不動産バブルと金融危機
15-1. 不動産バブル崩壊と長期経済停滞

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目次

今回のテーマは「不動産バブルと金融危機」ですが、私が関心を持っているのは「不動産バブル崩壊」と「長期経済停滞」の関係です。

日本は、1980年代に20世紀最大といわれる不動産バブルを経験しました。そのバブルが崩壊した後「ロストディケード(失われた10年)」と揶揄されるような長期的な経済停滞に見舞われてきました。

なぜ、そのような長期経済停滞に見舞われたのでしょうか。それは、不動産バブルが原因だったのでしょうか。それとも、それとは異なる要因を含む複合的な原因であったのでしょうか。その問題について高い関心を持っています。特に注目しているのが、日本の人口動態です。

日本の不動産バブルを振り返ると、バブルが始まったのは旧国鉄(現・JR)の品川車両基地の入札が行われた1983年頃からといわれ、崩壊したのは1990年または1991年とされています。その後、「ロストディケード」から「ロストディケーズ(失われた数10年)」と呼ばれるようになった長期的な経済停滞に陥りましたが、同時期に起こっていた問題として、人口減少や高齢化など「社会の縮退」が顕在化し、空き家がどんどん増加し始めていました。

不動産バブルの崩壊と長期的な経済停滞というマクロ的な問題と、その背後に顕在化し始めた「社会の縮退」や「空き家の増加」といった社会構造の変化は、切り離して考えるのではなく、同じストーリーの中で考えるほうが自然ではないでしょうか。

英有名経済雑誌が発信した日本経済への警告

もう10年以上前になりますが、2010年に英国の有名な経済雑誌『The Economist(エコノミスト)』が日本特集を組みました。タイトルは『Into the Unknown, Special Report on Japan(未知へ、日本に関する特別レポート)』。「Japan is aging faster than any country in history, with vast consequences for its economy(日本は歴史上のどの国よりも早く高齢化が進み、経済に多大な影響を及ぼしている)」と書いてありました。キリスト教が誕生し、人類が歴史を紡ぎ始めて2020年以上が過ぎましたが、どの国のどの記録にも、教会などの記録にも書かれていないスピードで、日本の高齢化が進んでいるということです。

その結果、日本は、どのような状況になるのか。エコノミストが「with vast consequences for its economy 」と書いた2010年は北海道夕張市が財政破綻した年ですが、2050年には日本全体がそのような状態に陥ってしまうのではないかというのです。日本は、バブル崩壊後の1990年代に財政赤字が拡大し、いまや1,000兆円を超える巨額な財政赤字を抱えています。この先の高齢化の進展によって、日本全体が財政破綻のような状態に陥るのではないかとの警告を出したのです。

2024年1月31日付けの日本経済新聞では「2023年のGDP(国内総生産)はドイツが3位、日本が4位になった」と報道されていました。1ドル132円と、日本円がかつての110円台から大きく下落してためにドル換算ベースでGDPが並ばれてしまい、為替レートが変動すれば計算も違ってくるのですが、その後も円安は1ドル150円台まで進んでいます(2024年4月現在)。

かつては、米国に次いで世界第2位の経済大国だといわれていた日本のGDPが、今では4位に落ち、特に労働生産性が非常に低下していることが問題です。ドイツと日本を比較した場合、労働者の数がドイツは日本よりも少ない。世界第2位の中国は日本より人口がはるかに多いですし、第1位のアメリカも日本の2.5倍以上の人口を抱えているので、GDPで日本が下位になるのは納得できますが、人口の少ないドイツに抜かれて4位に落ちてしまったことになります。

日本の経済力や労働生産性が停滞して「ロストディケーズ」と呼ばれてきましたが、不動産バブル崩壊という金融危機とは切り離して、「人口減少」問題をどう考えていったらいいのでしょうか。

ミクロの視点に目を向けると、日本全体で「空き家」や「所有者不明土地」が増え続けています。政府や地方自治体でも、さまざまな対策を講じてきましたが、人口減少のペースにはとても追い付いていません。この問題を解決するにはどうすればよいのでしょうか。都市と地方の両方に生活拠点を置きやすいような規制緩和や財政支援などを通じて、「空き家」を解消していこうということも検討されてきています。

戦後日本で3度の大きな不動産バブルが訪れた理由

日本の不動産市場の歴史を見てみましょう。1955年以降の不動産価格の長期的な変動を見ると、日本では戦後、大きく3回の不動産バブルがあったといわれています。

1回目は、1950年代後半で、1950~53年の朝鮮戦争による特需で日本経済が急成長を遂げた時期です。農林水産業の第1産業から、製造業、建設業、鉱業などの第2次産業へと急速にシフトしたことで、工業地が急上昇する現象が起こりました。

2回目は、1970年代前半でした。1964年の東京オリンピックを契機に始まった高度経済成長期も終盤を迎え、田中角栄政権によって日本列島改造が進められるなかで、都市化が一気に進みました。本来は、都市に集中する人口を分散するために新幹線や高速道路網などを整備したのですが、ますます都市に人口が集中し、都市の過密性が高まってしまい、その結果、住宅地の価格が大きく上昇する不動産バブルが起こったのです。

3回目は、冒頭に紹介した「20世紀最大の不動産バブル」といわれた1980年代半ばから商業地を中心に、オフィス市場がきっかけとなって発生した不動産バブルでした。この時期は、米国の対日貿易赤字が拡大したことで、日米貿易摩擦が激化。日米構造協議などを通じて、日本は内需の拡大が強く要請されていました。日本の経済成長を支えていたのは第2次産業、ものづくり産業であり、国際競争力の高さによって日本経済が成長してきたのですが、米国から対日貿易赤字の削減を強く要請されたことで、内需拡大に舵を切ったのです。

その結果、日本の製造業は米国での現地生産拡大によって輸出削減を図るとともに、国内では第2次産業から金融、情報通信、小売り、サービス業などの第3次産業へのシフトを余儀なくされたのです。第2次産業から第3次産業にシフトすると、大都市の中心部にオフィスが必要になってくる。金融業や不動産業などの第3次産業が成長期に入ったことで、オフィス市場に対する需要が一気に増え、商業地での不動産バブルが起こったのです。

加えて、1980年代前半から団塊世代(1947~1949年生まれ)が、住宅取得適齢期となる30歳の半ばを迎えて住宅市場に参入しました。戦後最大の住宅需要が重なって、住宅価格を大きく押し上げるメカニズムが働いたことで、20世紀最大の不動産バブルが発生したのです。

1990~91年に、不動産価格が一気に暴落し、不動産バブルが崩壊。それと合わせて、長期的な経済停滞が発生したと考えてよいでしょう。日本では、戦後から1991年までの約50年間に、3度の不動産バブルが起こりましたが、この期間は総人口が右肩上がりで増え続けた「人口ボーナス期」でした。日本の総人口のピークは、2008年の1億2,808万人ですが、GDPに寄与する生産年齢人口(15~64歳)は、バブル崩壊の4年後の1995年の8,716万人をピークに、一気に減少し始め、「人口オーナス期」に入りました。「ロストディケーズ」の背景には、人口減少も強く影響していると考えられるのです。

スピーカー

清水 千弘

一橋大学教授・麗澤大学国際総合研究機構副機構長

1967年岐阜県大垣市生まれ。東京工業大学大学院理工学研究科博士後期課程中退、東京大学大学院新領域創成科学研究科博士(環境学)。麗澤大学教授、日本大学教授、東京大学特任教授を経て現職。また、財団法人日本不動産研究所研究員、株式会社リクルート住宅総合研究所主任研究員、キャノングローバル戦略研究所主席研究員、金融庁金融研究センター特別研究官などの研究機関にも従事。専門は指数理論、ビッグデータ解析、不動産経済学。主な著書に『不動産市場分析』(単著)、『市場分析のための統計学入門』(単著)、『不動産市場の計量経済分析』(共著)、『不動産テック』(編著)、『Property Price Index』(共著)など。 マサチューセッツ工科大学不動産研究センター研究員、総務省統計委員会臨時委員を務める。米国不動産カウンセラー協会メンバー。

【コラム制作協力】有限会社エフプランニング 取締役 千葉利宏

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