城崎温泉全体の100年後を見据え、グランドデザインを描く
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本記事では、2020年10月29日開催のシンポジウム「THE EXPO 百年の計」 に登壇いただいた、経営者・経営学者の方のお話しをさらに深堀りします。
今回は、株式会社西村屋 代表取締役社長 西村 総一郎氏にうかがいます。
自社の繁栄には地域の繁栄が欠かせない
日本海にほど近い兵庫県の北端に位置する城崎温泉は、志賀直哉などの文人墨客も愛した関西を代表する温泉街で、2020年には開湯1300年を迎えた。70軒を超える老舗宿が軒を連ねる城崎で、創業160年の「西村屋本館」、そして「西村屋ホテル招月庭」を経営するのが株式会社西村屋である。7代目当主の西村総一郎氏は2011年11月、先代の父・肇氏に代わり代表取締役社長に就任した。
「その際に考えたのは、自分が退く時のことでした。例えば、それが35年後だとして、豊岡市が作成した人口見通しを見ると、当時は1対2だった現役世代と65歳以上の人口比が、35年後には1対1ぐらいになることがわかりました。地域と旅館は一蓮托生です。その時に、誰にバトンを渡すかはともかく、地域をきちんとした状態にして会社を引き継ぎたいと強く思ったのです」
父の肇氏は、城崎町が豊岡市と合併した際の最後の町長で、城崎町商工会長も務めたほか、若いころから地元の温泉組合の役員として地域の発展に力を注いだ。そして、すでに1990年代には人口減少、とりわけ少子高齢化こそ社会に最も悪影響を及ぼすと主張していたという。
「父からは、“事を悲観的に考えて先手を打て”と教えられました。私が人口減少に対して強い問題意識を抱いていたのも、父の危機感をしばしば耳にしていたからだと思います」
西村屋では、2006年に特別養護老人ホームを中心とした社会福祉法人を設立、運営している。それは、社是の一つに掲げている「地域貢献」の実践であると同時に、高齢者を預かる施設を作ることで地域の活力を高めることを目指してのことである。
単価を上げることが業界の課題解決につながる
西村社長は就任以来、年間60万人前後で推移していた城崎全体の宿泊客を80万人に増やすなどの具体的な数値目標を掲げ、城崎温泉の振興に取り組んできた。一方、自社の事業においても、西村社長自身が「売上拡大路線」と語る戦略を進めている。
その一つがインバウンドを増やすことで、外国人客の比率は2019年時点で「西村屋本館」では20%強、「西村屋ホテル招月庭」では7%となり、大きく伸びている。インバウンドの増加は稼働率の向上にもつながっている。これは、豊岡市と二人三脚でインバウンド増加のための活動を積極的に進めたほか、従業員に外国人を雇用して情報発信に力を入れるとともに、海外の旅行博への出展や海外アライアンスへの加盟などによって、海外における城崎自体の認知度を高めることができた成果だという。
そして売上拡大のもう一つの戦略が、基本宿泊単価のアップだ。西村社長が「需給の関係を注視しながら、“勇気をもって”かなり上げてきました」と振り返るように、2013年からの6年間に2館平均で約22%の単価のアップを実現し、それに伴い売上も約25%伸びた。
単価のアップは、西村社長が指摘する日本の観光業界が抱える課題の解決とも関連する。
「旅館やホテルには収益性が低いところが多く、それゆえ従業員の給料も安いのが現状です。また、宿泊業と飲食業は最も生産性が低いと言われますが、その理由の一つは、やはり単価が安いからです。そのため私は、生産性、稼働率、単価を上げることで従業員の給料を上げようと取り組んできました。全産業の正社員の平均年収よりは低いものの、当社では400万円にすることを一つの目標にしています」
このほか西村屋では、この15年の間に、従業員用の集合住宅(家族用、単身者用)や男女の独身寮を次々と新設するなど、従業員の住環境の整備にもかなりの投資をしている。これは、利益を従業員に分配することが地域の定住人口増と活力の維持につながるという理念に基づいたものだ。
未来志向の構造改革で生産性向上を図る
生産性向上のために西村屋が取り入れたことは、ほかにもある。例えば、売上高を向上させながらも、休館日を増やしたり、日帰り利用客の受け入れをやめたりするなどして、従業員の業務負担を軽減している。また、宿泊業の生産性の低さの一因と批判されることもある部屋食を文化として守るために、デジタル技術を活用して利用客のニーズにマッチした宿泊係を自動的に割り振るといった工夫も取り入れている。
なかでも近年、生産性向上に成果を上げているものとして西村社長があげるのが、流通の大幅な見直し、すなわち旅行代理店等に過度に依存しない直接販売のシェアアップである。
「以前は旅行代理店に半数以上の客室を預けて販売していただいていたのですが、たとえ売れ残って返室された場合でも、それに対する補償のようなものはありません。これは、我々の業界の不思議な慣習です。そこで、旅行代理店に委託する客室数を減らし、その分を自前で売る努力を続けることで、販売手数料を大幅に削減することができました」
そうしたいわば構造改革は、新型コロナウイルスの感染拡大により大きな影響を受けた2020年にも行なわれた。7月の観光支援事業「Go To トラベルキャンペーン」のスタートに合わせて開設された、ホテル・旅館の直販予約ポータルサイト「STAYNAVI(ステイナビ)」。同サービスを経由してホテルや旅館の公式サイトで宿泊を予約すれば、OTA(オンライン・トラベル・エージェンシー)や旅行代理店を経由せずに割引やクーポンの発行を受けることができる。西村社長は宿泊業界団体を介してこのサービスの導入に携わったほか、次のような展望を描いている。
「『Go To トラベルキャンペーン』で得た知見を活かして、新しい業界の流通の仕組みを提案したいと思っています。具体的には、私たち宿泊施設のホームページ上でも、1次交通(新幹線や飛行機等)が手配できたり、2次交通(現地に移動してからの交通手段)や体験メニュー等を販売できたりしないかを検討中です。また、キャッシュレス決済の普及により近年急増し、当社で年間数千万円にも及ぶクレジットカード決済手数料を少しでも減らせればと考えています」
こうした未来志向の取り組みは、単に自社のためだけでなく、観光業界全体の生産性と地位の向上を願ってのことである。
危機にあっても、意義のある投資は積極的に
とはいえ、新型コロナウイルスによる影響は小さくなく、西村屋でも今期の業績は落ち込むことが予想されるという。だが、そんな厳しい情勢にあって、西村社長はあえて設備投資を検討している。
例年春から秋にかけて入るインバウンドの予約が、2021年分はほとんど入っていないことを逆手に取り、欧米客向けの高価格帯客室への改装、食事スペースの整備、本館のエレベーター設置などを計画しており、いずれ増えるであろうインバウンド来訪に備える。
「経済対策の一環として、観光庁ではバリアフリー対応など、ハード面での投資支援を打ち出しています。単に規模を拡大する気はありませんが、マンパワーの省力化や宿としての魅力を高める高品質化には投資してもいいと考えています」
また、駅前通りに店を構えていた取引先の小売店が廃業したのを機に、その建物を取得することも予定している。ただしこちらは自社のためではなく、城崎の温泉街としての魅力を高めるための投資だ。
「城崎は“文学の街”であるにもかかわらず、今ではあまりその香りがしません。そのため、運営に人手をかけない形で、文学の香りがするような施設にしたいと思っています」
100年先を見据え地域をグランドデザイン
町是は「共存共栄」であり、まち全体が一つの旅館――。城崎の人々が共有するこれらの概念は、1925年の北但大震災によって壊滅的な被害を受けた際、みずからの土地の1割を無償提供し合って区画を整理し、まちを再建したことに端を発している。この意識は、1950年代半ばに各旅館に温泉が配湯されるようになってからも変わることがなく、大浴場の浴槽容量を収容人員に応じて制限するなどのルールを設け、源泉と外湯を守っている。
「“まちを売ることが我が旅館を売ることである”という意識が染みついているので、どの経営者も、自分の商売とまちに関する仕事を半々にしています。そのため、世代を超えた横の連携が非常に強いのも我々の特徴です」
そう話す西村社長が就任後まもなくから取り組んできたのが、みずから「ライフワーク」と呼ぶ新しい交通政策だ。浴衣姿でそぞろ歩きをし、外湯をはしごするのが城崎の名物であるものの、まちの中は車の往来が激しい。宿泊客がゆったり歩けるようにするには、まちの中の交通量を大幅に減らす必要がある。新しい交通政策とは、まち外れに大きな駐車場を作り、宿泊者はそこに自家用車をとめ、公共のEV(電気自動車)バスで宿に移動するというもので、西村社長は「城崎温泉交通環境改善協議会」の会長として、住民の意見集約を図っている。
「まちの中には小さな駐車場がたくさんあり、それが不要になれば店舗など新たな投資が生まれます。いわば土地の有効活用です。また、パーク&ライドが実現できれば、宿の従業員たちがお客様の車を運んだり、駐車場に誘導したりする労力もかなり削減されます。この事業を中心にして、城崎の魅力を格段に向上させることで、西村屋を含め城崎温泉の将来像が描けるのではないかと考えています」
大震災と、その復興からもうすぐ100年。西村社長は、次の100年を見据えたまちの新たなグランドデザインを、ともに地域の繁栄を願う仲間たちと進めている。
お話を聞いた方
西村 総一郎氏
株式会社西村屋 代表取締役社長
1974年兵庫県・城崎温泉の旅館西村屋の家に生まれる。97年早稲田大学を卒業後、アサヒビールに入社。2000年西村屋に入社、11年社長就任(7代目)。食事は部屋食にこだわるなど、「心からくつろいでいただける場をつくる」という旅館の原点を大切にする。「まち全体が一つの旅館」という考え方が伝統の城崎を世界的な観光地にするため旗振り役として活躍。全旅連青年部長、豊岡市基本構想審議会委員などを務めるほか、21年4月開学予定の兵庫県立芸術文化観光専門職大学の設立にも関わった。