社内の意識改革と新しい店舗づくりに邁進
子どもが本に触れる場を創り文化を守り続ける
目次
※本記事は「Vコラム」に2024年10月25日に掲載された記事の転載です。
横浜の地で創業して114年、現在は首都圏と関西に45店舗の書店を展開する株式会社有隣堂。2020年に7代目社長に就任した松信健太郎氏は、カフェや雑雑貨店を併設したり、多彩なイベントを開催したりする個性豊かな複合型書店を展開して注目を浴びています。インターネット・電子書籍の普及による書店離れが目立つ危機的状況の中で、「本屋をなくしてはならない」として新しい店づくりに力を入れる松信社長に話を伺いました。
街の文化を豊かにするために小さな書店を開業
私の曾祖父が横浜の伊勢佐木町に有隣堂を創業したのは、ちょうど横浜開港50周年を迎えた1909(明治42)年12月のことです。間口2間、奥行き3間の小さな書店だったと聞いています。正直なところ、なぜ商売を始めるにあたって本屋を選んだのかはわかりません。ただ、文明開化の起点となった横浜という街の文化を、より豊かに醸成させていきたかったのではないかと推測しています。というのも、曾祖父には私の祖父を含めて11人もの子どもがいました。小さな書店の仕事は限られますから、子どもたちは自分の仕事をつくるために各々で事業を興した。会長である父からはそう聞いています。それがいずれも文房具や楽器、運動具の販売といった文化や教育に関するものだったのです。私は、そこに文化醸成への思いがあったと感じています。
創業114年の歴史をひもとけば、存続の危機もあったと思います。実際、関東大震災や第二次世界大戦では店舗を焼失しています。しかし、そうした危機にまつわる苦労話も当社ではほとんど語られていません。焼けなかった書物を集めて売り歩いたとか、わずかな再建の記録が残っているだけ。戦後ほどなくして始めた企業・官公庁への商品配達も復興に向けてのことでしょう。これが現在、教育機関や企業に書籍からオフィス用品、OA機器まで幅広く提供するBtoBの外商部門へと発展。出版不況の中で会社を支える大きな収益の柱となっています。過去は変えられないのだから前を向き、今できることに取り組んで道を切り開く──。先達は、このことを身をもって教えてくれているように思います。
出版市場の縮小に対する危機意識の低さに改革を決意
ただ、学生時代の私には家業を継ぐという意識がありませんでした。実際、父も大手新聞社に勤めていたので、私自身も大学卒業後は弁護士になるつもりで試験勉強に取り組みました。ところが、司法試験に受かることができず弁護士の道を断念。2007年に有隣堂に入社したのです。もちろん、他の企業に就職するという選択肢もありました。ただ、その頃には父が新聞社を辞めて家業に入っていたので、私は受験勉強の傍らで父の送り迎えをしていました。そして、その車の中で父から事業の話を聞くうちに、いずれは自分も跡を継がねばならないだろうと考えるようになったのです。だから入社する数年前には有隣堂の店舗でアルバイトを始めていました。
アルバイトをしていて感じたのは「もったいない」ということです。穏やかないい職場でしたが、裏を返せばもっと成長していこうという気概がなかった。理由の1つは出版物の流通の仕組みにもあります。書店は一般的に、出版社が発行した書籍や雑誌を、取次を通して仕入れて委託販売します。商品の価格決定権がなく、売れ残った商品は返品できるのでリスクが少ない。そのようなビジネスを何十年もやってきているのだから危機感がないのは当然だったのかもしれません。
しかし、紙の出版物は1996年をピークに減少に転じていました。有隣堂はお客様が立ち寄りやすい駅ビルや百貨店に店舗展開をしていたのですぐに影響は受けませんでしたが、いずれ落ち込んでいくことは明白。多くの人に本を手に取ってもらうためには、従業員の意識を変え、全国的に店舗を増やしたり、新規事業にも挑戦したりして活性化していくべきだと思ったのです。
有隣堂には「本は心の旅路」というキャッチコピーがあります。実はこれも誰が言い出したのかはわからないのですが、私は幼い頃から繰り返しこの言葉を見て育ちました。人間の心の成長を助け、人生の糧になる本を届けたい。家業に興味はなかったはずなのに、曾祖父の起業の思いを自然と受け継いでいたのでしょう。
書店のあり方を再定義して新しい店舗づくりを展開
入社後は、2年かけて社内の各部門の研修を受け、2009年に店舗運営を担う事業の責任者に就任。最初に手がけたのが「店舗オペレーション改革プロジェクト」です。店舗ごとに異なるルールや慣習が無駄なコストを生んでいることに気づき、業務の標準化に取り組んだのです。また、現状を説明し、部署間の交流を活性化させるなどして、従業員の意識改革にも努めました。
書店のあり方も見直しました。その頃には全国的に書店が減少し始めており、根本的な変革が必要だったのです。初めに手がけたのはブックカフェです。飲食との複合店は本が目的ではないお客様も足を運ばれる。それが本に興味を持つきっかけになればと考えたのです。実際、来客数は増えました。しかし、従業員の危機に対する意識を変えるまでには至らない。そこで打ち出したのが「書店の再定義」です。本が主役ではない店づくりをすることで、従業員を刺激しようと考えたのです。
この再定義には2つの軸があります。1つは「書籍を売ってきた信用力で、書籍以外の『モノ・コト・トキ』を売っていく」ことで、代表するのが2018年に
東京ミッドタウン日比谷にオープンした「HIBIYA CENTRAL MARKET」です。フロアにはアパレルや居酒屋、理容店が入り、本棚はほんのわずか。しかし、テーマを設けて本を並べるため、メッセージ性が出てお客様が足を止める。また、従業員自ら並べる本を選ぶことを通じてわれわれにも社会に発信していく力があることを教えています。
もう1つは「書籍以外の『モノ・コト・トキ』の力を借りて『書籍』を売り続けていく」こと。コレド室町テラスにある「誠品生活日本橋」がそれにあたります。有隣堂にも本と一緒に文具や雑貨を売る店はありますが、台湾を拠点とする誠品書店はそれだけでなく、さまざまなイベントを開催してお客様に「体験」を提供することで成功している。そのノウハウを得るためにフランチャイズの形でタッグを組んでいます。
また、従業員の発信の場として、2020年にYouTubeチャンネル「有隣堂しか知らない世界」を開設。これは動画クリエイターと従業員からなる制作チームに任せていますが、彼らの試行錯誤の結果、登録者数30万人を超える人気チャンネルとなりました。有隣堂を支持してくださる方も増え、2023年に関西初として神戸阪急に出店したときは長蛇の列ができたほど。これらの成功体験は従業員の業務に対する自信にもつながっています。
ここ20年で全国の書店の数は半減しました。当社も書籍・雑誌販売事業自体の売上や利益は下がっています。それでも、私は本を売る店を増やしていきたいと思います。IMD(国際経営開発研究所)の「世界競争力年鑑」2024年版で、日本の競争力は38位と過去最低を記録しました。経済成長が鈍化し、国際競争力を失ってしまっている中、日本がもう一度輝きを取り戻すためには将来を担う子どもたちの成長が不可欠。そして、本はその彼らの心を育む大切なツールです。もちろん企業は利益がないと成り立ちませんから、外商など他事業にも力を入れながら、これまでの経験を生かして子どもが本に触れる場を増やしていく。それが街の文化を醸成するために店を開いた本屋の使命と考えています。
お話を聞いた方
松信 健太郎 氏(まつのぶ けんたろう)
株式会社有隣堂 代表取締役社長
1954年東京都生まれ。1977年、慶應義塾大学法学部卒業後、太陽神戸銀行(現三井住友銀行)入行。1986年、龍名館入社。1995年、取締役副社長に就任。2005年、兄の浜田章男氏が会長となり、5代目社長に就任。
[編集]株式会社ボルテックス コーポレートコミュニケーション課
[制作協力]株式会社東洋経済新報社
※本記事は「Vコラム」に2024年10月25日に掲載された記事の転載です。元記事はこちら