「名菓ひよ子」の看板を受け継ぐ女性社長
〜いまも続く躍進の源は、従業員との信頼関係〜

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全国的に高い知名度を持つ「名菓ひよ子」は今年で112歳。「皆に楽しいおどろきと笑顔を届けたい」という思いから生まれた菓子は、基本を守りながらいまも進化を続けています。進化の担い手は4代目である、株式会社ひよ子代表取締役社長の石坂淳子氏。ひよ子の価値をさまざまな形で表現している石坂氏にお話を聞きました。

愛らしい表情とフォルムの銘菓

思わず笑みがこぼれる愛らしい表情、手で優しく包みたくなるフォルム。香ばしい皮、さらさらと舌ざわりのよい黄味餡――。全国各地に人気銘菓はたくさんありますが、名菓ひよ子の認知度と愛嬌は、その中でも間違いなくトップクラスのものでしょう。

このひよ子には味や形状以外に、他の人気菓子にはない特徴があります。それは、「福岡生まれなのか?」あるいは「東京生まれなのか?」という、ひよ子の由来についてファンを二分する論争があることです。

では、実際のひよ子の出生地はどちらなのでしょうか。この問いの正解は「両方」ともいえます。1897年、福岡県飯塚市で初代・石坂直吉氏が菓子舗「吉野堂」を創業。1912年に2代目・石坂茂氏がひよ子を考案、発売します。さらに、東海道新幹線が開通し東京五輪が開かれた1964年、3代目・石坂博和氏が埼玉県に工場を作り、東京に新会社「株式会社東京ひよ子」を設立。東京進出を果たします。高度経済成長による需要の高まりを見据えて、「名菓ひよ子を日本中の人に味わってもらいたい」という思いを実現しようとしたのです。

東京で販売するひよ子は、空気が乾燥しがちな土地柄を考慮し、ふわっと焼き上げられています。一方、盆地ゆえに湿度が高い福岡のひよ子は焼きがやや強め。気候条件に合わせて仕上がりを変えた丁寧な菓子作りだからこそ、福岡も東京も「自分たちの土地が生んだ銘菓だ」と誇りに思う熱いファンが多いのでしょう。

いまこそ「ひよ子」の原点にかえろう

地元だけにとどまらず積極果敢に東京へも進出し、「東京の銘菓」として根付かせる——。このような斬新な挑戦を実らせた進取の精神は、現社長の石坂淳子氏にも受け継がれています。

石坂氏は、1990年に本社内に開設した児童遊戯施設「ひよ子ランド」の企画運営の経験があったとはいえ、それまではずっと専業主婦として人生を歩んできました。社長に就任したのは、リーマンショック後の2009年。当時、同社は赤字に苦しむ危機的な経営状況で、「ひよ子」らしさは残しつつ、何をどのように変えれば業績を回復させることができるのだろうかと考える日々だったと振り返ります。現状打破をテーマに、石坂氏は膨大な数のビジネス書を読み込み、会社を客観的な目で見つめ直し、外部の力も借りながら再生5カ年計画を立てました。

「工場の効率化や店舗のスクラップ・アンド・ビルド、人員の整理などに着手しました。特に人の問題は難しいですから、話し合いの場を何度も設けて慎重に進めました。また、当時は朝生菓子をたくさん作っていたのですが、その商品点数も見直しました」 

石坂氏が最も目指したのは製造と販売の機能をスムーズにつなぐ新たな体制づくり。商品のクオリティを維持・向上してお客様の期待に応えつつも、適切な数量を生産・販売することでロスを減らし、利益を伸ばせるようにしたのです。

5カ年計画をスタートして1年後には早くも改善の成果が出て、赤字を解消。その上で、名菓ひよ子の生誕100周年を控え、石坂氏は改めて自社の強みについて考えを巡らせました。

「お客様が弊社に何を求めているかといえば、やはりひよ子なんですよね。オリジナルの愛らしいフォルムで温かさに満ちた名菓ひよ子は、人と人をつなぐコミュニケーションツールでもあると思うのです。説明をしなくても渡すだけで心が伝わる、それがひよ子の原点であり、それをより追求していくことが何より大切だと思いました」
 
こうして生まれたのが、2012年春から季節ごとに福岡で限定販売している「季(とき)ひよ子」シリーズです。最初に出したのは桜餡入りの「桜ひよ子」。さらに、夏は八女茶を用いた抹茶餡入りの「茶ひよ子」、秋は栗餡の「栗ひよ子」を投入しました。基本のレシピに旬の素材を融合し、季節感を演出した季ひよ子シリーズは大ヒットを記録。贈り物など、季節ごとのコミュニケーションに使ってもらえる商品としての新たな価値が生まれ、地域の皆様の間でもひよ子の魅力が再発見されました。

移動販売や米粉の菓子で新たな可能性を引き出す

「季ひよ子」の発売にあたって、石坂氏には迷いもありました。自分の感性に従って本当に企画を進めていいものか、オーソドックスな路線を続けたほうがいいのではないか。経営者が一つ判断を間違えば、その影響は多方面におよびます。自問自答していた石坂氏を最後に後押ししたのは、従業員たちの声でした。

「皆が私の企画を理解し、『やりましょうよ』と言ってくれたのです。そうした従業員たちの信頼と支えがあったからこそ、商品を世に出すことができました。ひよ子は、2代目がまだ14歳のときに『みんなに楽しいおどろきと笑顔を届けたい』という夢を形にしようと開発したものですが、『季ひよ子』の発売は、先代にも喜んでもらえる挑戦だったと思います」

会社の原点を守っていくだけでは、世の中の変化には対応できません。かといって、原点から外れてしまうとブランドの魅力を失ってしまいます。挑戦、実験、新機軸。新しい試みを重ねながら、ブランドの世界観を守っていくには、従業員との信頼関係が不可欠でした。

石坂氏が従業員たちとともに行った挑戦は他にも数多くあります。例えば、「季ひよ子」発売と同じ2012年に、福岡県糸島市に「ひよ子農園」を開園しました。

「3代目は『土に根ざしたものづくりは私たちの原点』とよく言っていました。とはいえ、現代でそうした機会を得ることはなかなか難しい。そこで農園を作り、自分たちで果物や野菜を育て、お菓子づくりに役立てるとともに、どなたでも土に触れ収穫体験ができるワークショップを開催しています」

また食文化を通じて、人々が健康で安心して過ごせる環境や社会づくりを支援する「一般社団法人ひよ子ゆめ育(なる)基金」を設立。
東日本大震災後からは、ひよ子ゆめ育基金として「ひよ子1個1円愛プロジェクト」を立ち上げ、今年発生した能登半島地震でも被災地支援活動を行っています。

また、名菓ひよ子創生100年記念事業の一環として、福岡市の繁華街である天神には「ひよ子ギャラリー天神」をオープン。絵画、デザイン、写真、書道などの作品展示のほか、講演会や上映会、イベントにも利用できる、街の文化発信地に位置付けています。2年に一度、女性の絵画作品を中心に、表現活動の支援を目的とした公募展「女性ゆめ育(なる)芸術祭」も開催しています。市民参加型の場を提供し、新しい才能の発掘にもつながるこうした活動は、老若男女の多くの人たちに愛される銘菓の会社ならではといえるのではないでしょうか。

本業についても、石坂氏はお菓子の製造販売のさらなる可能性を探っています。名菓ひよ子創生110年を迎えた2022年からは「幸せを運ぶ♪はっぴよカー」が稼働しています。福岡県内の大型ショッピングモールや道の駅などを周って、ひよ子などの主力商品や、冷凍の「博多ひなのやき」などの移動販売する車です。その車もひよ子の色と形を模しており、まさに「動くひよ子」。思わずSNSに投稿したくなる大胆なデザインを考案したのも、ほかならぬ石坂氏です。

「前からキッチンカーのアイデアはありましたが、どうせならひよこの形がいいと思いました(笑)。『博多ひなのやき』は回転焼き(今川焼き)のようなお菓子なんですが、このはっぴよカーではよく売れますね。あえて半解凍の状態で食べるのが好きとおっしゃるファンも多いです。私たちも、お客様から新しい食べ方を教えてもらっています」

今年2月には、お菓子を通じて健康で快適、安心した生活を応援する「ウエルネスひよ子プロジェクト」も立ち上げました。第1弾の、3大アレルゲン(卵、乳、小麦)フリーの「hiyone」シリーズでは、米粉を使ったクッキー、カップケーキ、食パンの3種類をラインナップしています。アレルギーをもつ方にもおいしさを届けたい、という思いから生まれた商品です。

「これから先も、ひよ子にできることはまだまだあるはずです。自分たちは『ひよ子』の価値をどれだけ引き出せているのか。常に自問しながら、可能性を広げて表現していきたいですね」

お話を聞いた方

石坂 淳子 氏(いしざか あつこ)

株式会社ひよ子代表取締役社長/株式会社東京ひよ子代表取締役社長

福岡県朝倉市出身。筑紫女学園短期大学国文科卒。1997年10月に株式会社吉野堂取締役に就任後、2002年8月に株式会社吉野堂および株式会社ひよ子監査役、同年11月の株式会社東京ひよ子監査役を経て、2006年11月から株式会社ひよ子および株式会社東京ひよ子常務取締役を歴任。2009年11月からグループ2社の社長。趣味は映画鑑賞。

[編集] 一般社団法人100年企業戦略研究所
[企画・制作協力]東洋経済新報社ブランドスタジオ

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