お客様の人生のストーリーを彩る存在でありたい
老舗がAI やパン食い競走に本気で取り組む理由
目次
※本記事は「Vコラム」に2024年8月29日に掲載された記事の転載です。
木村屋總本店の創業は明治2(1869)年。5年後には東京の一等地・銀座に店を構えます。翌年には「桜あんぱん」を明治天皇に献上し、その名を知らしめました。長年日本のパン食文化を牽引してきましたが、1990年以降、徐々に経営状況が悪化します。そのさなかに社長に就任した木村光伯氏の尽力によって、同社はV字回復を果たしますが、同時に大胆な改革はダメージももたらしました。進むべき方向の見つけ方や、伝統の味を継承するための取り組みについて、木村氏にお聞きしました。
創業時から揺るがない
新しいパン作りへの挑戦心
木村屋總本店の創業者・木村安兵衛は1874年、酒種を使用したあんぱんを考案し、日本人で初めてパン屋を開きました。日本人にまだなじみのなかったパンという食品を受け入れてもらいやすくする工夫が、酒饅頭(まんじゅう)をヒントにした酒種の使用でした。既存の文化と融合させて新しい価値をつくることは、このときから弊社に根付くものづくりの精神であり、今に至るまで継承されています。
1981年発売のロングセラー「むしケーキ」も、日中国交正常化後に伝わった中国の蒸しパンを参考に、洋菓子の技術を組み合わせたり、しょうゆを隠し味にしたりして生まれた、当時としては新しいジャンルの商品でした。
今年初旬には、NEC、ABEMAとともに開発した「恋AI(れんあい)パン」を発売しました。インターネットテレビの恋愛番組内での会話や日本語の曲の歌詞をAIで分析し、感情と味をひもづけ、「結ばれる両想(おも)い味」など5種類の「恋の味」を表現したものです。
「若者の恋愛をパンを通じて応援する」をコンセプトにした、この風変わりな挑戦の背景には、弊社のパンに親しみ、その記憶をお客様お一人お一人の人生のストーリーの中で受け継いでいただきたいという思いがあります。かつては、「母の好物でした」「家族みんなが好きな味です」などとお客様から言っていただくことがよくあり、2世代、3世代にわたってご家庭内で、木村屋のブランドと味が承継されていたように思います。
ただ、近年は核家族化、少子化が進み、世代間での情報共有が乏しくなりがちです。その一方で、同世代同士での情報共有については密な時代です。縦のつながりだけでなく横のつながりの中でも、木村屋のパンが生み出すストーリーを共有していただきたいと考えています。
それからもう一つ、新しい試みとして、元陸上競技選手の為末大さんらとタッグを組み、「日本パン食い競走協会」を立ち上げました。イベントを通じてあんぱんに親しんでいただくという狙いもありますが、この活動を日本全国に広げ、それぞれの地域のパン屋さんにご協力いただいたり、参加人数分のあんぱんをその地域のこども食堂に届けるといった目的が盛り込まれています。社会課題への参画のきっかけを提供するパッケージとして、徐々に発展させていきたい活動です。
代々の教えを基に経営理念を再定義
私は28歳のときに、7代目の社長に就任しました。当時、弊社は4期連続の赤字を出し、資金繰りにも窮する状態でした。いきなり重責を担うことになり戸惑いは大きかったですが、経営者の大先輩や弁護士の先生など多くの方にアドバイスをいただきながら、事業改革を進めました。銀座のお店、そして創業の地である日陰町(現在の新橋駅烏森口の近く)の土地を守る一方で、工場の再編やガバナンス整理の一環で、新宿や築地などにあったビルを手放す決断もしました。
業績は回復を果たしましたが、大胆な「外科手術」のあとには、反動がつきものです。組織の硬直化が起こり、私自身のモチベーションも低下する中で、「会社として目指すべき方向、よりどころを明確にする必要がある」と気づき、経営理念の再定義に着手しました。手がかりにしたのは、代々の経営者が残してくれた教えです。関東大震災と空襲で多くの文献が消失してしまったのですが、社内での「神話」として現場で語り継がれている言葉を集めました。
私の祖父である5代目の栄一は、「五つの幸福」「四大目標」を掲げていました。前者は、お客様の幸福、パートナーの幸福、従業員の幸福、会社の幸福、自分自身の幸福であり、後者は、最高製品、最高サービス、最高能率、最高賃金というものです。
面白いのは、もともとは「四つの幸福」だったのが途中で5つになったり、最初は最高製品、最高サービスの2つから始まったりしていたことです。このような時代に合わせて幸せや目標の枠を広げる姿勢は、将来に伝えていきたいと思いました。これらを参考に再定義した言葉が、「食で感動を繋(つな)ぎ、幸福の輪を広げる」です。現在は、全社員の行動指針として機能しています。
デジタル化が進んでも
あんこ包みは職人の手で
パン作りは非常に繊細な作業です。温度や湿度に応じて生地の発酵時間を変えなければなりませんし、小麦粉自体の酵素の力も、季節によって変化します。昔は職人の経験が頼りだった、暗黙知化されていた部分を定量的に把握し、形式知に置き換えられるようになり、味の再現性の精度は向上していると言えます。
ただしマニュアル化が進めば進むほど、それを見守る人間の感覚知を養うことが、極めて重要になってきます。また、軟らかいあんこを包むような繊細さが求められる作業は、銀座で販売するあんぱんはもちろん、スーパー・コンビニ向けのいわゆる「袋パン」でも、職人の手で行われています。
このスタンスを取り入れる際参考になったのが、「獺祭(だっさい)」で知られる旭酒造の現場を見学した際にお聞きした、桜井博志会長の言葉です。「オートメーション化で80点ぐらいの酒を安定的に造ることは簡単だが、99点の酒を造り続けるには、人の手がなくてはならない」とおっしゃるのです。実際、たくさんの樽の温度を一つひとつ丁寧に測る職人の姿を目にしました。
製造工程のデジタル化(数値化)によってより現実味を帯びたのが、本格的な海外展開の可能性です。あんぱんや菓子パンは日本で生まれた独自の文化であり、この文化をもっと世界に発信していきたいと考えています。気候や水質が違う土地でもお客様に最高品質を提供することができ、それぞれの土地の人たちにあんぱんの味と記憶を受け継いでいただくのが、一つの大きな目標です。
あんこの需要が減少しているそうですが、あんこは非常に魅力的な食材です。見せ方を変えたりアレンジの方法次第では、今までにない価値の創造や新たなニーズを生む可能性を秘めていると感じています。同様にパンの味やスタイルも、まさに無限大です。
そうした中で、いつもと同じことをやっているだけでは、新しい価値の存在に気づくこともつかみ取ることもできないでしょう。パン食い競走のイベントのような、パン作りだけにとどまらない社会と広くつながる活動を通して、多様な価値観、新しい情報を貪欲に取り入れていくことを欠かさず、多彩な商品を展開できる企業であり続けたいと思っています。
お話を聞いた方
木村 光伯 氏(きむら みつのり)
株式会社木村屋總本店 代表取締役社長
学習院大学経済学部卒業後、家業である木村屋總本店に入社。翌年米国カンザス州のAmericanInstitute of Baking(AIB)に留学、製パン技術ならびに安全衛生管理を習得。帰国後2006年より現職。グロービス経営大学院経営学修士(MBA)。
[編集]株式会社ボルテックス コーポレートコミュニケーション部
[制作協力]株式会社東洋経済新報社
※本記事は「Vコラム」に2024年8月29日に掲載された記事の転載です。元記事はこちら