オモロい技術と製品で人々の役に立つ森下仁丹の新たな挑戦
仁丹の製造ノウハウを発展させてビジネスチャンスをつかむ

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長い間、口中清涼剤「仁丹」を主力としてきた森下仁丹株式会社では、近年、仁丹の製剤技術を発展させた「シームレスカプセル技術」と生薬の研究をベースとした独自素材で新たなビジネスを展開しています。130年を超える伝統と現在の事業について、森下雄司社長に聞きました。

仁丹から発展した「シームレスカプセル技術」と独自素材

森下仁丹株式会社の創業は1893(明治26)年にさかのぼります。当初は、製薬会社などに医薬品の原料を販売していました。その後、1905年に発売した「赤大粒仁丹」の大ヒットにより、総合保健薬メーカーとしての地歩を固めます。健康や保健を世界に運ぶ外交官の姿をイメージして創られた「大礼服マーク」と共に同社の代名詞となった仁丹は、その後医薬部外品である銀粒仁丹となり現在に至るまで、およそ120年にわたって親しまれ続けるロングセラー商品となりました。

もっとも、人々のライフスタイルや嗜好の変化に伴って、かつて同社の売上の大半を占めていた仁丹は、事業の主軸から徐々に遠ざかっていきました。近年は、仁丹の製造技術から発展した、粉末や液体などあらゆるものを真球に近い球形で包むことのできる「シームレスカプセル技術」と、長年にわたる生薬の研究を基盤とする独自素材を強みとして、食品や医薬品、化粧品など、さまざまな領域に事業を広げています。

「継ぎ目のないシームレスカプセル技術で顧客企業の課題を解決するソリューション事業と、ビフィズス菌配合の機能性表示食品『ビフィーナ』をはじめ、のど飴やサプリメントを手がけるコンシューマー事業を両輪として、現在、私どもでは主に健康をテーマとした製品やサービスを提供しています。しかしながら、今も仁丹は特別な存在です。思いやりを意味する『仁』と真心を表す『丹』は、私どもの企業精神を象徴する言葉でもあり、事業の原点と考えています」

仁丹やビフィーナをはじめとする森下仁丹の商品ラインナップ

家族主義を打ち出した創業者と多角化を推進した2代目

仁丹の生みの親である創業者の森下博氏は、森下雄司社長の高祖父にあたります。広島県で代々続く神職の家系に生まれ、いったんは家職を継ぐものの、15歳で志を立てて単身、大阪へ拠点を移しました。そして、学業に励む傍ら、舶来小間物問屋で丁稚奉公を始めます。

やがて、精励して頭角を現し、23歳で薬種商「森下南陽堂」を創業します。以来、当時としては先進的な予防医学の考え方をベースとした製品開発に取り組む一方、共存共栄の考えのもと代理店や販売店との信頼関係を築き、全国に強力な販売網を広げていきました。

また、経営者と従業員を主従関係に見立てる風潮が一般的な中で、博氏は「家族主義」を打ち出し、共同体としての連帯感を重視した組織づくりにも尽力しました。

「ありがたいことに、いまでも創業者の経営方針は社風の中に受け継がれているように感じます。そうした温かい雰囲気も、次世代へ引き継がなければならない無形の財産ではないかと思います」

その後、博氏から事業を受け継いだのは、孫で森下社長の大叔父にあたる2代目の森下泰氏でした。

1943年、博氏の死去に伴って、泰氏は現役の大学生ながら社長に就任します。そして、戦後は被災した工場の再建に力を尽くし、高度経済成長期には食品事業や医薬品事業にも進出して、経営の多角化を推し進めました。

また、泰氏は社会活動にも積極的に取り組み、大阪青年会議所の設立に際しては中心的な役割を果たしています。関西経済界を牽引するリーダーの一人として、のちに参議院議員を務めるなど、その活躍は多岐にわたりました。

創業者の博氏はもちろん、同社においては泰氏の存在感も大きく、2人の社長在任期間を合わせると90年近くになります。

「シームレスカプセル技術にせよ、ローズヒップエキスをはじめとした機能性素材の開発にせよ、研究をスタートさせてから事業化に至るまでには、おおよそ30年以上を要しています。それほどの長期戦ですから、その過程では当然、撤退もたびたび検討したでしょう。成果の影には、膨大な失敗や挫折があったに違いありません。それでもくじけることなく、新しい分野に挑戦する勇敢な〝ファーストペンギン〟がいたからこそ、今日の事業があります。同様に、数十年後の後輩たちに対して何を残すことができるのかが、いま問われていると自覚しています」

OB・OGたちの話を聞いて社業の歴史を学び直す

3代目社長の森下孝氏を父にもつ森下雄司社長は、大学卒業後、金融機関での勤務を経て2007年に入社しました。ヘルスケア事業本部長やカプセル事業本部長など、主要部門を統括する役職を歴任し、2019年、9代目の社長に就任しました。森下家からの社長就任は、約20年ぶりのことです。

「一般的に、創業家の出身者は幼少期から家業を身近に感じて育ちます。加えて、在任期間が比較的、長いこともあり、長期的な観点から事業を構想しやすいという側面はあるでしょう。ただし、言うまでもなく、必ずしも創業一族がトップにふさわしいとは限りません。基本的には、血縁の有無にかかわらず、その時代において最もふさわしい人材が社長を務めるべきだと考えています」

入社後、森下社長は時間を見つけては社史を丹念に読み返し、改めて事業の変遷や組織の歩みを学びました。さらに、オフィシャルな記録からではうかがい知れないリアルな声を聞くため、仁丹謝恩会などを通じて積極的に年長者の話にも耳を傾けたそうです。そうして社業の歴史を見つめ直したとき、強く印象に残ったのは、創業以来、経営理念に掲げられてきた「済世利民」という言葉だったといいます。

「これは、人々の命や生活を救い、社会の役に立つことを意味する言葉です。なぜ、創業者はこの言葉を大切にしたのか、その意図を推し測ってみると、事業を始めた動機や仁丹に込めた思いの一端が、私にもわかるような気がしました」

創業130周年の節目を迎えた2023年、同社では従業員が中心となって次のようなパーパス(企業の社会的な存在意義)を策定しました。

「思いやりの心で、オモロい技術と製品で、一人に寄り添い、この星すべてに想いを巡らせ、次の健やかさと豊かさを、丹念に紡いでゆく。」

製品もサービスも、一人を想像し、一人に寄り添うことから生まれます。それは、小さな視点を持ち、丁寧に、けれどスピード感を持って発想し、独自技術を駆使した、オモロい製品を創り上げること。そして、グローバルに「仁」の輪を拡げることが、森下仁丹らしい社会貢献につながる、という意図が込められています。

「何をオモロいと感じるかは人それぞれですが、少しでもオモロいと感じるものに出合ったら、自分の感性を信じて、まずは一歩、踏み出してみる。その勇気と行動力が、独自性の高い技術や製品につながるのではないかと考えています」

森下社長は、企業の永続は結果にすぎないと言います。永続を求めるがゆえに永続が可能なのではなく、つねに発展を志向する日常が結果として永続を実現するというのが、森下社長の考え方です。

「残念ながら、私には先人たちと同じことはできません。その反面、私にしかできないことも、きっとあるはずです。そう信じて、自分にしかできないことを追求し続ければ、私たちは少しずつ成長していくのではないかと思います。会社に所属する一人ひとりの成長こそ、100年企業に不可欠な要件ではないでしょうか」

お話を聞いた方

森下 雄司 氏(もりした ゆうじ)

森下仁丹株式会社
代表取締役社長

1972年生まれ。1995年甲南大学経営学部卒業。金融機関での勤務を経て、2007年森下仁丹株式会社に入社。新規事業、海外事業の推進を担当したのち、経営企画部長、ヘルスケア事業本部長、カプセル事業本部長を歴任。2019年社長に就任。同社は、従業員354名(連結。2024年3月末現在)、売上124億600万円(連結。2024年3月期)、本社・大阪市中央区。

[編集] 一般社団法人100年企業戦略研究所
[企画・制作協力]東洋経済新報社ブランドスタジオ

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