥りました。そんな中、2019年11月、初めて鈴木家以外から代表取締役社長に就任した小野田祐真氏が新たなビジョンの下で経営再建に奔走し、4年間の取り組みを経て新たな歴史を歩み始めています。

偶然知った日本の老舗企業の苦境

小野田氏は音楽業界や楽器製造業界出身ではありません。トヨタ系列、外資企業で経理財務や財務戦略のエキスパートとしてキャリアを積み、最近ではドイツを拠点にM&Aなどの分野で活躍していました。ある日、知り合いの弁護士から企業再生の案件として1枚のペーパーを示されました。当時まだ企業名は伏せられていましたが、世界的に有名な日本の老舗企業の経営が非常に苦しい状況にある、という内容でした。プライベートでは3歳の時からバイオリンを習い、現在もバイオリニストとしても活躍している小野田氏は、「これは『鈴木バイオリン製造』なのでは?」と直感しました。

「私が幼少の頃に弾いていたのも鈴木バイオリンでした。創業者、鈴木政吉の卓越した技術と情熱、三男の鎮一が創始した『スズキ・メソード』と呼ばれる独自の教育プログラムなど、バイオリンを弾く人でスズキの名を知らない人はいません。今も国産の教育用バイオリン製造メーカーとしては国内トップシェアを誇ります。一度は世界の頂点にも立った企業であり、この伝統の灯を消してはいけないと思いました」

小野田氏は外資企業での仕事を続けながら定期的に鈴木バイオリンを訪ね、経営状況をつぶさに調べたり職人さんと話をしたりして情報を集めていきました。

「たしかに経営は危機的でした。近年は生産の納期が守れず、その影響で代金回収ができないために支払いもあちこちで滞っていました。ところがそんな状態でも注文は絶えず、私が初めて訪ねた時にも受注残が100本以上あったのです。これには驚きました。つまりブランド力はあるし、製品への信頼も落ちていない。高い技術を持った職人さんたちも会社に残っていました。経営不振の理由は商品の質ではない。体制を見直して、生産をもう一度軌道に乗せれば、復活できるチャンスが必ずあると思いました」

小野田氏は自ら出資して株主となり代表取締役社長に就任、再建を一手に引き受けることにしました。

仕入れを立て直し、品番も思い切って整理

なぜ生産がうまくいかないのか。社内の実態を分析して見えてきたのが仕入れた部品自体の問題でした。バイオリンは多くの材料と部品から成り立っています。1つでも欠ければ完成品になりません。ところが、国内外から仕入れた部品の中には、必要な規格を満たしていない不良品が多く混ざっていたのです。

仕入れ部門の立て直しが最優先だと感じた小野田氏は、国内はもちろん自ら海外の仕入れ先も訪問して信頼関係を再構築し、新たな仕入れ先の開拓も進めました。名刺にはあえて「仕入担当責任者」と明記したそうです。

「細かい規格や必要な性能など、私ではわからない細部の要件もあるため、時には職人さんにも同行してもらいました。その間は生産がストップすることになりますが、とにかくこの問題解決が最優先だと思って取り組みました」

さらに小野田氏が取り組んだのが品番の削減です。従来はバイオリンだけで15種類ありましたが、似ている品番の違いを社内でも答えられない人がいるほど、その差異はわずかでした。

「明らかに細分化しすぎていたと思います。なので、鈴木バイオリン独自の音色や美しい芸術性が伝わり、付加価値を高くできる楽器として半分程度の品番数に絞りました。長年その品番を愛用してくださっている方もいるので廃番の決断は簡単ではありませんでしたが、私自身が実際に弾いてみたりもしながら、実行に移しました」

小野田氏は他にも、社内人事体制にもメスを入れ、新たに若手の職人を製造責任者に抜擢するなど人事面の改革も行いました。

市と共に「バイオリンによるまちづくり」を推進

経営の立て直しに加えて、小野田氏が力を入れてきたことがあります。現在、本社を置いている愛知県大府(おおぶ)市では「バイオリンの里」構想と題したまちづくりが進められていて、それと歩調を合わせた形での新たな企業ブランディングです。2020年2月、小野田氏は大府市が開いた「レクチャーコンサート 鈴木政吉と鈴木鎮一親子の絆」をきっかけに大府市長と知り合い、以来、同市との連携を深めてきました。

「当時、本社工房は創業の地でもある名古屋市内にありましたが、戦前には大府市で工場を稼働していた経緯があります。世界的なバイオリニストである竹澤恭子さんや水野紗希さんも大府市出身で、市の広報大使を務めています。広報大使に2人もバイオリニストを擁するのは、全国で大府市だけでしょう。このような経緯から、大府市とは縁があると以前から感じていました。市長は、ふるさと納税の返礼品として鈴木バイオリンを取り扱ってくれませんかという私の提案にも、すぐに賛同してくださいました。こうした取り組みは、大府市の地域創生になるとともに、私たちがさらにまちに根付き、身近なバイオリンブランドとして認知してもらう機会にもなると考えています」

小野田氏は早速、大府市内で本社と工房にふさわしい物件を探し、本社移転費用の捻出のため2020年12月からクラウドファンディングも実施しました。目標額500万円に対して、それを大幅に上回る800万円強が1カ月余りで集まりました。2021年4月には社員一丸となり移転を完了。新本社・工房にはバイオリン教室も併設しており、子供からシニア層まで、すでに多くの生徒が通っています。

一方、大府市も鈴木バイオリン製造の本社が大府市に里帰りしたことに伴い、2022年度から本格的に「バイオリンの里」構想に着手。鈴木バイオリンから小学生サイズのバイオリン40丁を調達し、市内の全公立小学校でバイオリンの授業をスタートしました。また、竹澤恭子さんや水野紗季さんらによる小中学校訪問コンサートや市民向けの屋外コンサート、夜市での演奏パフォーマンスイベントも実施しています。鈴木バイオリンも新本社・工房への、学校や個人の親子連れによる見学を積極的に受け入れ、大府市と共にバイオリンの音色が響くまちづくりの一端を担っています。2024年7月には、鈴木バイオリンの本社工房がジブリパークの関連周遊施設に認定されたことを受け、施設内見学がセットになった製作体験プログラム(要予約)も実施しています。

「創業100年を超える老舗企業は、どうしても時代の変化に対応するスピードが遅くなりがちです。しかし今の社会の動きの中で、それは衰退を意味します。製品の見直しやさらなる改善、社内改革、人事改革は100年企業にこそ必要なことであり、その地道な積み重ねが100年を超えてさらに発展していくことにつながるのだと思います」

一連の改革を振り返って「何か特別な経営判断をしたわけではなく、とりあえず実行できることはすぐに決断し、走りながら改善を加えていくというスタイルでした。情理に流されずにただ夢中で没頭していただけです」と語る小野田氏。ただしその実行スピードは非常に速いものでした。わずか1年足らずで、苦境にあえぐ老舗の再建のきっかけをつくったのです。「まだまだ道半ば。これかも正念場は続きます。しかしこれまでの取り組みで、会社が進むべき道は見えています」と自信も覗かせます。

伝統とは過去の名声にとらわれることではなく、それを常にアップデートしていく中で今に受け継いでいくもの――鈴木バイオリンの再生への歩みはそのことをはっきりと示しています。

お話を聞いた方

小野田 祐真 氏(おのだ ゆうま)

鈴木バイオリン製造株式会社  代表取締役社長

1988年愛知県豊田市生まれ。大学で金融工学を専攻し卒業後、トヨタ系列や外資企業でM&Aや財務戦略に携わる。2019年、31歳の時に多額の債務を抱え倒産寸前だった「鈴木バイオリン製造」に入社し経営再建に着手。高品質でありながらも、リーズナブルで分かりやすい価格設定や海外展開など独自のブランド戦略によって事業再生を成し遂げた。3 歳からスズキ・メソードでバイオリンを始め、今も演奏家としてステージに立つ。

[編集] 一般社団法人100年企業戦略研究所
[企画・制作協力]東洋経済新報社ブランドスタジオ

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