地方の中小企業がロングセラーを生み出す秘訣
三立製菓の「挑戦」する経営

「地方の中小企業がロングセラーを生み出す秘訣<br>三立製菓の「挑戦」する経営」のアイキャッチ画像

目次

1921年(大正10年)に静岡県浜松市で創業した三立製菓はカンパンやチョコバット、源氏パイなどの特徴ある商品で知られる菓子メーカーです。「消費者、販売者、製造者」あるいは「従業員、株主、経営者」の3者が安定した形で成り立つようにとの願いを込めて「三立」と命名された同社が複数のロングセラー商品を世に送り出せている背景や、経営ビジョンの整備とその実践等について清水康光社長にお話を伺いました。

商品を人気ブランドに絞り込み、派生品を展開

1937年に販売を開始した「カンパン」や、発売が1964年の「チョコバット」、1965年の「源氏パイ」など、多くのロングセラー商品を製造・販売しているのが静岡県浜松市に本社を置く三立製菓です。

菓子の中でもビスケット類に経営資源を集中し、他社にないニッチ商品のラインアップが特徴で、かにの形をした「かにぱん」は昨年、発売50周年を迎えました。

1921年の創業後間もなく関東大震災が発生し、市場が混乱する中で創立者の松島保平は「こういう時こそ積極策を取ろう」と浜松市にビスケット工場を建設し、積極的に業容の拡大に挑戦していったそうです。

「創業当初はガムや飴、せんべいを作っていた時期もあります。第二次世界大戦の終戦直後は菓子製造ができず、ラジオの製造を試みたこともありますが、失敗しました。もしうまくいっていたらこの会社は三立電機となっていて、現在は存続できていなかったでしょう」

清水康光社長はそう笑顔で語ります。なお、清水社長は創業家の非血縁者で、創業100周年の2021年に就任しました。

同社の歴史を振り返ると、日中戦争が勃発した1937年には平和産業である製菓工場も無関係ではいられず、陸軍糧秣廠(りょうまつしょう)の要請で携行食糧としてカンパンの製造に参入しました。

第二次世界大戦では工場が全焼する被害を受けたものの、1946年には本社工場を再開。戦後のすさまじい食料・材料不足の中、カンパンの発酵技術を用いて配給パンを製造していきました。さらに、この製造技術を使って菓子やロングライフパンの製造に着手し、そこから生まれたヒット商品がチョコバットやかにぱんです。

独自技術の伝承から生まれたこれらの商品に対し、源氏パイは海外での市場調査をきっかけに、「洋菓子店で高級品として販売されていたパイを気軽に食べてもらいたい」との思いから開発に着手。日本で初めてパイの量産化に成功し、定番商品化しました。

競争の激しい菓子業界で、なぜ地方の中小企業である三立製菓が多くのロングセラー商品をラインアップできているのでしょうか。

「お客様からのご意見を参考にしながら、数年に1回、少しずつ味を変化させており、包装形態も販売先の変化に応じて変えています。最近はイベント等の体験の延長線上でモノが購入される時代になっているので、たとえばハート形の利点を生かしてバレンタイン向けの源氏パイを出すなど、イベントと連動した企画商品を出してもいます。
一方では絶対に変えてはいけない約束事も設けていて、たとえばかにぱん関連商品は絶対に卵を使用せず、卵アレルギーの子供たちに安心して食べてもらえるようにしています」

菓子類は各社から次々に新商品が投入されますが、かにぱんは他社商品より賞味期限が長く、チョコバットは半生食感で、源氏パイは焼き上がりまでに時間がかかり他のメーカーは手がけにくい。そうした差別化がなされ、類似商品がない点も三立製菓の強みです。

2025年に発売60周年の源氏パイ

行動指針は「見える化、聞ける化、言える化、やってみる化」

清水社長が入社したのは1996年で、小学生の頃、母親が三立製菓でパートとして働いていたことが入社のきっかけになりました。

「母が京都への従業員旅行やお世話になった係長さんの話を楽しそうにしているのを見てよいイメージがあったので、地元の浜松市で就職活動をしていたとき、三立製菓が社員を募集していると知り迷わず応募しました」

これまで清水社長は3回、辞表覚悟のプロジェクトを推進したことがあります。その1つは1999年に営業部から企画開発部に異動した直後でした。

「お菓子業界では見本生産品を作り、バイヤーが気に入ったら2カ月後くらいに販売となります。だから販売の2カ月前には見本を作れていなければいけないのですが、当時はさまざまな要因でそれができていませんでした。私は営業としてこの問題で苦労したので、企画開発部に異動したとき、『2カ月前に見本を必ず出せるようにする。できなかったら会社を辞める』と社内懇親会の席で見得を切ってしまい、朝礼で皆さんに協力をお願いしました。でも当時の先輩には『無理でしょうね』と言われ、一晩眠れないくらい悔しい思いをしたのですが、これは絶対に実現しようと思いました。なぜ見本品を出せないのか、どの工程に問題があるのか、何を直さなければいけないのかを1つひとつ洗い出して見える化し、解決に取り組んだ結果、最終的に2カ月前に見本品を出せるようになりました」

また、この時期は販売数量が少ないPB商品を減らして商品アイテム数を削減する一方、ブランドエクステンション商品の強化、つまり「ミニ源氏パイ」や「ミニかにぱんチョコ」といった人気ブランドの派生商品を開発し、売上の成長とコスト削減を進めていきました。

こうした実績を積み重ねていった清水社長は松島勇史前社長から「創立100年の節目を機会に社長になり、新しい時代を切り開いてほしい」と社長就任を要請されました。「失敗を恐れずチャレンジし、10年はやる覚悟で」とも。

要請を受けてまず清水社長が取り組んだのは、従来はあまり明文化されていなかった経営ビジョンの明確化とその浸透・実践です。

「創業者は『消費者、販売者、製造者』の3者、あるいは『従業員、株主、株主経営者』の3者がもっとも安定した形で成り立つように社名を『三立』に決めました。ならば、これを創業理念にしようと。次に、この6者を安定させるにはどうすればよいか。それには当社が永続せねばならず、お客様にリピーターになっていただく必要があり、以前から社内にあった言葉である『お菓子を通してお客様に安心と満足をお届けします』を経営理念と位置付けました。

では、どうすれば本当にお客様に安心と満足をお届けできるのか。そこで経営方針を『安全を根幹に、品質・効率を高めます』とし、それを実現するために課題の見える化と社内外の声を聞く姿勢、課題解決案を言える場作り、一歩踏み出す風土の4点を大事にしようと考え、『見える化、聞ける化、言える化、やってみる化』を行動指針として定めました」

これらを定めた上で、清水社長は約220名の全社員と面談して経営ビジョンを伝えるとともに、皆が何を課題として考えているかについて話し合い、その内容を事業や組織、財務など6テーマに分類し、それぞれ課題の整理と解決に取り組んでいきました。

こうした取り組みや近年の値上げ効果もあって、社長就任後の三立製菓は順調に売り上げと利益を伸ばしています。しかし原料価格や人件費の持続的な上昇や、地政学や環境の問題等を考えると従来のままでは生き残れないと清水社長は危機感を強めています。

「現在の強みを磨きつつ、新たなビジネスモデルを探る両利きの経営をやっていこうと社内では話をしています。最近は経済団体で知り合ったアイスメーカーと『やっちまおう!』と意気投合し、社内の新規開発プロジェクトメンバーが苦労を重ね、23年に静岡県と愛知県東部のセブンイレブン限定で『源氏パイアイス』をテスト販売しました。これが想定を上回る反響で即日完売する店舗も出るほどで、24年にはエリアを拡大して販売を行い、お客様から大変好評を得ています。他社の経営資源も借りながらこうしたチャレンジをどんどん行って、商品の高付加価値化や販路の拡大に取り組んでいきます」

清水 康光 氏(しみず やすみつ)

三立製菓株式会社
取締役社長

獨協大学経済学部卒業。1996年三立製菓に入社し営業部配属。1999年から企画開発部にて商品企画に従事。2010年企画課長、2017年企画開発部長、2020年専務取締役。2021年取締役社長。

[編集] 一般社団法人100年企業戦略研究所
[企画・制作協力]東洋経済新報社ブランドスタジオ

経営戦略から不動産マーケット展望まで 各分野の第一人者を招いたセミナーを開催中!

ボルテックス グループサイト

ボルテックス
東京オフィス検索
駐マップ
Vターンシップ
VRサポート
ボルテックス投資顧問
ボルテックスデジタル

登録料・年会費無料!経営に役立つ情報を配信
100年企業戦略
メンバーズ