「❝しにせ❞は老いたらあかん」 常に新しさを求める姿勢が、不易流行の精神に繋がっていく ~100年企業の経営者インタビュー~

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今に受け継がれる半兵衛麸の商いに対する姿勢は三代目三十郎が学んだ石門心学を基としています。石門心学とは石田梅岩が町人の心を説いた『正直』『倹約』『勤勉』の三徳を基盤とするものです。この考えを今に受け継ぐ12代目・玉置社長に話を伺いました。

創業当時から続く、半兵衛麸の「先義後利」の精神

現当主11代目・玉置辰次氏が自著にて「先義後利」という言葉を取り上げています。一般的に「先義後利」は「道義を優先させて、利益を後回しにする。」という意味です。
しかし、現当主はその言葉を広い意味でとらえていました。

「普通は先義後利というと、義理が先にあってあとからお金が入ってくるというように考えますが、必ずしもそうではありません。お客様に喜んでいただける商品をご提供させていただき、そのお礼としてお代をいただいているんや、と言い換えると分かりやすいと思います。
また、私たちの考える“利”には、人としてみんなに認められるという意味も含まれています」

「先義後利」の“利”を単純に利益と見なさない姿勢は、3代目が石門心学を学び代々に受け継いでいた影響もあると玉置社長は明かします。

宮中料理にも用いられている半兵衛麸のお麸

明治36年 新しい製法で作った焼麸(花麸)で第二回内国博覧会にて三等賞を受賞(半兵衛麸)
内国博覧会等で数々の受賞

江戸時代に現在の和歌山県にある熊野三山より、御所の料理人として京に来ていた玉置半兵衛が、宮中で覚えた麸づくりの技術を修得。元禄2年、京の大徳寺近くの町でお麸屋を始めたのが半兵衛麸の始まりです。
初代が宮中の料理人として勤めていた縁もあり、現在に至るまでお麸を献上されているそうです。

戦争を経て、ご縁からの再建

戦時中、武器生産に必要な金属類の不足を補うために金属類回収令が制定されました。麸を作るための釜をはじめとした道具類を供出したうえに、食糧管理法により安定して小麦を手に入れることも難しくなりました。その影響を受け半兵衛麸は営業を休止しました。このような苦境下からも、引き継いできた製法と人々とのご縁をもって営業を再開できた過去があると玉置社長は語ります。

「戦争から復活できたきっかけは、お寺さんから注文を受けたことでした。生麸は釜と手(努力)と桶があれば作れます。父は兄弟に手伝ってもらい、知り合いの焼き麸屋さんの協力も得て、少しずつ再建していきました。そのうちお料理屋さんからも、また注文をいただくようになりました」

再建後、昭和50年代から小売業にも力を入れ、中央市場への出店を皮切りに、百貨店の催事にも出店するなど精力的に営業活動を続けた結果、今があるとおっしゃっていました。

幼いころから意識してきた事業承継

玉置社長ご自身は、お父様の経営を継ぐ確かな信念があったと語ります。

「子供のころ工場と家とが近く、手伝いは昔から当たり前のようにやっていました。父が昭和一桁生まれというせいか長子が家業を継ぐという意識が強い人でしたから、3姉妹の長女ということで後継者として育てられたように思います。また、周囲もそれが普通の環境でしたので、むしろ私が継がなかったら、この半兵衛麸、そして玉置家はどうするの?くらいに小さい頃から思っていたのだと思います」

認知度を広げる戦略から、ニッチな方向へ

京都でも外国人のお客様は増えています。しかし、玉置社長は外国人も日本人も大きな違いはないとおっしゃいます。
「あまり外国の方に向けて特別に何かを行う、といったことは考えていません。食に限ると外国の方も日本の方もそんなに差があるとは感じないのです。しかし、『こんな食べ方がありますよ』と提案型で広めていけるよう、お店を展開しないといけないと思っています。おいしいと思ってもらえるような食べ方をご提案して、楽しんで食べていただき、ご家庭でもお料理していただけるようにする。茶房や喫茶を開設したのは、このような思いからです。
また、こんなお料理もできますよということを和食屋さんだけじゃなく洋食屋さんや、中華、スイーツのお店などといった飲食店でもお使いいただけるような営業活動をしています」

お麸の新しい魅力を探求するセカンドブランド「ふふふあん」

5年前に立ち上げた半兵衛麸のセカンドブランド「ふふふあん」。社長自ら、命名から商品開発までを手がけています。

「新しい味のお麸を提供することを目的に立ち上げたセカンドブランドです。『スープ de お麸』というチーズやバジルを練りこんだ焼き麸や、『枝(えだ)』という抹茶やココアを練りこんだスティック状の焼き麸などを販売しています。「ふふふあん」でも生麸を提供してほしいという声もありますが、日持ちさせることが難しいので、現在はしていません。今後の展望としましては、生麸を冷凍した商品の展開も視野に知名度向上に取り組んでいきたいと考えています」

一般的に新しいブランドの立ち上げにはリスクが伴うといわれます。しかし、先代の理解もあり、スムーズに立ち上げました。

新たなチャレンジはGINZA SIXへの直営店出店

これまでも出店のお誘いがなかったわけではありません。しかし、それまで出店していなかったのは、お客さまのお声も踏まえての判断だったと玉置社長は語ります。

「半兵衛麸としては東京にお店がない方がいいと言われるお客様が多かったので、出さないという判断をしておりましたし、出すつもりもありませんでした。しかし、新しいお麸を広める、知っていただくためには何か仕掛けをしないといけないと思っていた矢先に、GINZA SIXのお話がありました」

商品開発のために行ったお麸に関するアンケートで「駄菓子のイメージ」という結果が一番多かったのが東京。普通に売っているだけでは広められない、何かできないものかと考えた答えが銀座という場所だったそうです。

「GINZA SIXの場合、『なぜGINZA SIXにお麸屋さんがあるの?』という驚きが、1つのきっかけになるのではないか。そう思ったのです。また、銀座という街には❝しにせ❞が多く立ち並んでいるので京都に近い感覚を覚えました。GINZA SIXにお麸の専門店が出店することは、ふふふあんの『お麸の新しい味』を提供するというコンセプトを実現するよい機会だと思いました」

新しいことに挑戦し続けることは、半兵衛麸の家訓「先義後利」と並ぶ、もう一つ「不易流行」の教えでもあると語ります。

「半兵衛麸では『老いた舗』という言葉は使いません。常に『新しい舗(しんみせ)』の気持ちを持って、新しいことに挑戦し、活気あふれるお商売をし続けなければなりません。それが『不易流行』。『不易』とは変わらないもの、『流行』とは移り変わるものにつながっているのだと思います」

代々受け継いできた商いの精神を変えることなく、時代の移り変わりに合わせたサービスを提供する。お客様に喜んでいただくことを第一に考えた新しい試みはまだまだ続きそうです。

お話を聞いた方

玉置 万美 様

株式会社半兵衛麸 代表取締役社長

京都市生まれ。1689年(元禄2年)創業の半兵衛麸12代目。幼少の頃から家業を手伝うなか、料理に興味を持ち、24歳で調理師免許を取得。お麸の新しい食べ方の発信や食育・京文化の伝承の活動のほか、しにせの精神についても講演活動を行なっている。京都市観光大使、おこしやす京都委員会、京都商工会議所青年部の役員などを歴任。主著に『京都 半兵衛麸のやさしいお麸レシピ』(淡交社)がある。

著者

株式会社ボルテックス 100年企業戦略研究所

1社でも多くの100年企業を創出するために。
ボルテックスのシンクタンク『100年企業戦略研究所』は、長寿企業の事業継続性に関する調査・分析をはじめ、「東京」の強みやその将来性について独自の研究を続けています。

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