老舗企業が長年の社風を一新できたワケ
〜社長自身の切実な願いを具現化する方法〜

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創業100年を前に再創業に踏み切り、最先端の分野には欠かせない高付加価値の微粉砕・分散機を手がけ、躍進を続けるアシザワ・ファインテック株式会社。経営の指揮を執る4代目の芦澤直太郎氏に、社員の意識を改革し、企業風土を変えて成長路線を歩んできた軌跡と次の100年に向けての目標を聞きました。

あきらめずに新会社の設立を決断

日本において創業100年を超える会社は珍しくありません。しかし、100年を前に主力事業を分離し、新会社をつくったという例は少ないのではないでしょうか。不退転の覚悟と行動力で「再創業」を成功に導いたのがアシザワ・ファインテック株式会社、代表取締役社長の芦澤直太郎氏です。

微粒子技術で多くの特許を持つ同社が製造しているのは、世界最小の微粒子をつくり出す微粉砕・分散機。

「機能が高く、付加価値のある機械です。これなら国内の大手や安さを武器とする海外のメーカーにも負けません。主に電池や電子部品、自動運転車やEV(電気自動車)の材料をつくる大手企業に納入しています」

独自技術を活かしニッチなマーケットで抜群の存在感を誇る同社も、以前は下請けからスタートした企業でした。前身のアシザワ株式会社の創業は1903年。圧力容器・ボイラーなどの製造業として誕生した同社は、昭和の終わり頃から約10年をかけて“みずからつくって、みずから売る機械メーカー”へと転身を図ります。

しかし、3代目の芦澤直仁氏の指揮のもと下請けからは脱したものの、社内には開発部門がなく営業力も乏しかったため業績は低迷続き。安定的な不動産賃貸収入があったため倒産は免れていましたが、金融機関からは機械製造業の廃業を勧められていました。

2000年に代表取締役社長に就任した芦澤氏はずいぶん悩んだといいます。

「銀行からは、不動産事業だけに専念したほうがいいと言われていました。たしかにそろばん勘定だけでいえば、そのほうが確実です。しかし、社会や納入先への責任もあります。何より先祖3代が築いてきたものをすべて手放していいものか。考え抜いた末に不動産事業を切り離し、本業の機械事業をもとにした新会社を設立しました」

全社員に解雇を通告して割増退職金を払った上で、「志のある人は自己責任で入社してください」と呼びかけたところ、60人全員が新会社に参画します。こうして2002年4月にアシザワ・ファインテックが誕生しました。

外の力が社員の意識を変えた

もっとも会社という器は新しくなっても、社内の意識はそう簡単には変わりません。新しい企業としてイチからスタートを切った以上、社員一人ひとりが主体的・自主的に発言し行動することが不可欠でした。しかし、これまでそういった社風は一切なかったために、社内には戸惑いが生じていたと芦澤氏は振り返ります。

「『意見を言って』とお願いしてもぽかんとしている。『意見を自分が言っていいのか』という反応でした。この受け身の体質をつくっていたのは、紛れもなく私の父です。強いリーダーシップで会社を牽引していたので、社員が意見する機会が少なかったのですが、このままではまずい、と感じました。かといって50歳過ぎの社員たちに変化を求めるのは酷です。悩みました」

ではどうするか。芦澤氏は同世代や若い世代にアプローチします。「会社人生はこれから長い」「会社を成長させるためにどんどん意見を出してほしい」と繰り返しました。粘り強い働きかけが奏功したのでしょう。やがて社員からはさまざまな声が発せられるようになります。「効率化のためにこんな道具を買ってほしい」「会社のトイレは寒いからヒーターを入れ、和式から洋式に替えてほしい」。細かなことでもできるだけ実現していくと、社員の意識もどんどん前向きになりました。「声をちゃんと聞いてくれる」「耳を傾けてくれる」「だったら意見を言ってみよう」。そう変化したのです。

芦澤氏は「外の力」も活用しました。

「新卒採用に力を入れました。体質を変えるには外部の力が有効です。幸い、というか、就職氷河期だったので試験的に文系の女性を採用できました。これまで若い女性は皆無でしたが、それは経営層が『女性は機械のことがわからない』『工業機械を扱わせるのは危ないのではないか』という古い認識のままだったからです。しかし、現場の人間は機械には強いものの、コミュニケーション能力は弱い(笑)。文系の女性社員には機械について学んでもらった上でお客様にわかりやすい説明をしてもらいました」

これには芦澤氏自身の経験も影響しています。文系出身で実は「機械が苦手だった」という芦澤氏は自分が会社に貢献できる道筋を模索し、「人それぞれ得意な領域がある。それを活かせばいい。社員にもそうしてあげたい」と考えるに至ったからです。

期待半分で採用した女性たちは予想を上回る活躍を見せました。「これができるならあれもやってほしい」。周囲の見方は変わり、現在、経営企画の中枢を担い、機械の知的財産に関する業務を担当しているのは他ならぬ女性たち。いまや全社員の2割以上を女性が占めています。

好循環を生み、世の中で必要とされる会社を目指す

開発部門の新設も芦澤氏の挑戦の一つです。

「下請けから自社メーカーに転身したとはいっても、形だけの最終製品をつくっていたに過ぎません。本当の意味での自社メーカーになるには開発部門が不可欠だと考え、一人、二人と増やし、いまは10名体制になりました。『待ちの営業』を変えるために、専任者を置いて広報活動も強化しています」

社員の意識改革、女性や文系といった多彩な人材の活用、開発部門の強化、能動的な営業活動。こうした意欲的な試みにより、業績は3年目に見事なV字回復を成し遂げました。当時の売上は15億円。現在はすでに30億円に達しています。

企業理念を具現化するための取り組みも見逃せません。同社の理念「社員が誇りと満足を得る企業になる」を実践に移すため、芦澤氏は待遇を見直し、福利厚生を改善しました。就業時間は午前8時15分から1時間休憩を挟んで午後5時15分まで。月に2回のノー残業デーを設け、さらに残業は事前申請制としてムダな労働時間の削減に努め、年次有給休暇を1時間単位で取れる制度も取り入れています。

社内改革の成果は、過去3年の新卒採用者の定着率100%という数字からも明らかです。

「就職氷河期に入った社員も大半が残っています。みなコミュニケーション能力が高いんですよ。後輩たちに理念をしっかりと伝えてくれている。よい循環が生まれています」

好循環が起きているのは、何よりもトップの芦澤氏が妥協せず、理想に向けて邁進してきたからでしょう。

「次の100年で目指すのはどこに出しても恥ずかしくない会社。規模や儲けよりも世の中に必要とされる会社でありたい」。そう語る芦澤氏の言葉には確かなリアリティがあります。

お話を聞いた方

芦澤 直太郎 氏(あしざわ なおたろう)

アシザワ・ファインテック株式会社 代表取締役社長

1964 年東京都生まれ。1987年慶應義塾大学法学部卒業。三菱銀行に入行後、1991 年アシザワ株式会社に入社。2000年代表取締役社長に就任。創業100周年を迎えた2003年、アシザワ株式会社から不動産事業を切り離し、機械事業を本業にしたアシザワ・ファインテック株式会社を設立した。学生時代はラクビー部に所属、趣味は音楽、「落花生のうた」で CD デビューを果たす。

[編集] 一般社団法人100年企業戦略研究所
[企画・制作協力]東洋経済新報社ブランドスタジオ

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