東京鳩居堂、360年超の“借家住まい”の精神
~宮中御用の合わせ香と、受け継がれる香りの営み~

目次
株式会社東京鳩居堂は、1663(寛文3)年に創業した鳩居堂を祖としており、お香や書画用品の老舗として、江戸時代から現代に至るまで日本の伝統文化を静かに支え続けてきました。格式と信頼を守りながらも、時代の変化に応じて進化を遂げてきた同社。現社長・熊谷道明氏が語る、受け継いできたもの、そして変えてきたものとは。老舗が守り抜く信念と、未来へのまなざしに迫ります。
薬からお香へ――文人墨客と深まった多角的展開
株式会社東京鳩居堂(代表取締役社長・熊谷道明)は、1663年、京都寺町の本能寺門前で創業した薬種商「鳩居堂」を源流とする老舗です。1942年に鳩居堂が分社化して誕生しました。鳩居堂の創業者・熊谷直心(くまがいじきしん)氏は、平安から鎌倉時代に活躍した武士・熊谷直実(くまがいなおざね)から数えて20代目の子孫とされ、儒学者・室鳩巣(むろきゅうそう)が命名した「鳩居堂」の屋号を掲げました。屋号の由来は、中国最古の詩集といわれる『詩経』の一節「維鵲有巣、維鳩居之(これカササギの巣あり、これ鳩之に居る)」にあり、店を先祖や世間からの“借り物”として慎ましく守る「借家住まい」の精神が込められています。
当初は薬種商として始まりましたが、やがて薬と共通する香料原料の知見を活かして薫香線香を製造するようになり、さらに薬種原料と同じく中国から輸入した書画用文具の取り扱いが契機となって、筆や墨の製造にも乗り出しました。池大雅(いけのたいが)、頼山陽(らいさんよう)、田能村竹田(たのむらちくでん)といった文人墨客との親交を深めながら、製品は芸術文化と結びついていきました。
熊谷社長は語ります。
「薬と香りの調合は非常に近しいものがあり、香りへの転用は自然な流れだったようです。筆墨の研究も、中国製をしのぐ品質を目指し、頼山陽先生の指導で改良が重ねられたと伝わっています。“香りと文”は、鳩居堂の両輪のような存在です」
鳩居堂が受け継ぐ宮中伝来の合わせ香
――特別な香りのレシピ
鳩居堂が受け継ぐ香りの中でも、とりわけ特別なのが「宮中御用の合わせ香」です。これは1877年、太政大臣・三條実美から当時の当主が正式に伝授された秘方であり、平安朝以来、宮中で900年以上も使われてきたとされます。
「当家の香り作りが朝廷に認められ、正式に受け継ぐことになったと伝えられています。“合わせ香”という名のとおり、複数の香りを調合する技法で、今でも当社の煉香(ねりこう)に息づいています。長い歴史の中で培われた、重みのある香りです」
この宮中伝来の合わせ香の1つに、六種(むくさ)の薫物の「黒方(くろぼう)」と呼ばれる煉香があります。熊谷社長がこの香りに初めて出合ったのは、幼少期でした。祖父の家を訪れた際に漂っていた香りに、深く心を動かされたと言います。
「祖父の家では、ストーブの上に小さなお皿が置かれていて、その上で黒い粒が静かにくすぶっていました。あの香りが“黒方”だと知ったのはだいぶ後ですが、あのとき感じた香りの印象は今でもはっきり覚えています。どこか緊張感がありながらも落ち着く香りでした。香りは本当に記憶に直結するものなのだと実感しました」
現在、熊谷社長は、社長としての1日をこの“黒方”を焚くことから始めているそうです。
「祖父の家の記憶と結び付いていて、身が引き締まるのです。私にとって、仕事の始まりとはこの香りと共にある時間なんだと思っています」
「川の流れのように変化し続ける」
――変わらぬ“理念”と変わり続ける“形”
鳩居堂は“変わらない老舗”というイメージを持たれがちですが、実際には時代の流れに応じて常に変化を重ねてきました。
「私どもは、外から見ると変わっていないように見えるかもしれませんが、実際は“川の流れ”のようなものです。水は障害物にぶつかれば形を変えて進む。でも、外から見れば同じ川に見える。鳩居堂の歩みもまさにそれだと思っています」
伝統を形式として保つだけでなく、時代に合った形で継承していく。その柔軟性が鳩居堂の長寿の源となっているのです。
屋号の「鳩居堂」は、“借家住まい”の精神を表しています。頼山陽が記した「鳩居堂記」では、4代目当主が「なぜ長く続いているのに借家住まいという名なのか」と問われた際、「商売は自分の物ではなく、先祖そして世間からの借り物、預かり物」という理念が説かれています。
熊谷社長もこの考えを大切にしています。 「先代からは、『人の気持ちを考えなさい』と言われてきました。人というのは、関わる人や地域など多様なステークホルダーを指しています。合わせ香を守り伝えるのも、自分たちのためではなく、お客様や社会に役立てるため。そこに鳩居堂の姿勢があると考えています」
銀座に根差す老舗の姿

鳩居堂が銀座の地に拠点を構えたのは、明治初年のことでした。もともとは宮中御用を勤める必要から、東京・銀座尾張町、現在の銀座5丁目に木造平屋建ての出張所を開設したのが始まりです。この建物は、1868年に外国人が建築したとされるもので、当時としては非常に先進的な造りだったと伝えられています。
以来140年以上にわたり、銀座の中心でのれんを掲げ続けてきた鳩居堂は、昭和、平成、令和と時代が移り変わる中で、文化と伝統の香りを街に漂わせてきました。戦争や震災、都市開発による大きな変化を経験しながらも、銀座本店は幾度となく改築や修繕を重ね、今ではお香や文具を通じて国内外の来訪者を迎える場となっています。
この銀座という特別な街の中でも、鳩居堂は古くから銀座通連合会や銀実会という商業者団体に参加し、街づくりや地域文化の担い手としての役割を果たしてきました。それぞれの団体は銀座で商売を営む事業者によって構成されており、他団体とも連携しながら、四季折々の街の演出や商業環境の整備、地域との関係構築などを進めています。
「銀座の中で鳩居堂があるべき姿とは何か。お店の一部であるだけでなく、街の文化の一部としてどう存在するかを考えてきました。お香や文具という商品を通じて、お客様だけでなく、街を訪れる方々の日常にも穏やかな時間を届けられたらと思っています」
都市のど真ん中にありながら、喧騒とは一線を画す静けさと品格。そのたたずまいは、銀座という街そのものが内包する文化的深みの象徴ともいえる存在です。
次の100年へ――伝統の継承と新たな香りの創造
1995年には工房を一新し、伝統的な手作業と生産自動化工程の融合を実現するなど、技術革新も進めてきました。しかし、根底には「先祖の教えを守り育てる」という信念が脈々と流れています。
「伝統を守るとは、決して変えないことではありません。香りも現代に合う形でアレンジし、日常に取り入れられる工夫を重ねています。海外の方にも楽しんでいただけるよう、伝統の香りを現代的に翻訳していくことも私たちの使命です」
さらに熊谷社長は、歴代当主が担ってきた社会的役割にも思いをはせます。1850年前後、4代目・熊谷直恭(くまがいなおやす)は「有信堂」という種痘所(天然痘の予防接種や治療を行う医療機関のこと)を設けるなど社会奉仕に尽力し、コレラ対策にも奔走しましたが、1859年、自らもコレラに倒れて生涯を閉じました。
「薬種商として公衆衛生に貢献した誇りは、私たちにとっても大切な精神的遺産です。香りという文化も、心の健康に寄与するものであり、社会との接点をこれからも大切にしていきたいです」
360年を超える歴史を重ねた鳩居堂の歩みは、まさに“香り”そのものです。目には見えずとも、確かにそこにあり、人の記憶と感情に優しく触れてくる。
今もなお、銀座の街角に漂う高貴な香りに、過去の営みと未来への決意が重ねられています。その香りは、今日も誰かの心に静かに届いていることでしょう。

お話を聞いた方
熊谷 道明 氏(くまがい みちあき)
株式会社東京鳩居堂 代表取締役社長
360年の歴史を誇る、お香、書画用品、和文具の専門店「東京鳩居堂」の十四代目社長。
[編集]一般社団法人100年企業戦略研究所
[企画・制作協力]東洋経済新報社ブランドスタジオ