世界の医療を100年支え続ける日本企業が「飛躍を継続」できる理由
目次
「顧客ではなく社会を見る」
現代のビジネスにおいて、飛躍する企業とそうでない企業で何が決定的に異なるのか。
ピープルフォーカス・コンサルティング 取締役・ファウンダーである黒田由貴子が語る。
筆者は今年、(一社)100年企業戦略研究所の理事に就任したのだが、折しも、筆者が社外取締役を務めるテルモ(株)が昨年に創立100周年を迎えた。テルモは、100年の長きに渡って続いただけではなく、年商約7,000億円のグローバルな大手医療機器メーカーにまで成長した。そこで、本稿では、テルモをケーススタディとして、飛躍する100年企業の鍵を考察したい。
テルモは1921年に体温計メーカーとして誕生した。スペイン風邪の猛威の中、第一次世界大戦の影響で体温計の輸入が途絶え、待望されていた体温計の国産化に成功したのが、テルモだったのである(注:当時の社名は赤線検温器株式会社)。
「テルモは体温計の会社」と今でも思っている人は少なくないが、現在のテルモは、注射器などの日常の診療で使用する医療機器から、カテーテル、心臓外科手術、細胞治療に関するものまで、幅広い医療機器のラインアップを有し、世界160カ国以上で事業を展開している。海外売上比率は約7割にのぼり、押しも押されもせぬグローバル医療機器企業となった。新型コロナ禍で重症患者治療の最後の砦と称され話題となったエクモ(体外式膜型人工肺)の主要メーカーでもある。
ユーザー・ニーズ対応を超えて
テルモの強みはどこにあるのか。
ひとつあげるとしたら、それは現場主義に基づいたモノづくりへのこだわりだ。医師からの要望に応えて製品を開発し、医療現場で医師に試してもらい、フィードバックをもらって改良していくという誠実で丁寧なモノづくりは、テルモの特徴である。
しかし、こうした姿勢は、テルモに限らず、日本の長寿企業に共通したお家芸でもある。この姿勢は企業の「持続」を可能にするかもしれないが、必ずしも「飛躍」をもたらすわけではない。では、テルモはなぜ「持続」だけでなく「飛躍」することができたのか。細々と続く長寿企業になく、テルモにあるもの。それは「社会課題解決に挑む姿勢」だと考える。それを象徴するふたつの事業を紹介したい。
ひとつ目はディスポーザブル(使い切り)注射器だ。1960年代に、テルモが体温計メーカーから医療機器メーカーに脱皮するきっかけとなった製品でもある。それまで、日本では日常的に注射器が使いまわされており、常に感染リスクと隣り合わせにあった(そして、後にB型肝炎ウイルスの蔓延という深刻な社会問題にもつながった)。
そこで、テルモは「医療現場の安全性向上」という社会課題に取り組むべく、ディスポーザブル注射器を日本で初めて開発したのである。ディスポーザブルにするためには、ガラス製だった注射筒をプラスチック製に変える必要があったが、プラスチック製品でも耐えうる減菌処置を行うのが技術上のチャレンジだったそうだ。
チャレンジは製品開発だけではなかった。当時の日本では、注射器の使いまわしによる感染リスクの認識が低く、ディスポーザブル注射器のニーズは顕在化していなかったという。 「行くと嫌な顔をされるんです。感染への意識が今とは全く違った」と、当時の営業担当者が語るように、当初の営業活動は苦労を伴ったという。(注)
「感染リスクを低減する」という非常に社会的意義の高い取り組みだったにもかかわらず、当初は専門家や現場に受け入れられなかったのだ。このことは、たとえ社会課題解決事業であれ、いや、そうであればこそ、顧客やユーザーに対する啓発が欠かせないことを物語っている。実際、テルモは週刊誌などの媒体に広告を出すことで、社会一般への啓発活動も行い、人々の意識や行動変容を促した。
社会課題解決事業によるグローバル展開
その後、テルモはこの技術をディスポーザブル輸液バッグなど様々な製品に横展開していき、カテーテル事業にも進出した。カテーテル治療は、血管にカテーテルを通し、心臓の血管にできた狭窄などの病変部にアクセスする治療法で、一般的な手術と比べ患者の負担がはるかに少ない。当初は、太ももの付け根からカテーテルを挿入するのが主流であったが、1990年代に手首から挿入する新たなる治療法(TRI=Trans Radial Interventionと呼ばれる)が開発された。この治療法に必要な手首用カテーテルが、社会課題解決によってテルモが飛躍したふたつ目の事業例である。
手首からの挿入は、太ももからにくらべて、患者のメリットが多い。止血が容易で、合併症のリスクが低く、術後に必要な安静時間が短いといったことだ。太ももからの挿入の場合、一般的に入院期間は2~3日間に及ぶのに対し、手首経由の場合は、状況によっては日帰りさえも可能になる。そのことによって、膨張する医療費の抑制という社会課題解決にも寄与できる。
しかし、手首の血管は太もものものと比べて細いので、カテーテル製品にはより精巧さが求められ、テルモの技術力が試された。そして、ここでもユーザーの抵抗があった。手首からの挿入には医師にも相応の手技が必要だが、「カテーテルは太ももから挿入する」という教育を受けてきた医師たちは、当初この新しい治療法に二の足を踏んだという。
そこで、テルモはメリットの訴求のみならず、製品の使い方の教育や実地訓練の場も提供した。TRI用の製品の普及とともに手技を米国、中南米、中国、東南アジアの国々へと展開していった。どこの国においても、医師に対する教育訓練を伴いながらの展開であった。それは、テルモがこの製品と治療法の社会的意義を確信していたからこそできたことだ。
手首用のカテーテルは現在もテルモの成長を牽引する主力製品の一つであり、今では、世界において6割の心臓カテーテル治療が手首から行われている。
「アウトサイド・イン」アプローチとは
テルモの2つの事業例は、国連が2016年に発行したSDGコンパス(SDGsの企業行動指針)で提唱している「アウトサイド・イン」のアプローチと合致している。ただし、両事業ともSDGsが制定されるよりもずっと前にスタートした事業であり、テルモがSDGコンパスを参考にしたわけではなく、時代を先取りしていたということになろう。
「アウトサイド・イン」とは、元はといえば、2010年にジョージ・デイ氏とクリティーン・ムーアマン氏の共著による『Strategy from the Outside In: Profiting from Customer Value』で出てきた概念だ。事業構築には2つのアプローチがあり、「インサイド・アウト」アプローチでは、自社を起点とし、自社の強みをもとに事業を構築する。一方の「アウトサイド・イン」は顧客を起点とし、顧客に提供できる価値をもとに事業を構築するという考え方だ。古くから言われていた「プロダクト・アウト」と「マーケット・イン」の考え方と重なる。
この「アウトサイド・イン」アプローチにおける「アウト」を「マーケットや顧客」ではなく「社会」に置き替えたのが、SDGコンパスだ。以来、「アウトサイド・イン」アプローチは、「社会課題の解決を起点にしたビジネス創出」を意味するようになった。
「アウトサイド・イン」アプローチは、SDGsに掲げられているような社会課題解決に貢献できるのみならず、企業の持続と飛躍をもたらす可能性がある。なぜなら、そこはブルーオーシャン(未開拓で競合がいない市場)だからだ。既存市場の中で、競合としのぎを削りながら顧客のニーズに対応するという従来の「インサイド・アウト」のアプローチでは、レッドオーシャンに陥りやすい。それに対し、「アウトサイド・イン」は社会課題に目を向け、その課題解決に挑むことでまだ存在しない市場を新たに作り上げていくのだ。
今や、ほとんどの企業がSDGsへの貢献や社会課題の解決を使命として打ち出している。しかし、残念ながら、既存の事業に関連するSDGsの目標のロゴマークを貼り付けているに過ぎない事例は少なくない。もちろん、既存の事業とて、社会の役に立っているのであれば、その事業を営むことが悪いわけではない。しかし、SDGsの中で提唱されているアプローチとは異なること、そしてその市場に多くのプレーヤーがひしめいていれば、収益性を圧迫し、企業の持続を危うくしかねないことを認識しておくべきだろう。コロナ禍のマスクがよい例だ。マスクは確かに感染予防に役立つが、「アウトサイド・イン」アプローチの事業ではない。そして、瞬く間にマスク市場はレッドオーシャンと化した。
もちろん、「アウトサイド・イン」アプローチは容易にできるものではない。同業他社が気づく前に社会ニーズを察知するには、企業としてのパーパスを持ち、社会にアンテナを張っておくことが必要である。また、新たな市場を開拓するために、アカデミアやNGOなど様々なセクターとエコシステムを構築し、協働していくことも大事である。
さらに、社会課題解決につながる製品やサービスを開発できるだけの技術力が不可欠であることは言うまでもない。「アウトサイド・イン」アプローチに基づく社会課題解決事業は、社会起業家の専売特許でもなければ、大企業だけが取り組むものではない。顧客のニーズに応えながら技術を磨いてきた100年企業こそ挑むに相応しいのではないだろうか。
(注)出所:『テルモ100年の挑戦』(テルモ株式会社)
著者
黒田 由貴子氏くろだ ゆきこ
株式会社ピープルフォーカス・コンサルティング 顧問・ファウンダー
株式会社ピープルフォーカス・コンサルティング(PFC)の創業者。1994年から2012年まで代表取締役を務めた。組織開発やリーダーシップ開発に関する企業内研修やコンサルティングを展開。経営層向けにエグゼクティブコーチングも数多く手がける。
PFC創業前は米国系大手経営コンサルティング会社でシニア・コンサルタントを務め、ソニー(株)では海外マーケティング業務に従事した。在職中、フルブライト奨学生として米国ハーバードビジネススクール経営学修士号(MBA)を取得。 慶應義塾大学経済学部卒業。
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