苦境から立ち上がった山田平安堂、漆器屋の斬新なアイデア
〜肝をすえて何度も挑戦を重ねる〜

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東京の代官山や銀座に店を構え、異業種の高級ブランドともコラボし、漆器業界のリーディングカンパニーとして成長を続けている山田平安堂。しかし、約30年前には経営危機に直面し、倒産寸前にまで追い込まれました。同社はどのようにして復活を成し遂げたのでしょうか。4代目の山田健太社長にお尋ねしました。

モノづくりの「作る」と「売る」の両方を見直す

創業は1919年。宮内庁御用達の漆器専門店、山田平安堂は漆器の新境地を切り拓いてきた企業です。「ハレの日の器」という漆器のイメージを変えようと日々の暮らしの中での使い方を提案し、異分野とのコラボにも積極的に取り組み、漆器の魅力を訴求してきました。

しかし、1997年に山田健太氏が4代目の社長に就任したとき、同社は債務超過に陥り、経営は破綻寸前でした。

「父が急逝したので後を継ぐことになりましたが、当時の決算書は半分つぶれかけているような大変な状態でした。その最も大きな原因は、ライフスタイルの変化で漆器が売れなくなっていたこと。それにもかかわらず職人の生活を守ろうとするあまり、売れる見込みがなくても発注をかけるなど、無理がたたっていたのです。金銭的な感覚が甘く、そうしたゆるさも経営悪化の理由の一つだったと思います」

これまで、漆器は日本文化において、「おもてなしの器」として利用されてきましたが、家に人を招くことが少なくなったため、その出番は減っていきました。当時の市場規模は、ピーク時の100分の1になっていたといいます。銀行からの融資もままならない中、山田氏はどのようにして経営を立て直していったのでしょうか。

「当時はまだ、26歳と若かった。体力もあるし、いくらでもやり直しができると腹をくくりました。しかし、とにかく資金がない。大きなシステムの導入など、派手なことはできませんでしたが、目の前の課題解決にひたすら取り組み、少しずつ調整をしていきました。業務を大きく分けると『作る』と『売る』の2つがあり、これらを地道に見直したのです」

「作る」過程において、山田氏は分散していた生産地を黒字化が可能な工房に集約しました。利益を確実に生み出し、在庫を持ってくれる工房とパートナーシップを結び、取引を集中させるようにしたのです。まさに企業経営における「選択と集中」でしょう。

ECと贈答品は相性がいい
漆器のポテンシャルを実感

「売る」に関しては、ECの黎明期だった1999年にインターネット販売をスタートさせています。ECマーケットの拡大を背景に売上を伸ばしましたが、その伸びを牽引したのは、インターネットの特性を見据えた山田氏の采配でした。コロナ禍で一時的にギフト需要は落ちましたが、業績は順調に伸び、ECの売上も右肩上がりを続けています。

「たとえば、皆さんは母の日のプレゼントを買うために花屋には行くけれども、漆器の店には行かないですよね。そこで漆器にプリザーブドフラワーを詰めて販売するように工夫してみました。バレンタインの時期も同じです。チョコレートと合わせたことで漆器も売れるようになりました。人と違ったギフトを探している方から非常に好評です」

ECと贈答品との相性のよさ。ここに山田氏が気づくきっかけとなったのが渋谷・代官山の直営店1Fにあるフラワーショップです。ECサイトを立ち上げてから3年後、バラの美しさに目を留めた山田氏は、試しに漆器にバラを100本詰めて販売しました。その結果は上々。華やかな要素を備えた2つの商材が、品のあるケミストリーを生み出したのです。山田氏は改めて漆器のポテンシャルを実感しました。

「漆器の売上が落ちたのは魅力が薄れたからではないのだと気づきました。漆器屋が、現在のライフスタイルに合うように提案をしていないからいけなかったのです。今も四六時中、どうすれば漆器をもっと多くの方に親しんでもらえるのだろうかと考えていて、よいアイデアが思いついたらすぐに試すようにしています」

同社のECサイトを訪れると、日々の生活の中での漆器の使い方を実感できるイメージ写真がたくさん掲載されていることに気がつきます。「この器はこんなふうに使ってほしい」「暮らしの中でこう使ったら楽しくなる」。モノを主役にするのではなく、漆器のある光景や使用シーンを具体的に提案することで、同社はファンをつかみ、新規顧客の開拓に成功しました。

スイスのラグジュアリーウォッチブランド、ショパールとのコラボも見逃せません。「時計の文字盤に蒔絵*をあしらったら面白いかもしれない」。そう考えた山田氏は直営店の常連客だったショパール日本法人の社長にコラボを持ちかけました。

「晴れてゴーサインが出ましたが、スイスの本社からは『日本限定でやるように』というお達しがありました。それで、最初は国内だけで販売していたところ、アジアの責任者の目に留まり、『うちの国でも扱いたい』という要望が寄せられるようになりました。3年目からは晴れてグローバル展開できるようになり、売れ行きも好調でした」

山田氏のアイデアは続きます。漆を内装に利用してもらおうと思い付き、六本木に「He & Bar(Heiando Bar)」をオープンしました。バーカウンターをはじめ、個室を仕切る扉や壁面のすべてが本漆仕上げです。漆のある上質な空間を体験できる場はなかなかありません。こうした革新的なアイデアも、山田氏のチャレンジングスピリッツを象徴しています。

*漆で絵を描き、金銀粉を蒔き立体感を生み出す技法

同じ目標を共有し、粘り強くコミュニケーションを図る

法人需要も同社の快進撃を支えています。ECの売上のメインは、実はBtoB。特に会社のロゴを入れた漆器が、取引先への贈り物や周年行事の記念アイテムとして高い需要を獲得しています。

40年以上も前に発売され、長く売上が低迷していた「龍シリーズ」もここ数年で人気が高まり、現在は同社のシンボリックアイテムに成長しました。「天空を自在に舞う龍」をイメージし、職人が一つひとつ、2色の刷毛目を金蒔絵で仕上げた迫力満点の漆器です。

刷毛の描写が美しい人気の「龍シリーズ」。漆で走らせた筆の上に金粉を蒔いており、同じ品でも違ったニュアンスに仕上がっている

「伝統的な蒔絵ではなく、少々斬新すぎたのか、発売当時はあまり売れなかったのですが、ようやく時代が追いついて来たようです。ブランドというのは売れるモノではなく、自分たちが美しいと思うモノを作り、共感を得ることでもあると考えています。企業側は、諦めずに魅力を伝え続けていくことが大事ですね」

そう話す山田氏がいま注力しているのが職人の育成です。各産地では、パートナーと呼べる工場と提携をしたものの、産地任せにしていては職人がなかなか育たない……。山田氏はこの課題を解決するために、15年前に自社工房を立ち上げ、育成に乗り出しました。

「モノづくりの『売る』ほうはうまく軌道に乗りましたが、まだまだ悩ましいのは『作る』ほうです。地方は人が減っている上に、従来の主要取引先の百貨店問屋も厳しい状況が続いています。ただし、これらは社会的な課題であり、必ずしも産地の努力不足とは言いきれない部分だと思っています。どうにかできないか、今はノウハウを蓄積している段階です」

職人の多能化も進めています。絵を描く職人であれば複数の技法をこなせるように育成しているほか、廃業する工房から引き継いだ60代や70代のベテラン職人には、これまで木を「削る」工程だけを担当していたとすれば、「塗る」工程まで受けてもらうようにしています。

目の前にあるモノをただ作るだけではなく、作れる数を増やすにはどうすればいいのか。仕事がないときは何をすればいいのか。もっと豊かな生活を送るためにはどんなアウトプットが必要なのか。山田氏が実現しようとしているのは、自ら考え行動し、新しい領域にも意欲的に挑戦する職人です。

「そのために理念を伝えて同じ目標を共有し、粘り強くコミュニケーションを続けています。なにしろ職人たちに腹落ちしてもらうことが一番重要ですから。職人のみんなに気持ちよく働いてもらい、100年後もモノづくりができる体制を目指していきたいですね」

お話を聞いた方

山田 健太 氏(やまだ けんた)

株式会社山田平安堂 代表取締役社長

1972 年東京都出身、95年慶応義塾大学法学部を卒業後、三井住友銀行へ入行。97年に退行し、現職。製造子会社「統々庵」を設立し、生産から販売までの一貫体制を整える。代官山本店のほか、GINZA SIX店を直営。2016年六本木にバー「He & Bar」をオープン。

[編集] 一般社団法人100年企業戦略研究所
[企画・制作協力]東洋経済新報社ブランドスタジオ

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