全世界化した資本主義が向かう「3つのシナリオ」
現代の「知性」は資本主義の暴走を止められるか
目次
※本記事は「東洋経済オンライン」に2024年7月9日に掲載された記事の転載です。
資本主義の暴走にどう歯止めをかけるかは、いまや世界共通の問題意識となっている。この問題に早くから着目し「資本主義研究会」を主宰してきた堀内勉氏が、現代の「知性」が提唱するこれからの資本主義が向かう「3つのシナリオ」について解説する。
資本主義はどこに向かうのか
研究者と実務家で資本主義について共同研究する場として「資本主義研究会」を立ち上げたのが10年前のことで、これまで50回近い公開セミナー(「資本主義の教養学」公開講演会)を開催してきました。
この研究会は、渋沢栄一の玄孫(やしゃご)でコモンズ投信会長の渋澤健や東京大学東洋文化研究所所長の中島隆博など、学者・有識者の有志と始めたもので、現在では経済学者の宇沢弘文の長女で宇沢国際学館を主催している占部まりなど多くのメンバーが加わっています。
この研究会の成果の中間報告として2019年に『資本主義はどこに向かうのか』という本を出版しました。それからさらに5年の月日が経過しましたが、資本主義の加速はとどまるところを知らず、その弊害も看過できないレベルになっています。
足元では、岸田内閣の「新しい資本主義」や経済同友会の「共助資本主義」、アメリカの経済団体ビジネス・ラウンドテーブルの「ステークホルダー資本主義」に見られるように、どこかでこの資本主義の暴走に歯止めをかけなければ、あるいは軌道修正をしなければというのが世界共通の問題意識になっています。
そうした動きの全貌は、いつか1冊の本にまとめようと思っていますが、本稿では資本主義の未来をどう見るかについて考えてみたいと思います。
資本主義の先行きについては、大別して資本主義を前提にその中から考えるのか、あるいはその外をイメージするのかという2つに整理することができます。
前者は、現代社会における資本主義の限界を明確に認識したうえで、その内側から現状を変えていこうという、いわば修正資本主義的な考え方です。
カール・マルクスは、『資本論』において、資本主義は階級闘争によって内部崩壊を引き起こし、社会主義という新しいシステムへと移行するという唯物史観(史的唯物論)を示し、資本主義の未来そのものを否定しました。
しかしながら、ソヴィエト連邦や東ドイツを始めとする共産主義諸国の国家体制が崩壊して以降、現在の議論の多くは、資本主義という経済体制を前提に、それをどのように持続可能なものにしていくかという修正資本主義に収斂していると考えられます。
ケインズ経済学、新自由主義、SDGs
ここで経済の歴史について改めて確認することはしませんが、1929年の世界恐慌を契機に、経済は自律的に回復するという新古典派の経済理論は後退し、自由放任主義ではなく国家による介入・規制を重視するケインズ経済学が誕生します。
これに対して、1960年代に入ると、ケインズ的な経済政策は「大きな政府」を生み出し、財政破綻を招くという批判が噴出し、政府の規制や介入は極力排除し、市場原理を優先すべきであるとする新自由主義が登場しました。
これを実際の経済政策に反映させたのが、1980年代のアメリカのレーガノミクスやイギリスのサッチャリズムで、それ以降、世界経済の自由化と市場化が一気に進むことになります。
しかしながら、2008年のリーマンショックとそれに続く経済危機によって、世界は再び激震に襲われます。その中で浮かび上がってきたのが、資本主義がもたらす地球や社会の持続可能性の危機という問題です。地球環境を破壊し、経済格差を広げ、社会を不安定化していく今の資本主義の仕組みをどのように是正し、持続可能なものにしていくかは、世界が抱える大きな課題となっています。
こうした現状に対して、2015年、国連はグローバルな課題に取り組むためのSDGs(持続可能な開発目標)という17の目標を掲げ、2030年までに世界が抱えるすべての課題を解決するべく動き始めました。
国連の動きに先立つ形で、「人間の幸福」という視点から社会変革を進めようとしたのが宇沢弘文です。数理経済学で優れた業績を残して、「日本人でノーベル経済学賞に最も近い」と言われた宇沢ですが、シカゴ大学で同僚だった新自由主義のミルトン・フリードマンと激しく対立し、アメリカを去ることになりました。
同時に、マルクス主義や社会主義についても、計画経済が社会を不安定化し環境破壊につながること、そしてソ連の覇権主義や官僚体制が人間性を否定するものであることを厳しく批判しました。
「社会的共通資本」を構想
このように、宇沢は資本主義と社会主義の現実を比較し、資本主義という仕組みをスタートラインに据えたうえで、市場万能主義を排し、市場取引の対象にすべきでも国の管理下に置くべきでもない「社会的共通資本」というものを構想しました。
それは、「1つの国ないし特定の地域に住むすべての人々が、ゆたかな経済生活を営み、すぐれた文化を展開し、人間的に魅力ある社会を持続的、安定的に維持することを可能にするような社会的装置」です。
宇沢は以下の3つを、その具体的内容として挙げています。
①自然環境(山、森林、川、湖沼、湿地帯、海洋、水、土壌、大気)
②社会的インフラ(道路、橋、鉄道、上・下水道、電力・ガス)
③制度資本(教育、医療、金融、司法、文化)
こうした宇沢の経済学は、国連のSDGsの思想につながるものだと考えられます。
残念ながら宇沢の経済学に後継者はいませんでしたが、東京大学のゼミで彼の指導を受けた同大学名誉教授の岩井克人がその精神を引き継ぎ、『ヴェニスの商人の資本論』や『会社はだれのものか』など、多くの著作や講演で、資本主義に内在する不平等や経営倫理の問題を取り上げています。
また、アメリカで宇沢の薫陶を受けたコロンビア大学教授でノーベル経済学賞を受賞しているジョセフ・スティグリッツは、市場原理主義的な考えに異を唱え、『スティグリッツ Progressive Capitalism(プログレッシブ キャピタリズム)』の中で、大多数の国民が上位1%の富裕層から置き去りにされている現状を是正し、万人を幸福にするための「進歩的資本主義」というモデルを提示しています。
マルクスの研究成果は『資本論』にとどまらず、現在、彼の死後に残された膨大な著作、原稿、草稿、メモ、手紙などを整理するMEGA(Marx-Engels-Gesamtausgabe)プロジェクトが進行中ですが、宇沢にも大量の未整理の論文が残されています。
これらの整理は、宇沢国際学館を主催する占部氏と、市民講座で宇沢の講演を聴いたことをきっかけに数学から経済学に転身した帝京大学教授の小島寛之によって行われています。その他、ゲーム理論を専門とする大阪大学教授の安田洋祐が、宇沢経済学をもうひとつの研究テーマとして、市場がもたらす不均衡の問題に取り組んでいます。
こうした修正資本主義の動きに対し、それらは見せかけだけのポーズにすぎず、「SDGsは現代のアヘン」だとして、脱成長・脱資本主義を訴えているのが東京大学准教授の斎藤幸平です。フンボルト大学哲学科で博士を取得し、マルクス研究で最高峰のドイッチャー記念賞を歴代最年少の31歳で受賞した斎藤の『人新世の「資本論」』は55万部を超えるベストセラーとなり、世界中で翻訳され読まれています。
斎藤は、MEGAプロジェクトの日本人ただ一人の参加者であり、マルクス=ソ連型の共産主義というステレオタイプの理解を退け、マルクスが晩年に打ち込んだ循環型社会の実現可能性を探っています。
『コモンの「自治」論』に見られる斎藤が構想する社会は、コミュニティ(地域共同体)を中心とした「コミュニティ・イズム」と呼ぶべき人間中心のもので、宇沢の「社会的共通資本」や誰もが自由に利用でき、占有が許されない空間である「コモンズ」の概念に近いものです。したがって、私たちが連想するコミュニズム(共産主義)とは内容がかなり異なりますが、本人はこれを「コミュニズム」と呼んでいます。
自然発生的な「脱」市場経済の可能性
こうした斎藤の活動に対して、上述の安田が興味深い指摘をしています。安田自身は近代経済学の最先端を行く経済学者ですが、今の資本主義が完全であるとも市場メカニズムが完璧に機能しているとも考えていません。
その意味で修正資本主義の立場なのですが、市場の失敗に当たる部分については、物々交換市場などの新しいマーケットをデザインすることで、自然発生的に生まれた今の市場取引を補完するといった、ある意味で計画経済的な取引市場が作れるのではないかと考えています。
これは、斎藤が資本主義を否定する一方で、ソ連のような共産主義的な計画経済を志向するのではなく、コモンズ的な自然発生的な経済を市場経済に代わるものとして打ち出しているのとちょうど逆方向からのアプローチで、結果的に両者は同じ着地点に向かっているのではないかというのです。
確かに、ここまで来ると資本主義の中か外かという議論は、あまり大きな意味は持たないかもしれません。どちらも今の資本主義に代わる、あるいはそれを修正する仕組みを構想している訳ですから。
斎藤は、2008年のリーマンショック後に資本主義が消滅したパラレルワールドを描いたヤニス・バルファキスの近著『クソったれ資本主義が倒れたあとの、もう一つの世界』の帯に「株式市場をぶっ壊せ」と推薦文を寄せています。
ですから、やはり額面通り「脱」資本主義を目指しているのかもしれませんが、「3.5%の市民が本気で立ち上がれば社会は変わる」と訴える斎藤の今後の活動には、引き続き注目していきたいと思います。
資本主義の未来についての議論を大別すると以上の通りですが、もうひとつ別の、第3の道が加速主義と呼ばれるものです。
資本主義のプロセスを加速して、早く競争のない世界に
これは、根本的な社会変革を生み出すためには、今の資本主義をさらに加速すべきだというものです。なぜなら、資本主義を加速させることがその自己破壊のプロセスを早め、それによって資本主義の向こう側の世界に早く到達することが可能になるからです。
加速主義は、哲学者のジル・ドゥルーズと精神科医のフェリックス・ガタリが提唱した「脱領土化」の理論に依拠しています。普遍化した等価交換性を持つ貨幣というものを土台とした資本主義が持っている、それまでの慣習によって固定化された領土の外へと我々を逸脱させる力を利用しようという考え方です。
この加速主義を代表するのが、いわゆるペイパルマフィアと呼ばれる、ピーター・ティールやイーロン・マスク、マックス・レヴチンなどの、個人的自由と経済的自由の双方を至上の価値として掲げるリバタリアン(自由至上主義者)のグループです。
ティールはレッドオーシャンで戦うことの無駄を説き、経済活動における競争そのものを否定しています。テクノロジーを通じて資本主義のプロセスを加速して、早く競争のない世界に到達してしまおうという発想です。
そこにあるのは、ごく少数の選ばれた者だけが、資本主義という「マトリックス」を監視しながらコントロールするというバーチャルな世界です。その他大勢の人々は、メタバース(インターネット上に構築された参加型の仮想空間)の中で管理された夢を見ていればいいということです。フェイスブック創業者のマーク・ザッカーバーグは社名をメタに変更し、メタバース企業になると宣言しましたが、これも加速主義を象徴する動きだと言えます。
このように、シンギュラリティ(技術的特異点)の先にマトリックス的世界を想定する加速主義の運動を理論面から支えているのが、「加速主義の父」と呼ばれる右派加速主義理論家のニック・ランドです。ランドらが主導する「新反動主義」あるいは「暗黒啓蒙」と呼ばれる思想運動の根底にあるのは、「自由と民主主義は両立しない」という信念です。
こうした右派加速主義の発想は、ヨーゼフ・シュンペーターが『資本主義・社会主義・民主主義』の中で、資本主義は成功しすぎるがゆえに官僚化した巨大企業の独占状態を招いて終焉すると言ったのと似たようなロジックに立脚していると言えるかもしれません。
これに対して、マルクスは唯物史観に基づき資本主義は崩壊すると予言しましたが、崩壊のスピードを早めようとしたという意味では、マルクスも加速主義の立場をとっていたと言えます。
このように、加速主義は互いに相反する思想でありながら同じ結論に至る右派と左派に分けることができます。そして後者を代表するのが、ウェブ上に「#加速せよ:加速主義派政治宣言」を発表し、若い世代から強い支持を得ている哲学者のニック・スルニチェクとアレックス・ウィリアムズの2人です。共にミレニアル世代の彼らが構想するポスト資本主義社会は、AIやロボット工学などあらゆるテクノロジー的成果を利用することで、人間の代わりに機械が仕事をしてくれる格差のない世界です。
22-24世紀の未来を描いたSFドラマの『スタートレック』では、惑星連邦にはもはや通貨というものが存在せず、無尽蔵な反物質エネルギーのおかげで、すべての連邦市民は働かなくても最低限の生活が営める世界が実現していますが、そのようなイメージかもしれません。
日本では、社会学者の宮台真司が、近年、『崩壊を加速させよ 「社会」が沈んで「世界」が浮上する』など多くの場で、加速度的に社会が駄目になれば人々は真の意味で連帯するようになると訴えていますが、これもある意味で加速主義のひとつと言えます。宮台は資本主義自体の終焉を想定している訳ではありませんが、じわじわと劣化し続け、閉塞感に満ちた今の日本社会を建て直すためには、消去法的に資本主義を加速するしかないというのです。
拡大し続ける「人間の欲望」
現代の資本主義が進む方向性は、おおむねこの3つのシナリオのいずれかに収斂していくものと考えられます。
私も含めて、経済人の多くは穏当な修正資本主義の立場を取っています。むき出しの資本主義というのはブレーキのないスポーツカーのようなもので、高性能なのは認めるにしても、そのままでは怖くて運転できないというのが、多くの人が今の資本主義に対して抱いているイメージなのではないでしょうか。
NHKの番組に「欲望の資本主義」という人気シリーズがあります。「やめられない、止まらない、欲望が欲望を生む世界。わたしたちはいつからこんな社会を生きているんだろう」というナレーションが印象的ですが、ここ100年で世界人口は20億人から80億人へと4倍に増えています。これが2060年頃には100億人にまで到達すると言われている訳ですから、人間の欲望をガソリンにする資本主義にとっては十分すぎるほどの燃料です。
SF映画『マトリックス』では、人間は生まれてすぐに機械が作った人工子宮に閉じ込められ、AIを動かすためのエネルギー源として利用されます。人間の欲望をエネルギーとして駆動している資本主義と人間の生体エネルギーで動いているマトリックスの世界は、驚くほど似ています。
私たちがこうした問題を意識するかしないかにかかわらず、資本主義に立脚した世界システムは着々と領域を広げつつあります。その完成はもはや時間の問題であり、資本主義が世界を完全に覆い尽くす直前まで来ているというのが、私の現状認識です。やはりアメリカという世界のスーパーパワーが、自由至上主義のリバタリアン的な思想に立脚した国であるというのが大きいと思います。
ここで言う世界システムというのは、近代世界システム論のイマニュエル・ウォーラステインが提唱した巨視的歴史理論で、これまでの歴史学のように、各国を独立した単位として扱うのではなく、より広い「世界」という視点から世界史を考察するものです。
ウォーラステインの発想は、「長い16世紀」(1450-1640年)を提唱した『地中海』のフェルナン・ブローデルが提唱した、歴史の重層的な波動という見方に大きな影響を受けています。帝国、都市国家、民族など複数の文化体を含む広大な領域に展開する分業体制であり、ひとつの国や民族の枠組みを超えていることから世界システムと呼ばれています。
資本主義システムの中で「僕たちはどう生きるのか?」
16世紀に成立した近代世界システムがユニークなのは、過去の世界システムが世界経済から世界帝国へ移行したかほどなく消滅したのに対し、世界帝国にはならず政治的には分裂したまま存続している点です。そして、これを可能にしているのが資本主義だというのです。
私たちは好むと好まざるとにかかわらず、資本主義に立脚した世界システムの中に生まれ落ち、そこに組み込まれて生きています。その全世界化した資本主義とどのように対峙していくのか、つまり個人として「どう生きるのか?」というのが、私たちに投げかけられている問いなのです。単にその中で踊るのか? 踊るフリをしながら反転攻勢の機会を伺うのか? それともその巨大システムに真っ向から立ち向かうのか?
さまざまな生き方があり得るとは思いますが、こうした自分を取り巻く状況をよく観察し、よく理解したうえで、「僕たちはどう生きるのか?」を考えるのが、教養というものの意味なのではないかと思います。
堀内 勉
一般社団法人100年企業戦略研究所 所長/多摩大学大学院経営情報学研究科教授、多摩大学サステナビリティ経営研究所所長
多摩大学大学院経営情報学研究科教授、多摩大学サステナビリティ経営研究所所長。東京大学法学部卒業、ハーバード大学法律大学院修士課程修了、Institute for Strategic Leadership(ISL)修了、東京大学 Executive Management Program(EMP)修了。日本興業銀行、ゴールドマンサックス証券、森ビル・インベストメントマネジメント社長、森ビル取締役専務執行役員CFO、アクアイグニス取締役会長などを歴任。 現在、アジアソサエティ・ジャパンセンター理事・アート委員会共同委員長、川村文化芸術振興財団理事、田村学園理事・評議員、麻布学園評議員、社会変革推進財団評議員、READYFOR財団評議員、立命館大学稲盛経営哲学研究センター「人の資本主義」研究プロジェクト・ステアリングコミッティー委員、上智大学「知のエグゼクティブサロン」プログラムコーディネーター、日本CFO協会主任研究委員 他。 主たる研究テーマはソーシャルファイナンス、企業のサステナビリティ、資本主義。趣味は料理、ワイン、アート鑑賞、工芸品収集と読書。読書のジャンルは経済から哲学・思想、歴史、科学、芸術、料理まで多岐にわたり、プロの書評家でもある。著書に、『コーポレートファイナンス実践講座』(中央経済社)、『ファイナンスの哲学』(ダイヤモンド社)、『資本主義はどこに向かうのか』(日本評論社)、『読書大全 世界のビジネスリーダーが読んでいる経済・哲学・歴史・科学200冊』(日経BP)
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※本記事は「東洋経済オンライン」に2024年7月9日に掲載された記事の転載です。元記事はこちら