逆境こそ0から1を生む原動力
~孫正義氏・北尾吉孝氏から学んだ経営者の志、恩義、そして責任【前編】

目次
“初期投資ゼロ”の設備導入サービスやプロモーション支援、電子雑誌「旅色」などを手掛ける株式会社NEXYZ.Group。同社の近藤太香巳社長は1987年に19歳の若さで日本電機通信(現NEXYZ.Group)を創業。ネット接続サービス「Yahoo! BB」の販売などで成長を遂げ、2004年には37歳で当時最年少の創業社長として東証1部上場を果たしました。成功に至る過程では、ソフトバンクグループ会長兼社長の孫正義氏や、SBIホールディングス会長兼社長の北尾吉孝氏らと深い親交を持ち、多くを学んだといいます。近藤社長に企業経営の信念や覚悟、逆境をチャンスに変える力の秘密、孫氏・北尾氏から学んだ実業家としての心得などを語っていただきました。
無知だからこそ挑戦できた〜若い起業家に伝えたい「まずは離陸せよ」
私は18歳で営業の世界に入り、19歳の時に起業しました。1987年5月のことで、当時はまだ「ベンチャー」や「アントレプレナー」といった言葉すら一般的ではなく、同年代で創業しようとする人は誰もいませんでした。「何も知らない若造が、事業などできるか」と風当たりは強く、完全にアウェイ状態でした。
当時は「会社法」施行前で、株式会社の登記には資本金が1,000万円、有限会社をつくるにも300万円が必要でした。ところが私はそのルールをまったく知らず、50万円を元手に創業しました。今思えば、はっきり言って無知で無謀です。でも若い頃は、無知こそが無敵とも言えます。世の中のルールを知らなかったからこそ、最初の一歩を踏み出すことができたのだと思います。
だからこそ私は、起業を考えている若い世代に「考えすぎると動けなくなるよ」と強調しています。むしろ動きながら考えた方がいい。飛行機に例えるなら、仮に片方のエンジンしかなくても、離陸できるならとにかく飛び上がってみなさいと。空想の中では何も解決できないからです。飛んでみて、その先に見える景色の中で課題解決したほうが生産的だし、得られる学びも大きい。
企業経営では「何のために、いつまでに、どのように、誰が、何を成し遂げるのか」という明確なマイルストーンを打ち出し、それに基づいて一つひとつのミッションをクリアしていくことがとても重要です。でも19歳の頃は違いました。マイルストーンどころかビジョンもまだ曖昧で、それでも「自分たちはきっと何かできるはずだ」という根拠のない自信を持ち、暗闇の中に希望を見いだして進んでいきました。振り返れば、それこそがベンチャー精神であり、ベンチャー企業ならではの強みだったのかもしれません。
起業時の壁は「大人たち」〜超一流の仕事で驚かせる
起業した当時、私にとって最大の壁は周囲の「大人たち」でした。私に向けられるのは批判や非難の声ばかり。その逆風を乗り越える必要がありました。
おそらく三流とは「期待もされない人」、二流は「期待されても応えられない人」、一流は「期待通りのことをしっかりやる人」を言うのだろう。では私はどうすべきか。これだけの逆風下で成功するには、「一流」でもまだ足りないはずだ。ならば「超一流」を目指そう!そう考えたのです。
超一流とは、私の定義では「期待されていないことをやり遂げて驚かせる人」です。創業間もない会社に銀行はお金を貸してくれないし、当時は自分のような若造を応援してくれる投資家もいません。飲食店に例えるなら、限られた資金では三流立地の居抜き物件しか借りられないでしょう。しかし、もし雑居ビルの奥にあるような小さな店に、突然大行列ができていたらどうでしょう。「なぜ、こんな場所に?」と人は驚きますよね。例えば「ここの親子丼がすごくうまい」などと評判になれば、やがて誰かが近づいてきて「こんな立地じゃもったいない、資金を出すからもっとよい場所でやろう」と言ってくれる。このような最初のブレークポイントは、自分で生み出さなければならない。0から1をつくるのが実業家の役割だと思います。
私は当時、「お金があったら成功するのに」という言葉を絶対に口にしませんでした。資本家の役割は、すでにあるお金を増やすこと。これに対し実業家の任務は「0から1を生むこと」です。もちろん大変でしたが、資金がなかったからこそ、どうすればうまくいくのかを考えに考え、知恵を絞った。絞り切った最後の一滴にひらめきが宿る、といった感覚でしょうか。実際、人間は追い込まれたときこそ必死に考えるものです。ピンチのときにくじけるか、何とかしようと踏ん張るか。その差が実業家としてのその後の明暗を分けるのだと思います。
志の大切さを教えてくれた孫正義氏、恩と覚悟を授けてくれた北尾吉孝氏
ソフトバンクグループ会長兼社長の孫正義さんと、SBIホールディングス会長兼社長の北尾吉孝さんの話をしましょう。
孫さんという人間のすごさ、すばらしさは、何といっても圧倒的なスケール感にあります。誰も想像できないような規模の構想を、当たり前のようにぶち上げる。幕末維新の時代に日本で革命的なムーブメントを主導した坂本龍馬のような存在だと私は本気で思っています。志の高さが桁違いなんですね。
私は5年間、Yahoo! BBの販売プロジェクトで孫さんと毎日のようにご一緒しました。そこで得た学びは計り知れません。特に経営者にとって「志の高さ」がどれほど大切か、身をもって知ることができました。孫さんの周囲では、つねに「それは無理でしょう」という声が上がりますが、それを何度も覆してきたのが孫さんです。メディアが仮にネガティブに報じても、「でも孫さんだから、きっと成し遂げるだろうな」と思ってしまう。そう感じさせるだけの力を持つ経営者だと思います。
一方、北尾さんは私にとって恩人であり、生涯の恩師です。じつは当社は、2000年に東証マザーズ上場の承認を得ていましたが、直前になってITバブル崩壊で経済・金融情勢が急変し、上場予定のわずか2週間前に承認が取り消されました。ショックだったのはもちろんですが、さらに深刻だったのは金融機関が一斉に融資を引き揚げてしまったことです。上場後の成長に向けて資金調達を前提に複数のプロジェクトを進めていたため、資金があと数カ月で尽きる、という状況にまで陥りました。
そのとき、全面的な資金支援を約束してくださったのが、当時ソフトバンク・インベストメント社長だった北尾さんです。直接お会いできたのはわずか15分。しかしその場で、30億円の出資を即決してくださいました。その資金によって会社は持ち直し、2年後にナスダックジャパン上場、さらにその2年後には東証1部上場へとつながったのです。北尾さんがいなければ、私たちは今ここに存在していないでしょう。
後で知ったのですが、北尾さんは投資判断の最後に必ず候補企業の経営者と会い、人物を見極めるのだそうです。つまり面談の時点で、出資してもらえる可能性はすでに高かったのでしょうが、私はそんなことは知らず、短い時間の中で必死に語りました。この会社で何を目指すのか、どんな未来をつくりたいのか、死に物狂いで挑んでいる姿勢を見抜いていただけたのだと思います。
その場で即決いただいた瞬間の驚きと感動は、今も鮮明に覚えています。さらに、そのとき北尾さんからいただいた言葉も、今も胸に刻まれています。
「君の眼は輝いている。いつまでも青きロマンチストであれ」と。
その本意はもちろん北尾さんしかわかりませんが、ピンチの中でも私の眼に輝きを感じ、夢に挑もうとしていると評価してくださったのではないでしょうか。
「義理」は結果で返せます。実際、30億円の出資から数百億円のリターンを生み出すことができました。けれど「恩」は一生返せない。だからもし北尾さんから何かを頼まれたら、私の返事は「はい」か「YES」か「御意」しかありません(笑)。それほどの恩人なのです。
経営者へのメッセージ〜「すべては社長の責任」と捉えることの大切さ
最近、「不確実性の時代」という言葉をよく耳にするようになりました。たしかに世の中の先行きが見通しにくく、人手不足に物価高と、経営環境が厳しくなっているのは事実です。そんな中で、日本の多くの経営者に伝えたいのは「すべては社長の責任である」ということです。会社が直面するさまざまな出来事を、自分の責任として捉えられるかどうかが重要です。事業がうまくいかないのも社長の責任。社員が辞めてしまうのも社長の責任。逆に、もし事業が順調に進んでいるならば、それは社員を含むみんなの手柄として共有すべきです。
意外に思われるかもしれませんが、「すべて自分の責任だ」とひとたび覚悟を決めてしまえば、不思議と気持ちは落ち着くものです。「あいつのせいだ」「あれだけ信用していたのに」などと誰かのせいにしているうちは、かえって精神的に追い込まれてしまいます。責任のベクトルを自分に向ける。すべてを自分が負うと覚悟を決めることで、経営者はむしろ強くなれる。経営者にとって欠かせない大切な姿勢だと考えています。
(後編へ続く)

お話を聞いた方
近藤 太香巳 氏(こんどう たかみ)
株式会社NEXYZ.Group 代表取締役社長 兼 グループ代表
1967年生まれ。50万円を元手に19歳で日本電機通信(現NEXYZ.Group)を創業。34歳でナスダック・ジャパンへ株式上場し、37歳で2004年当時最年少創業社長として東証1部に上場。2015年には株式会社ブランジスタがグループ2社目の上場を果たす。「初期投資ゼロ」をサービスの基盤とするエンべデッド・ファイナンス事業、電子雑誌を中心とするメディア・プロモ―ション事業、日本経済の成長を加速させる企業応援プロジェクト「アクセルジャパン」など多様なビジネスを展開する。
2011年に次世代リーダー育成と経営者の地域間交流を目的とした一般社団法人パッションリーダーズを代表理事として設立し、会員数6,000名を超え日本一の団体に。情熱あるリーダーとしてビジネスパーソンや若者から圧倒的な支持を得ている。
[編集]一般社団法人100年企業戦略研究所
[企画・制作協力]東洋経済新報社ブランドスタジオ