THE EXPO 百年の計 (第14回) 開催レポート

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目次

令和2年10月29日(木)、第14回目の開催となる「THE EXPO 百年の計」をオンライン配信にて実施しました。

創業100 年以上の企業が約3万3000 社、創業200 年以上に至っては世界全体の半数以上を占める日本。
国の資産であり、国力の源泉ともいえる長寿企業の根幹にはいったい何があるのか?
組織の姿は近年、大きく変わってきています。例えば、多くの人が一カ所に集まるかつての姿から、
分散した個がデジタルネットワークでつながる組織へ。それにともない、必要とされる人材像も変容しつつあります。
今後、「人と組織」はどう進化し、それは企業の盛衰にどう関わっていくのか。
著名な経営者を迎えて開催したオンライン・シンポジウムの内容をレポートします。

プログラム

特別スピーチ

堀内 勉(株式会社ボルテックス 100 年企業戦略研究所 所長)

基調講演

唐池 恒二

九州旅客鉄道株式会社(JR九州) 代表取締役会長

パネルディスカッション

岩田 松雄

株式会社リーダーシップコンサルティング 代表

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末松 弥奈子

株式会社ジャパンタイムズ 代表取締役会長兼社長

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西川 八一行

西川株式会社 代表取締役社長

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西村 総一郎

株式会社西村屋 代表取締役社長

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モデレーター

川上 恒雄

株式会社PHP研究所 理念経営研究センター 首席研究員

特別スピーチ

堀内 勉
株式会社ボルテックス100年企業戦略研究所 所長
多摩大学社会的投資研究所 教授

「この国に、一社でも多くの100 年企業を」―ボルテックスでは、この思いから社内シンクタンク「100 年企業戦略研究所」を設立し、世界のどこよりも日本に数多く存在する長寿企業の強さの本質に迫る「百年の計プロジェクト」を推進しています。14回目となる本日のシンポジウムは、前回の9月に続きオンラインでの開催となり、全国各地から多くの方にお申し込みをいただいています。

コロナ禍(か)に見舞われた2020 年は、日本はおよそ8年ぶりの首相交代を経て、菅新政権が新しい成長戦略を打ち出しました。同盟国アメリカも大統領選挙があり、ともに激動の年となっています。

世界的な歴史学者・哲学者ユヴァル・ノア・ハラリ氏は近著『緊急提言 パンデミック』の中で、世界に不和や敵意が満ちている今は転換期であり、ナショナリズムや孤立主義に陥ることなく、科学技術を信じ世界的連帯を選択すれば、後世に高く評価されるだろうと述べています。本シンポジウムが皆さまの事業継続と、この転換期をともに乗り越えるための一助となることを願ってやみません。

基調講演

逆境と夢は人と組織を強くする
唐池恒二 九州旅客鉄道株式会社《JR九州》 代表取締役会長

「逆境力」は、全員が危機感を共有することから生まれる

JR九州は、発足から34年目の若い会社です。「100年を生き抜く」などといったテーマについて私がお話しするのはおこがましい気もいたしますが、つぶれそうな会社が立ち直ったという経験は皆さまにとってご参考になることもあるかもしれないと思って、講演をお引き受けした次第です。

今日は、当社の社員全員が夢をみることで逆境に立ち向かい、成長と進化を遂げてきたという話をさせていただきます。逆境と夢が、JR九州の人と組織を強くしたと私は思っています。

当社の逆境は1987年の国鉄民営化に始まります。毎年1兆円もの赤字を出していた国鉄は7分割され、それぞれが自助努力をすることになりました。 ところが各社にはスタートから大きな格差があったのです。ドル箱路線を持つ東日本、東海、西日本の3社が順調なスタートを切ったのに対し、「3島JR」という屈辱的な呼称がつけられた北海道、四国、九州の3社は、赤字の元凶だった地方ローカル線のほとんどを抱えていたのです。当社の初年度の鉄道事業の決算は、収入が1069億円で赤字が300億円。しかも、鉄道以外の事業経験はほぼなし。

しかし当社には、社長以下全社員が危機感を持って逆境に立ち向かい、乗り越える「逆境力」があったのです。当時30代前半だった私も、「何かをしなければ」と燃えていました。

九州新幹線開業前日に下した厳しい決断

逆境に立ち向かう中で、当社は3つの大きな夢をみました。「九州新幹線」「ななつ星 in 九州」それと「株式上場」です。

まず、1つ目の「九州新幹線」。国鉄時代の1973年にいったん整備計画が決まったもののその後頓挫 、社内にも「新幹線は無理」というムードがありました。JRのスタート時も、九州を走るにもかかわらず博多から小倉までの新幹線はJR西日本の所有になり、儲かる路線を持つことができませんでした。

しかし、それがよかったのだと思います。人でも組織でも、順調な時は持てる力の半分程度しか出しません。でも苦しい時は何でもやる。100パーセントを超える力が出るのです。

そのままでは早晩つぶれる運命だったJR九州は、鉄道事業だけに頼っていてはいけないと考え、発足から2年後に船舶事業を、その後、外食、流通、マンションなど様々な新規事業を手掛けました。鉄道事業も次々に改革していきました。

そうして構想から40年近くの時を経て、2011年3月12日に全線開業を迎えることが決まりました。当社にとっての、そして九州の人々にとっての悲願でした。

ところが開業前日に東日本大震災が発生、「国難」と判断した私は、ただちにすべての記念式典や祝賀会の中止を決めました。沿線自治体や民間団体がこの日のために3年も前から準備をしてくださっていたことを知っていただけに胸が痛みましたが、事は国難です。社員に命じて各所に丁寧に説明をし、理解していただきました。翌日、九州新幹線は静かに開業しました。

“世界一”という夢が人々の心を動かす

2つ目の夢は、「九州の7県を一つにした」と言われる「ななつ星」です。当社の発足後まもない頃のこと、営業本部副課長だった私は、知人から「九州に豪華列車を走らせたら大ヒットする」と力説され、興味をそそられました。しかし、お役所的な風土が色濃い当時の当社で、一介の副課長の提案が認められるはずもありません。私は、アイデアを温め続けました。

その後20年が過ぎ、社長就任の1週間後、主だった部課長を集めてこう言いました。「九州新幹線という夢の、次の夢をみよう。世界一豪華な寝台列車をつくろうじゃないか」。

“世界一” の合言葉は、多くの人々の心を動かしました。当社の精鋭ばかりを集めた車両製造の職人たち。小さな新聞広告を見て、世界中から集まってくれたサービスのプロ中のプロ。その中の一人は、「“世界一” という言葉に痺れました。世界一のサービスをしてみたいんです」と答えました。

「ななつ星」のデザインは、工業デザイナーの水戸岡鋭治(みとおかえいじ)さんにお願いしました。私が「世界一の豪華列車をつくりましょう」と呼びかけると、水戸岡さんも「実はぼくも同じ夢を持っていたんです」と大喜びで引き受けてくださいました。

水戸岡さんは“世界一” 実現のため、世界中の豪華寝台列車を研究し、神がかり的とも呼べるデザインが出来上がります。しかし、どこか“魂” が足りないと考えた水戸岡さんは、その魂を吹き込むため、有田焼の人間国宝、十四代酒井田柿右衛門(さかいだかきえもん)さんを訪ね、車内に作品を置かせてほしいと懇願しました。熱意に打たれた十四代は、「焼き物は使ってこそ魂が入る」と言うと、全客室の手洗い鉢の製作を提案してくださいました。

この時すでに末期がんを患っておられた十四代は、作品を8カ月かけて完成させると、納品を終えたわずか1週間後に亡くなられました。「ななつ星」が走り始める4カ月前のことで、まさに魂を「ななつ星」にくださったのです。こうして“世界一” に糾合した多くの人の力で2つ目の夢が実現しました。

3つ目の夢は「株式上場」。JR九州は長くもって5、6年だろうと囁かれていたことに発奮した私たちは、鉄道だけでは会社を存続させていけないという危機感を共有し、先に述べたように次々と新規事業に挑戦していきました。

現在、当社の連結決算では、鉄道以外の売上がおよそ3分の2を占めるほどに構造改革が進むとともに、鉄道事業の売上も発足時の1.5倍近くに伸ばしたことで、2016年10月、晴れて東証1部上場を果たしました。社員が夢を語り、その言葉に責任を持つことで、ついに夢を実現できたのだと思います。

人と組織の「気」を高める5つの法則

話を「ななつ星」に戻します。「ななつ星」は3泊4日をかけて九州を一周する列車旅行ですが、お客さまは旅の途中で感動のあまり何度も涙を流されます。さらに驚くのは、「ななつ星」を見ただけで泣く方がおおぜいいることです。列車に乗ってもいない、ただ見ているだけの方が泣かれるのはなぜなのでしょうか。それは、「ななつ星」にぎっしり「気」が詰まっているから――私には、そうとしか考えられません。

「気」というのはエネルギーです。「ななつ星」で言えば、開発段階から、運行を開始し今日に至るまでに関わったすべての人たちの思いや手間が「気」となって新たな価値を創造し、それが人を感動させるエネルギーに変わるのです。

気を高めるのは、次の5つの法則だと私は考えています。

「1 夢みる力」「2 スピードあるきびきびした動き」「3 明るく元気な声(挨拶や会話)」「4 スキをみせない緊張感」「5 よくなろう、よくしようという貪欲さ」

この法則が当てはまる組織には、間違いなく「気」が満ちてきます。例えばレストランや居酒屋。スタッフがきびきび動き、明るく元気な声で挨拶や会話をする店は繁盛しています。

当社では、上記の2と3について、10年ほど前から「行動訓練」という取り組みをしています。指差確認や「右向け右」などで、役員も加わって訓練します。機会があれば、当社の運転士が指差確認する姿を間近でご覧になってみてください。他のどの鉄道会社にも負けないと自負しています。

今日は、「夢みる力」が「気」を高め、それが感動を生んで夢をかなえてきたという私どもJR九州の経験をお話しさせていただきました。皆さまの経営のご参考になれば幸いです。

パネルディスカッション

未来を創る伝統の力
進化を続ける「人と組織」とは

長寿企業であっても組織の進化は必要

川上 今回のパネルディスカッションは“進化を続ける「人と組織」とは” というテーマで議論を進めたいと思います。まずは皆さんに自己紹介、自社紹介をしていただきます。

西川 私どもの創業は戦国時代の1566年で、今年が454年目、私自身は西川家の15代目当主になります。初代仁右衛門(にえもん)が近江地方で始めた布織物や蚊帳の行商が祖業で、その後様々な変化を遂げてきました。当社の根幹をなすのが、近江商人の「三方よし」の精神で、私自身は先代から「伝統とは革新の連続である」という教えを受けました。現在は新しい眠りのソリューションカンパニーとして、「よく眠り、よく生きる。」をモットーに、多くの皆さまに最適な寝具を提供しております。

西村 城崎温泉で旅館「西村屋本館」と「西村屋ホテル招月庭(しょうげつてい)」を経営しています。城崎温泉の歴史は長く、今年開湯1300年、企業としても日本で4番目に古い創業1000年を筆頭に300年クラスも多数あり、当社も今年160年を迎えました。「地域社会に信頼される企業に」を社是の一つに掲げ、12年前に特別養護老人ホームを中心とする社会福祉法人も設立するなど、地域にしっかりコミットすることに力を入れています。

末松 当社は、創刊が1897年の、日本で最も歴史のある英字新聞『ジャパンタイムズ』を発行しており、私は経営に関わって3年になります。新聞社は、デジタル化の影響や、コロナショックによる外国人の来日の減少で厳しい経営状況に置かれています。しかし、デジタル化はチャンスも秘めています。私は、『ジャパンタイムズ』創刊当時の「日本人が伝えたい日本の今そして未来を正しく世界に伝える」という役割は、現在も変わっていないと思いますし、この役割を担う媒体は他にはないと自負しております。また、それとは別に、今年4月に日本で初めての全寮制の小学校 「神石(じんせき)インターナショナルスクール」を設立し、理事長兼校長を務めております。

岩田 私は最初に日産自動車に入り、13年間製造・購買や財務を担当し、途中2年間ビジネススクールに行かせてもらいました。
退社後は、外資系コンサルティング会社に2年、日本コカ・コーラに4年勤めました。その後、「プリクラ」で一世を風靡したアトラスというゲーム会社の社長をやり、70億円ほどあった赤字を約8億円の黒字までV字回復させることができました。そして、THE BODY SHOPを運営していたイオンフォレストでは売上倍増、スターバックス コーヒー ジャパンでもV字回復させることができました。スターバックスでは(本シンポの趣旨のように)「100年後も輝くブランドにしたい」と自分なりのビジョンを掲げました。

岩田松雄 リーダーシップコンサルティング代表

川上 長寿企業として素晴らしい歴史をお持ちであっても、将来に向かって進化を続けていく必要があると思います。まず今回のテーマの一つ「組織の進化」について、西川では昨年(2019年)、西川産業、西川リビング、京都西川の3社を統合されましたね。その意図はどこにあったのでしょう。

西川 当社はもともと、近江から江戸に商売の拠点を移した後、京都、大阪(大坂)に支店をつくり長く経営を続けていました。ところが第二次世界大戦の直前に京都と大阪が法人化されます。戦争の惨禍によって事業が途絶えないようにと、会社をやむをえず分割したのでしょう。しかし、今後の社会貢献のあり方を考える上でも、世界を目指す上でも、複数の会社が互いの商品の価格などを気にしているようではいけないと考えました。そこで様々な株主の方々に、統合したいと粘り強くお願いをし、ご理解いただいて実現しました。ただ、各社の風土が残ったままでは何のために統合したのかわかりません。そこで、私どもが大事にしてきた「誠実・親切・共栄」という共通の社是をあらためて強調し、それぞれが反対の「不誠実・不親切・独りよがり」に陥らぬよう、組織の統合を進めています。

江戸時代から伝わる西川の社是「誠実」「親切」「共栄」

組織と人を動かすミッションの力

川上 末松さんは、内部からの登用ではなく、外部からジャパンタイムズの経営者に就任されました。伝統の長い会社、それも今後先が読めない新聞事業において、どんな取り組みをされているのでしょうか。

末松 当社はいい意味で新聞事業に非常にフォーカスしてきた会社なのですが、言い換えれば新聞以外に大きな事業がないということです。そのため、今のような大転換期にはとても経営が難しいのですが、その中で私がチャレンジしているのは、統合を進めている西川さんとは正反対で、各事業を分割して、「自分たちはそれぞれの分野でプロフェッショナルになろう」ということです。その一つがジャパンタイムズ出版。当社の中にあると小さな事業に見えたものの、外国人が大学で第二外国語として日本語を習う際の教科書として一番売れている『初級日本語げんき』という本を出版しているのです。非常に頑張っているので、昨年に別会社化しました。同様にこの9月には広告局を独立した会社にし、新規事業を手掛ける新会社も設立しました。様々な分野でプロフェッショナルを育て “日本” を発信していく方向に経営をシフトしています。

『ジャパンタイムズ』紙面

川上 岩田さんもいくつかの企業に外部から経営者として入られましたね。

岩田 合併や統合といえば、かつての新日鐵やみずほ銀行のように、一緒になる前の会社にはそれぞれの風土があります。そのため、西川社長がおっしゃるように、理念で結びつけることが大切です。それぞれのやり方を生かしつつ、一つの理念の下に結集しましょうと。末松さんのお話にしても、それぞれの事業に分けるべきとはいえ、「英語による正しい日本の紹介」といった軸になるもの、つまり哲学だけは守ってくれと。組織を統合したり変化させたりする際には経営理念、ミッション、社是といったものが非常に大事になるのではないでしょうか。

川上 西村さんの場合は、西村屋という企業体としてはもちろん、城崎というまち全体としても変わろうという観点から変革に取り組まれているように思います。

西村総一郎 西村屋社長

西村 城崎は1925年に北但(ほくたん)大震災に見舞われ、まち全体が焼けてしまいました。当時の西村屋当主で城崎町長だった西村佐兵衛が先頭に立ち、現在の城崎温泉のグランドデザインをつくっています。住民たちは自分たちの土地の1割を無償で提供し、それを元に区画をつくり直し今のまちができた。先人の血と汗と涙によってできたのが城崎です。町是は「共存共栄」、つまり“まち全体が一つの旅館” という意識でいます。現在、75軒の旅館が、「駅は玄関、道は廊下、宿は客室、土産屋は売店、外湯は大浴場」という哲学でまちづくりを進めています。

城崎町が豊岡市と合併した際、最後の城崎町長を務めていた私の父は、「城崎このさき100年計画」という長期ビジョンを策定しました。私自身も、城崎名物である浴衣姿での外湯めぐりが安全にできるよう、次の100年を見据えて車を少なくするまちのグランドデザインをつくろうと、まちの構造を変える事業に取り組んでいます。私は2011年に社長になった時、地域の人口動態に着目しました。当時の人口を現役世代と65歳以上で分けるとおよそ2対1でしたが、30年後の予測では1対1になる。やはり地域が持続可能でないと、地域とともに生きる私どもの商売が成り立ちません。そこで、まずはお客さまに多くお越しいただき、それによって定住人口を増やしていく。また、お年寄りを預かる施設がないと地域の活力が失われていくということで、先ほどお話しした特別養護老人ホームをつくった次第です。

城崎温泉の名物は外湯めぐりとそぞろ歩き(写真提供:豊岡市)

変わらないことがリスクという概念を共有する

川上 共存共栄という町是があるために、みんなで協力していこうと思えるのですね。すると、お互い競争しようという意識は薄いのでしょうか。

西村 そこがわれわれの特徴で、横、それに世代を超えた連携が非常にあります。「城崎を売ることが我が旅館を売ることである」という意識が染みついているので、道路をつくって新しい交通政策を取り入れようとなると、皆さん前向きで、ぜひ協力したいとおっしゃいます。こういう時、ふつうは総論賛成、各論反対になりがちなのですが。

川上 城崎温泉全体を売ることが、それぞれの旅館の繁栄につながるのだと。岩田さん、それも一つのミッションといえそうですね。

岩田 どの旅館も城崎温泉という集合体の一員なんだという意識ですね。近頃は、自己の利益だけを優先したり、あるいは政府や自治体が悪いと他責の意識が強くなりがちですが、自分たちの手で自分たちのまちを快適にする、それが自分たちの繁栄にもつながるという暗黙の了解が、まさにDNAとして、すべての旅館の経営者の方の身体の中にあり、それが代々受け継がれている気がします。

川上 末松さんは、現職に就かれる以前には、家業である海運造船業(常石グループ)の経営にも携わっておられました。ファミリー企業とは異なる新聞社に来られて、社内の雰囲気をどう感じていますか。

川上恒雄 PHP理念経営研究センター首席研究員

末松 気持ちよさを感じます。ダイバーシティが非常に進んでいるのが理由で、社内には、外国人も、活躍している女性もたくさんいます。私は、社員がさらに自由に活躍できる環境をつくりたいと思っています。また、新聞のデジタル化を進めると、読者が世界に広がるだけでなく、仕事に対する意識もグローバル化が進みます。これは当社にとって非常に大きなチャレンジです。従来のやり方では、成功は到底望めません。そのため、社員たちに「意識改革をしていきましょう」とダイレクトにメッセージを送りました。みな英語を使いこなせるグローバルな人材ばかりなので、私の意図はすんなり受け入れてもらえたと感じています。

川上 西川さんはかつて銀行にお勤めで、西川家には養子として入られたそうですね。組織の風土などを変えるには困難も多いのではないですか。

西川八一行 西川社長

西川 私がやりたいのは、事業のハイブリッド化です。つまり、海外の経営学の長所を取り入れつつ、日本的なよいところとミックスさせることです。私の銀行員時代の海外勤務経験から言うと、どの国でも、変化に対して不安を覚え、抵抗する人が多い。変化を起こすには、経営者みずからアイデアを出すことが大切です。西川家の当主は、実は15代のうち私を含め半分が養子という事情とも関わりがあると思いますが、「変えなければいけない」という意識を常に持っていて、「変えることが仕事」という感覚すらあります。私は27歳で入社し38歳で社長になりましたので、当然反発も多かった。その中で私はよく、代々の当主たちのチャレンジ精神を強調しました。例えば、初代が、近江からまだ発展し始めたばかりの江戸へ営業拠点を移したことや、2代目が蚊帳をわざわざ萌黄色(もえぎいろ)に染めて爽やかさという付加価値を加えたエピソードなどを取り上げ、「過去にもチャレンジしてきたんだ」という話をすることを通して変化への恐怖を取り除きながら、“動かないことのリスク”のほうが大きいという概念を社員と共有することを心がけています。

蚊帳を売る近江商人と、萌黄色に染めた蚊帳(西川)

川上 続いて今回のもう一つのテーマ「人の進化」について話を進めたいと思います。西村屋は、長年にわたり城崎で同族経営を続けられていますが、求める人材像という面では何か変えたことはあるのでしょうか。

西村 まず海外からのお客さまが増えたことで、語学力のある人材が必要になりました。20 ~ 30年前までは地元出身の社員ばかりでしたが、現在は様変わりし、海外に留学して日本の文化や生活環境のよさに気づき、それを海外のお客さまに伝えたいと入社した者もいます。こうした地域外出身の社員にも、城崎発展のミッションを担うべく、地域でしっかりと人生を過ごしてもらいたいと思っています。

ただ、社員に求めるサービスのやり方については、従来の日本の旅館のスタイルを堅持したいと考えています。いわゆる部屋食は手間がかかって効率が悪いと指摘されることもありますが、海外のお客さまからは、「〇〇さんにすごくいいサービスをしてもらった」「日本の文化について説明してくれるのは非常に素晴らしい」と、とても高く評価していただいています。

西村屋本館

日本のよさを理解した人材こそがグローバル

川上 岩田さんは、ここまで長寿企業の経営者の方々のお話を聞いて、人材に関して何か感じられたことはありますか。

岩田 議論にスパイスを加えるためにあえて言いますと、「ダイバーシティ」や「グローバル人材」という言葉には誤解されやすい面があります。登壇者の皆さんはもちろん理解した上で議論されていますが、ダイバーシティの本質は考え方の多様性であるはずなのに、ともするとジェンダーだとか外見の話になってしまいます。グローバル人材という言葉にしても、英語を話せるのが、すなわちグローバル人材という風潮があります。でも、そうではなくて、よき日本人であることこそがグローバル人材だと私は思います。外国の方へのおもてなしにしても、たんに英語を話せるだけでは不十分で、外国の方からすると思いもつかない日本的なサービスをすることができて初めて日本のおもてなしができるわけです。

川上 末松さんは、今後グローバル人材を育てていこうという考えをお持ちだと思います。現在取り組んでいる学校教育について、心がけていることはありますか。

末松弥奈子 ジャパンタイムズ会長兼社長

末松 日本という国と日本人を、もっと世界によく知ってもらわなければいけないし、そのための人材を育てることが大切だと思います。「神石インターナショナルスクール」を設立したのも、「日本のよさをしっかり理解した上で、海外で発信できるグローバル人材を育てたい」という思いからです。インターナショナルスクールでは、生徒は、「あなたの国はどうなの?」と必ず訊かれますし、一人一人が、「あなたは自分の国の小さな大使なんだよ」と言われて育ちます。海外発信のできる人材として育てるには、生徒に日本的なよさをよく知ってもらうことが重要だと考えています。

神石インターナショナルスクールは日本初の全寮制の文科省認定小学校

川上 ここで視聴者からの質問を一つご紹介します。「どんな組織形態が望ましいか」という質問なのですが、西川さんの会社ではいかがでしょうか。

西川 やはり理念が一番大事で、それを実行するためにベストな組織、人材を考えるべきだと思います。当社を例にとると、せっかくいい部分をたくさん持っているのに、組織構造があまり変わらないがゆえに、それらが十分に生かしきれていない側面があります。組織構造を少しでも変革できれば、持っているよさを存分に発揮できます。そうした変革は、私どものような歴史の古い会社でも、必ずできると信じてやっています。

川上 まだまだ議論は尽きませんが、最後にひと言ずつ本日の感想をお願いいたします。

西川 リーダーには、平常時にすごく有能なタイプと、危機の時に有能なタイプの2種類があると思うのですが、両者の考え方はしばしば対立します。現在のように先が見えず変化の大きい時代には、どちらか一方に極端に偏ることのないよう、考え方という意味でのダイバーシティをきちんと持っておくことが大切だと思います。

西村 私どもの事業は地域と一蓮托生ですから、次の世代にきっちり地域を残していかないといけません。そのために今やるべきことを大胆にやり遂げることが必要です。私は「継往開来(けいおうかいらい)」という言葉が好きで、引き継いできたものをさらに伸ばしていくことで未来への責任を果たしていきたいと考えています。

末松 先人の思いをしっかり受け止めて、次世代につなげていく。私たちは、その橋渡しとしての役割をしっかり果たしていかなければいけないと、皆さんのお話を聞きながらあらためて思いました。

岩田 経営というのは、つまるところは“人” です。環境が激変している今、一番大切なのは経営者もみずから学び続けることです。また、早くから後継の準備を始めないといけません。後継者を身内にするにせよ、社外の人にするにせよ、企業が100年続くためには、次、そのまた次とつなげていく人材育成が何よりも大切なのではないでしょうか。

川上 経営だけでなく、人材においても100年単位で考えながら、次につなげていくことが大切なのだと思います。それでは皆さん、本日はどうもありがとうございました。

シンポジウム写真:PANDASTUDIO.TV
商品・企業写真提供:各社

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