「いたずらに価格のみの競争をせざる」を追求
人のため、社会のために「正しいこと」を創造し続ける

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近代印刷の黎明期である1881(明治14)年に神奈川・横浜で創業し、地域密着型の印刷会社として発展してきた株式会社大川印刷。6代目社長の大川哲郎氏は環境に配慮した印刷に舵を切り、次々と新しい取り組みに挑戦。国内外から注目され、顧客も増えているといいます。デジタル化が進み、市場が縮小傾向にある印刷業界において事業を永続する秘訣は何か。2021年にオープンした社会課題解決型スタジオ「with GREEN PRINTING」内で、大川社長にお話を伺いました。

明治の印刷革命を先見し医薬品や食品関連の印刷を開始

大川印刷の創業は1881(明治14)年。薬種貿易商の家に生まれた初代・大川源次郎が、家業の手伝いをする中で輸入医薬品のラベルに着目し、これからの時代は印刷業が有望だとして神奈川県横浜市、現在のJR関内駅の近くで起業したと伝わっています。

当時、手書きで和文表記に換えていた輸入品のラベルを、普及し始めていた活版や石版などの西洋の印刷技術で作ろうと考えたのです。西洋から印刷機を輸入し、医薬品のラベルや添付文書、生糸商標などを印刷していました。生糸商標とは日本の主要輸出品だった生糸の品質を保証するための札で、偽造できないよう精緻な印刷技術が求められます。当社の技術は大変評価されていたようで、その一部は横浜開港資料館に展示されています。

一方で、印刷業は地域密着型の産業ですから、例えば崎陽軒のお弁当の掛け紙や包装紙など、地元企業の印刷物も多く手がけてきました。何十年にもわたってお取り引きいただいているお客様も少なくありません。長い歴史の中では当社も戦争や震災といったいくつもの危機に見舞われています。1970年代のオイルショックではトイレットペーパーなどの紙製品が不足する事態となり、印刷用紙もなくなるのではないかと、業界も大混乱に陥りました。しかし、当時の社長だった4代目で父の大川英郎は、全国を奔走して必要な用紙を確保したそうです。そこには、お客様の要望にできる限り応えたいという信念があったのだと思います。

新しい印刷会社を目指して環境に配慮した経営にシフト

父は神奈川県印刷工業組合の理事長を務め、業界の地位向上にも尽力した人でした。私は父を尊敬し、高校の頃には跡を継ぐことを意識していました。ところが、私が大学1年の時に父が医療事故で急逝。専業主婦だった母が5代目に就任して事業を継続したものの、私は失意のどん底に突き落とされました。立ち直るきっかけとなったのは1989年に旅したアメリカ南部の黒人たちとの出会いです。人種差別を受けながら生きる彼らと、その心を癒やすために生まれたブルーズ。彼らのブルーズを聴き、共に演奏するうちに「自分だけが不幸なのではない」と気づいたのです。現在、当社にはブルーズミュージシャンの名言をもとにした13の信条「ブルーズクレド」があります。ブルーズの根底にある不屈の精神は今も私の支えになっています。

大学を卒業した私は東京の印刷会社での3年間の修業を経て、1993年に大川印刷に入社。このときに志したのが印刷業のイメージを変えることです。当時の印刷業は「3K(きつい、汚い、危険)」の代表格で、私も修業中は残業続きでした。しかし、バブル経済が崩壊し売り上げも落ちる中で、悪いイメージを払拭しなければ、いずれ立ち行かなくなることは明白でした。

そこで着目したのが「環境経営」です。印刷業は大量の紙を使い、主要なインキには石油系溶剤が含まれています。これを再生紙と植物性インキに切り替えていったのです。「エコ」という言葉すら浸透していない時代ですから、奇異な目で見られたりもしました。それでも続けたのは、自然が好きで環境保護に関心があったことと、当社が医薬品や食品の印刷物を手がけてきたことにあります。医薬品や食品は命に関わるものですから、印刷物においても「命を守る品質」が社会のために大切なことだと考えたのです。

そのため、品質マネジメントシステムに関する国際規格「ISO9001」を取得するなど品質向上にも努めました。初めは従業員から反発を受けることもありました。あるお客様から出荷前の全数検査を依頼されたときは、工場長に「前例のないことはできない」と断られたこともあります。しかし、お客様の要望に応え品質を保証するのも企業の務め。だから私は賛同してくれた営業担当と2人で、毎日朝5時半に出社して検査を行ったのです。すると、1人、2人と協力してくれる従業員が増えていきました。母は企業永続の秘訣は「人間尊重」にあると言いましたが、従業員を社会から必要とされる人へと育てていくことも重要だと感じています。

実は、当社には代々伝わる経営理念というものがありませんでした。ところが私が社長に就任して経営改革に奮闘する中で偶然、1891(明治24)年の自社広告を発見。そこには、「いたずらに価格のみの競争をせざるは大川印刷所」という一文がありました。「大川印刷は安易な価格競争を優先するのではなく、お客様や社会にとって価値のあるサービスを提供しているのだ」という意味です。これを見た時に私は、言葉はなくとも精神は受け継いでいたのだと確信したのです。

1891(明治24)年に新聞に掲載した自社広告。黒地に白抜きで書かれた「大川印刷所(当時の社名)」の上には、企業としての11の特徴が記されている。その中央にあるのが、「いたずらに価格のみの競争をせざるは」の一文だ。

「変化創造型企業」として社会に変化を提案

2003年には本業を通して社会的課題を解決する会社を目指し、「ソーシャルプリンティングカンパニー®」という指針を立ち上げました。現在は、石油系溶剤0%のノンVOCインキの使用率99.9%を達成。印刷用紙は適切に管理された森林の材料から作られるFSC®森林認証紙を主としています。また、2016年からは脱炭素に向け、カーボン・オフセット(事業内で削減しきれない温室効果ガスを、他の場所で削減した分で埋め合わせをする取り組み)を活用した「CO2ゼロ印刷」を開始。2019年には「風と太陽で刷る印刷」と銘打ち、事業の電力の20%を本社工場に搭載した太陽光発電でまかない、残りの80%は青森県横浜町の風力発電の電力を購入して100%再生可能エネルギーを実現しています。初めは理解されなかった環境経営も、SDGsの考え方が浸透するにつれて多くの方が関心を寄せてくださり、直近の3年で200社以上の新しいお客様とお仕事させていただいています。

2021年には横浜駅の近くに社会課題解決型スタジオ「with GREEN PRINTING」をオープンしました。古民家の廃材などを活用したスタジオで、動画の収録・編集・配信事業のほか、社会課題に関心のある人や企業をつなげることを目的としたワークショップやイベントを定期的に開催しています。現在は、「印刷しない印刷会社」として無駄な印刷はせず、デジタルとアナログのメリット・デメリットを伝えたうえで最適な方法を提案。日本で3台目となる、書籍を自動で高速スキャンするロボットを導入し、希少な書籍を電子化するなど、デジタル化の支援も行っています。正直な話、昨今のペーパーレス化は売り上げに大きな影響を及ぼしています。それでも「印刷しないこと」を推進するのは、正しいことをする企業こそが今の社会に必要とされているからです。

よく、企業が生き残るためには世の中の変化に適応することが大事だと言われますが、変化の速い時代において対応し続けるのは難しいこと。だから大川印刷は「変化対応型企業」ではなく、「変化創造型企業」であると提言しています。例えば、週に1度通勤をライドシェアにするといった小さなことでもいい。従業員一人ひとりが自ら考えて実行していく。世の中に「正しいこと」を創造し続けることが長寿の秘訣だと感じています。

お話を聞いた方

大川 哲郎 氏(おおかわ てつお)

株式会社 大川印刷 代表取締役社長

1967年神奈川県横浜市生まれ。大学卒業後、東京の印刷会社での修業を経て1993年に大川印刷へ入社。直後から環境経営に取り組み始め、2003年に本業を通じて社会課題解決を行うという指針「ソーシャルプリンティングカンパニー®」を掲げる。2005年、代表取締役社長に就任。CO2の排出量を実質ゼロにする「CO2ゼロ印刷」をはじめとする環境負荷を低減する取り組みが注目され、「グリーン購入大賞 中小企業部門 大賞・環境大臣賞」をはじめ数々の賞を受賞している。
https://www.ohkawa-inc.co.jp/

[編集]株式会社ボルテックス コーポレートコミュニケーション部
[制作協力]株式会社東洋経済新報社

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