時代のニーズに合わせた菅公学生服の持続的な経営戦略
〜地域の活性化を見据えた就労環境を意識する〜

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菅公学生服株式会社のルーツは、今から170年前、江戸時代の安政元年です。学生服の生産は大正時代にスタートし、現在では日本を代表する学生服メーカーとしてそのブランドを確立されています。そのトップである尾﨑茂社長に、少子化の時代における将来戦略や、地方企業としてのあるべき姿などを聞きました。

ブランド力強化のために、約100年続いた社名を変更

「カンコー学生服」といえば、その名を知っている方は多いのではないでしょうか。日本の多くの学生服を製造する菅公学生服株式会社は、1929(昭和4)年に尾崎商事株式会社として法人化し、2013年に現社名に変更しました。社名の変更をリードしたのが、現代表取締役社長の尾﨑茂氏です。2006年に就任してから、「カンコー(菅公)」ブランドを強化するため、100年近くの歴史を刻んだ社名を一新しました。

「私が社長に就いたころ、企業としては自社ブランドの扱いに無頓着だと感じることが多く、もったいなく思っていました。そこで、ブランド力強化のために社内でプロジェクトチームを立ち上げ、社内外にブランドの名前を周知徹底するようにしました。そのタイミングで社名も変更しています。カンコーという自前のブランドを育てることは、社の将来にもつながると考えたのです」

菅公とは、かの菅原道真公の呼び名です。創業の地である岡山県倉敷市児島は道真公ゆかりの地で、学問の神様と崇められる菅公は学生服のブランド名にふさわしいと、1928(昭和3)年に商標を取得しました。

当初、尾﨑社長は社名を変更するにあたって、漢字を使うつもりはありませんでした。しかしプロジェクトに携わった社員から「道真公を思い起こさせ、つねに触れていられる名前にしたい」との意見が上がります。その切実な願いに共感し、社のアイデンティティを尊重すべきだと考え、現在の社名が誕生しました。

「私どものお客様は学校関係者がほとんどです。社員が学校にお邪魔すると、みなさんから『カンコーさん、カンコーさん』と呼ばれます。その一方で『ところで、社名はなんでしたっけ』と尋ねられることもありました。世間に定着しているブランドを社名に冠したことで、私たちが何をしている会社なのか、世間の方にわかりやすく伝えられるようになりましたし、採用の面でも応募者が増えるなど、多方面に効果が出ていると感じています」

変化の時代にリーダーは、どう舵をとるのか

尾﨑社長はブランディング強化だけでなく、働き方改革にもいち早く対応してきました。女性社員の多い同社では、家庭の事情で社員が遠方に引っ越しを余儀なくされるケースが多く、やむをえず退職につながるケースもありました。その解決策として、コロナ禍以前からリモートワークを導入しています。

「人事部にも協力してもらい、導入方法を調べてもらいながら始めました。リモートワークは当時、まだまだ珍しかったと思いますが、コロナ禍で注目されるようになり、前々から少しずつ導入していた弊社では比較的スムーズに対応することができたと思います。現在も継続して取り組んでおり、これからの時代は性別・年齢問わず、多様な働き方があって然るべきだと思っています」

コロナ禍や、物価高に円安、人手不足など、現在の日本の社会は厳しい状況にあります。そうした時代に「ブランド強化」「働き方改革」といった課題に取り組んできた尾﨑社長は、今後どのように会社の舵を取るのでしょうか。

「お客様のご意見を拝聴して、新しい商品やサービスを開発していく。これはどこの会社もやっていかないといけないことです。あわせて会社経営としては、変化に対応していく必要もあります。そのためには、やはり社員の言葉に耳を傾けることが不可欠だと思っています」

社員の意見のなかには正論もあれば、間違っているものもある。社会を見渡しての発言がある一方で、現場の視点に偏った声もある。社のトップたる自分は、さまざまな声に耳を傾ける姿勢を持ち続けなければならない。尾﨑社長は、そう襟を正します。

「ポジティブな意見とネガティブな意見があれば、後者の意見を注意深く聞くようにしています。そういう意見のほうにこそ本音が潜んでいるかもしれない。単純に比較はできませんが、弊社は、ありがたいことに会社を好きな社員が多いと感じます。そうした社員の『もっと、こうなればいいのに』という思いには、経営に必要なヒントがたくさん隠れているはずです。そうした声にいつも耳を傾けられる。そんな社長でありたいと、常々思っています」

市場が縮小するなら、会社も縮小すればいい

積み重ねてきた歴史は170年。同業他社に優る強みがなければ、これほどまでに長い歩みを続けることはできなかったでしょう。菅公学生服社の強みの一つは、ものづくりへのこだわりです。約2,000人の熟練工たちが国内の自社工場で一貫生産しており、長く着用する制服において重要な視点である「丈夫で型崩れしない」という点で好評を得ています。また、少子化によって市場が縮小している分、着る人の快適性を重視し、時代に合ったデザインを取り入れ、SDGsやLGBTQなどの要望にも対応しています。

尾﨑社長の先々代に当たる祖父の時代の社是は「良い商品で社会に奉仕」でした。ものづくりに正直に取り組む精神は綿々と受け継がれ、尾﨑社長自身も社員の品質に対するこだわりには一目を置くそうです。そして、もう一つの強みは──。

「弊社はうそ偽りを嫌う、まじめな会社なのです。それゆえ、商売が下手などと言われることもあります(苦笑)。ですが、お褒めの言葉として、『カンコーさんの社員さんは、みんな人がいいよね』とも言っていただけます。これは一朝一夕にはできないことですし、もちろん私が社長になってからそうなったわけでもありません。昔から言われ続けてきたからこそ、これを強みと言ってよいと思っています。これからもわれわれは正直であり、誠実な会社であり続けます」

これはまさに長い歴史のなかで培われた菅公学生服社ならではの伝統です。しかし、同社には課題もあります。日本はさらに少子化が加速し、学生服の市場が縮小することは避けられません。その流れにあらがうのか、あるいは新たな道を探るのか。尾﨑氏はこう考えます。

「市場がシュリンク(縮小)していくなら、うちの会社もシュリンクすればいいのです。もちろん、規模に応じた利益を残していく必要はあります。ですが、今の400数億円の売り上げを維持する必要があるわけではないはずです。労働力の不足によって社会全体がシュリンクしていくのならば、企業規模をいたずらに拡大する必要はないと思っています」

それとともに、全国各地に拠点を構えているものの、あくまで本拠地は岡山県の企業である。その点も守っていくべきものとしています。

「経済の活性化は大企業に任せてよいのではないでしょうか。私たちのような会社は、『ちゃんと社員を守っていく』『関わる人が幸せになれるコミュニティを作っていく』、という姿勢を大事にしたいと思っています。そうした会社が地方に増えれば、たとえば岡山出身の方が岡山で就職するというような流れも起きやすくなるはずです。私たちは地域をそういうふうに導いていく役割があると思っています」

地域の人に、地元で安定して働ける就労の場を提供する。それも菅公学生服社の存在意義の一つだと尾﨑社長は言います。社の伝統を守りながら革新を果たし、社員の幸せを求める。そして、地方に軸足を置く企業としての責任も負う。実直な「カンコーさん」にふさわしいリーダーはきっと会社を正しい航路へと導き、これからの荒波の時代を乗り越えていくことでしょう。

お話を聞いた方

尾﨑 茂 氏(おざき しげる)

菅公学生服株式会社 代表取締役社長

1973年岡山県倉敷市生まれ。青山学院大学卒業後、1998年に尾崎商事株式会社(現菅公学生服株式会社)に入社。生産本部、営業本部などを経て、2001年に社長室担当取締役就任。2003年に専務取締役に就任し、管理本部、営業本部を担当。2006年に第8代目となる代表取締役社長に就任。日本経済団体連合会審議員、岡山商工会議所議員、児島商工会議所会頭も兼任している。

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