300年の伝統とブランドを守りながら新しい試みにも挑戦
~原点に戻って商品を絞り込んだ楊枝専門店~
目次
さるやは、全国で唯一の楊枝専門店。黒文字(くろもじ)という木を手づくりで加工した楊枝を販売しています。創業から実に300年以上。9代目の当主である代表取締役の山本亮太氏は、さるやのブランドを大切にしながら、その長い歴史に新たなページを切り拓こうとしています。
すべて職人の手づくり
さるやが創業したのは1704(宝永元)年。赤穂浪士四十七士が吉良上野介(きらこうずけのすけ)の屋敷に討ち入った翌年のことでした。
当時の日本橋や浅草には楊枝屋がたくさんあったと伝えられています。なかには看板に猿を描いた楊枝屋もありました。猿は歯が白いので、楊枝屋の看板に起用されたようです。そうした猿を看板にした楊枝屋のことは、「猿屋」とも呼ばれていました。もちろん、現在のさるやはその流れを汲んだ店です。さるやの場合は、猿を連れて楊枝を売っていたとも伝えられています。
「その時代、よく使われていたのは総(ふさ)楊枝と呼ばれるものです。切った木は、片端を叩いて繊維状にし、歯ブラシのような形にして歯磨きに使っていたようです。現在、店があるのは日本橋室町ですが、創業時には日本橋小網町にありました。ただそこは関東大震災のときに焼失してしまったので、それ以前のことははっきりしていません」
総楊枝は、お歯黒を塗るときなどにも使われていました。そのため江戸時代のさるやは、楊枝だけではなく化粧品や小間物も扱っていたようです。ただし、現在のさるやが販売しているのは総楊枝ではなく、先端が細く削られた通常の形状の楊枝です。用途としては歯間掃除用と、和菓子などを食べるときに使うためのものです。
用途や大きさに違いはあっても、さるやが販売している楊枝はすべて黒文字でつくられています。黒文字とはクスノキ科の落葉樹のことで、強くしなやかで折れにくいという特長があり、木部や葉からは清涼感のある芳香がします。しかもその枝には抗ウイルス作用があるとされていることから、楊枝にはうってつけの材料と言えます。高級品の場合、楊枝自体を黒文字と呼ぶこともあります。
「うちが扱っている楊枝はすべて職人の手づくり。黒文字は全国どこの山にでもあり、職人が自分で採りに行くときは私も同行することがあります。とはいえ、楊枝づくりの職人がどんどん減っています。それに危機感を感じて、最近では先代であった父が楊枝づくりに取り組み、協力してくれるようになりました。もう2年くらいたちますが、ようやく商品として出せるレベルになってきたところです」
不良資産を処分して再出発
300以上年続くさるやの歴史をひもとくと、わかっているだけで2度の経営的な危機がありました。
1度目は1923(大正12)年の関東大震災による店の焼失です。幸い、このときは再建することができました。2度目の危機は90年以降に起きたバブル経済の崩壊です。
「そのころは祖父が社長で、何でも売れる時代だったので、楊枝だけでなく横浜や蒲田の駅ビルでバッグも販売していたそうです。とうとう小網町にビルまで建てましたが、バブルが崩壊すると同時に不良資産化してしまい、赤字がどんどん増えてしまいました」
山本氏はもともと会社を継ぐ気はなく、大学卒業後は一般の企業に就職しました。しかし、さるやの窮状を知ると、「300年続いた店を父の代でつぶすわけにはいかない」と考え、それまで勤めていた会社を辞め、さるやに入りました。
事業承継については山本氏の父や祖父との家族間の衝突もありましたが、少しずつ折り合いをつけていき、山本氏は新たに株式会社日本橋さるやを設立。2013年、日本橋室町に新装のさるやをオープンさせたのです。
このとき山本氏は、二つのことを決めました。一つは、日本橋からは離れないということ。
「日本橋という町名自体がブランドになっていますし、日本橋を離れたら生き残っていけないと思ったからです」
もう一つは「黒文字から離れない」ということです。
「うちは楊枝屋です。楊枝とかけ離れたことをしても意味がありません。ただし、黒文字を使うのであれば楊枝以外のことも挑戦したいと思っています」
香りを生かした新商品も
現在の店は路面店形式で、売り場面積は8坪ほど。大通りから脇に入った路地にありますが、店のオープン後、2014年には大型商業施設のコレド室町2、コレド室町3が立て続けにオープン。この地域が注目を集め、路地の人通りも増えました。そしてその余波を受けるように、さるやもメディアに何度も取り上げられたのでした。
「とくにテレビの影響はすごいですね。放送されると大勢のお客さまがいらっしゃいます。でもそれは瞬間的なことで、長続きはしない。ですからホームページの情報をなるべく頻繁に更新するなどして、情報はみずから積極的に、発信するようにしています」
最近では、新商品の名前を入れることができる桐箱が人気です。特別感を出すために、名入れは一つひとつを書道家に発注して、好評を得ています。さらに、黒文字の香りをつけた日本酒や泡盛も酒造メーカーとタイアップしてつくるなど、さまざまな挑戦を続けています。その結果、客数も売上も順調に伸びていき、小網町で営業していたころにくらべて、楊枝の売上だけでも2倍ほどになりました。
それでも楊枝だけで生き残っていくのは容易ではありません。山本氏は仕入れ先と交渉し、それまでは10~30日後だった支払いサイトを60日後に伸ばしてもらいました。経費を抑えるために従業員はパートの3人に手伝ってもらいながら、山本氏自身も「仕入れから管理から何でもやる」という忙しさの中、店頭に立って接客もします。
しかし、そこで起きたのが新型コロナウイルスによるパンデミックでした。周辺の人通りは途絶え、飲食店や和菓子店などからの注文も激減。この数年間は、楊枝を1本ずつ個包装した商品を発売するなどの努力を続けています。
「今年になってようやくコロナ前の売上状況に戻りつつありますが、それでもまだピークの半分ほどです。黒文字の香りを生かした新しい商材が何かできないかと考えていますが、コロナのダメージで今は体力がありません。もう少し辛抱が必要でしょう」
幸い、日本橋には老舗店が数多くあります。
「経営の先輩や相談相手として頼りにできる人が、周囲にたくさんいます。皆さん、大変なときを乗り越えてきた方たちばかり。そうした諸先輩方がよく言われるのは『商売を広げ過ぎるな』『利益至上主義にはなるな』ということです。この先、楊枝専門店という商売をいつまで続けられるのかはわかりませんが、お客さまがいる限り、さるやを守っていきたいと思っています」
山本氏はそうした思いを胸に刻みながら、今日も日々、奔走しています。
お話を聞いた方
山本 亮太 氏(やまもと りょうた)
株式会社日本橋さるや 代表取締役
大学卒業後は人材系企業に就職し、営業や新卒社員研修などを担当。その後、家業の危機を知って9代目の当主を継承。2013年に32歳で代表取締役に就任。書道家が名入れするオーダーメイドの楊枝入れや、酒造メーカーとタイアップした黒文字の香りのお酒など、新商品の開発に取り組む。
[編集] 一般社団法人100年企業戦略研究所
[企画・制作協力]東洋経済新報社ブランドスタジオ