地酒文化をつなぐ使命 岡永が歩んだ140年の軌跡と未来
~「至誠天に通ず」で紡ぐ、まっとうなビジネス~

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1884(明治17)年創業の株式会社岡永は、日本酒専門の卸売業として全国の地酒を支えてきました。4代目の現社長・飯田永介氏が受け継いだ“不退転の覚悟”と「一年52週の生活提案」をはじめとする戦略から、岡永が見据える次の100年に迫ります。

食品卸から日本酒専門卸へ不退転の覚悟で

株式会社岡永は1884(明治17)年に東京・日本橋で創業し、醤油や味噌、酒の小売業から始まりました。2代目の飯田紋治郎氏が卸売業へ転業して戦後期に事業を拡大し、1949年には株式会社岡永商店を設立(1970年、商号を株式会社岡永に変更)。転機が訪れたのは1970年代で、大手食品メーカー同士の価格競争が激化し、食品卸としての利益率が大幅に下がる局面を迎えました。スーパーや量販店への卸は売り上げ規模こそ大きかったものの、卸売業としての主体性を失い、経営の継続に暗雲が垂れ込める状況でした。

そこで、1971年に代表取締役に就任した、紋治郎氏の長男、飯田博氏が下した決断は、大手との特約契約を返上するという思い切ったものでした。売り上げの大部分を占めていた特約を断ち切るのは大きなリスクを伴い、自宅も売り払うなど、まさに不退転の覚悟だったと博氏の長男、飯田永介現社長は言います。

「当時はいくつもの大手食品メーカーと特約を結び、大量の商品をスーパーに卸していました。しかし、気がつけば卸会社としての主体性を失い、配送会社のようになっていました。そこでもう一度、卸会社としての原点に立ち返り、流通の主導権を取り戻す必要があったのです。食品卸としての道を捨ててでも、自分たちの強みを生かせる分野へ。当時から扱っていた“日本酒”の可能性に懸けたかったのでしょう」

日本名門酒会の設立

岡永が地方の蔵元と最初に取引をしたのは1955年前後だったと言われています。ただ、日本酒に特化した1970年代に至るまで、地酒は全く注目されていませんでした。米不足が深刻化した戦後は、酒造米を使わない低品質の三倍増醸清酒(三増酒)が普及し、人々が豊かになった高度経済成長期には日本酒離れが進んでいました。寿司店には国産ウイスキーのボトルがずらりとキープされ、それが当たり前の光景でした。そのような状況に危機感を持ち、隠れた名酒を発掘しながら流通させようと考えました。

「市中の酒販店を強力な専門店に変えていかなければならないと考えました。『酒屋の酒知らず』ではありませんが、大手銘柄が市場を寡占していた当時は日本酒の知識が乏しいまま商品を売っていた酒販店が多く、知識が必要という意識も希薄でした。そのままでは、いくら良質な地酒を流通させたとしても酒販店の力を発揮できないと考えました」

こうして岡永は1975年、「日本酒の復興」「流通主導の日本酒専門店業態の確立」「消費者への日本酒啓蒙」といった目的を掲げ、「日本名門酒会」を立ち上げました。

日本名門酒会は、全国の蔵元と酒販店を直接結びつけるネットワークです。現在では約1,500の酒販店が加盟し、地酒を醸す蔵元も日本酒・焼酎を合わせ約120社が参加。単なる商業団体ではなく、試飲会や研修、季節を絡めた販促などを通じて“日本酒の奥深さ”を伝える活動にも注力しています。例えば「一年52週の生活提案」では、日本酒を季節感や行事に関連させてお客様に気づきを与え、潜在的な需要を掘り起こし、顧客獲得につなげる仕組みを整えています。

全国の蔵元を一軒一軒

先代の博氏は、日本名門酒会を立ち上げるにあたり、全国の酒蔵をくまなく巡回し、地酒の現状を肌で確かめながら蔵元との信頼関係を築きました。時には何時間にも及ぶ長電話で熱く語り合い、蔵人の思いや酒造りのこだわりを深く共有していたといいます。

「父は本当に楽しそうに仕事をしていました。笑いながら電話しているのをそばで見ていると、日本酒って面白い世界なのだなと自然に感じたのです」

こうした地道な対話と足を使った営業が、今に続く蔵元との強いパートナーシップを支えているのです。長年続く信頼関係によって、希少な銘柄をいち早く消費者に届けることができる点も、岡永の大きな強みになっています。

1994年に飯田永介氏が社長に就任すると、岡永はさらに進化を遂げます。父が築いた日本名門酒会を引き継ぎつつ、消費者目線に立った“提案型販売”を強化したのです。

地酒ブームが一過性に終わってしまうのを防ぎ、年間を通じて日本酒を楽しむ文化を広げたい。そうした思いから打ち出したのが先述の「一年52週の生活提案」でした。春には“しぼりたて”、夏には“夏の生酒”、秋には“ひやおろし”など、季節の移り変わりに合わせて酒を飲む楽しさを提示し、1年を通して消費者を飽きさせない販促を展開していきました。

「最大のイベントである立春朝搾りは、立春の日に搾ったばかりの酒を、加盟酒販店が引き取り、予約客に届ける企画です。新鮮な酒を味わう特別感に加え、『立春』という季節の始まりを祝う縁起酒として認知されています」

立春朝搾りはお祓いを受けたのち加盟酒販店が引き取り予約客へ。

こうした季節感を大切にした取り組みは、ファン層を拡大すると同時に加盟酒販店の売り上げ増加にも貢献しました。また、季節や行事に絡めた販促企画は年間約30種あり、バリエーション豊かな日本酒を継続的に提案しています。こうした定期的なイベントによって、酒販店は季節商材を扱いやすくなり、消費者は日本酒を生活に取り入れやすくなるのです。

また、岡永は1980年代からアメリカを皮切りに、海外向けの日本酒輸出にも注力を始めました。今では約30カ国へ日本酒を届けており、和食ブームに乗るだけでなく、フレンチやイタリアンとのマリアージュを提案するなど、多彩な食文化との融合を積極的に促進しています。

「ソムリエやシェフが日本酒について勉強し始め、ワインと同様の扱いで酒をコースに組み込む店も増えています。私たちはそうした流れを後押しするために、各国での試飲会やプロ向けのセミナーにも力を入れています」

飯田家が生んだ有名企業3社──テンアライド、OKストア、セコム

実は岡永を筆頭に、飯田家からはいくつもの有名企業経営者が誕生したことでも知られます。“天狗”ブランドの居酒屋チェーンを展開するテンアライド、ディスカウントスーパーのOKストア、警備サービス大手のセコムといった、国内でもよく知られた企業3社の創業者が兄弟で輩出されているのです。

「叔父たちは新しいことに挑戦し、独立して事業を伸ばしていきました。ただ、それぞれが異なる分野で独自に経営しており、何か共通の家訓があるわけではないのです」

飯田家に伝わる明確な家訓はなかったそうです。よく周囲から「これだけ経営者が出るのだから、何か共通の教えがあるのでは?」と問われても、「とくにない」というのが正直なところ。象徴的なのが、創業者兄弟そろっての特集がテレビ番組で放送された際のことで、長男だった飯田博先代社長が、その父紋治郎氏からの教えとして「至誠天に通ず」という孟子の言葉を語ったことがあったそうです。永介氏はその家訓めいた言葉をテレビで知ったのだとか。「父や叔父に言いたいのは、あるなら教えてよ、という笑い話ですが、それぐらい何かを言葉として教わることはなかったです」と飯田社長は振り返ります。

“至誠天に通ず”──誠実であることの意味

とはいえ、岡永が目指す仕事を突き詰めていくと、“至誠天に通ず”という言葉がぴったりはまります。長年培ってきた蔵元や酒販店との強い信頼関係は、“誠実に向き合う姿勢”なしには生まれません。

「私たちが扱う地酒は、造り手の想いや地域の風土が詰まった大事な文化です。そこに嘘やごまかしは絶対できません。だからこそ誠実に向き合い続けることが、日本酒文化を守るうえで不可欠だと考えています」

10年前、岡永創業130周年記念祝賀会で、これまでの取り組みを振り返った後に、セコム創業者の飯田亮氏が参列者への挨拶の中で一言「岡永のビジネスはまっとうだ」と評価したことがあったそうで、「本当に嬉しかった」と飯田社長は語ります。

どんなにつらい局面でも岡永は誠実に接していくことを大切にしてきました。コロナ禍で多くの飲食店や蔵元が苦境に立たされた際、オンライン試飲イベントを開催したり、販路拡大のサポートをしたりして、パートナーである酒販店や蔵元と一緒に難局を乗り越えました。

次の100年へ──“日本酒文化を支える企業”として

2024年に創業140年を迎えた岡永は、さらに先を見据えて“日本酒文化を支える企業”としての進化を誓います。酒の卸にとどまらず、情報発信やイベント運営を通じて日本酒の新しい愉しみ方を提案し、文化としての地酒を次世代につなげる使命を負っているのです。

「私たちは単にモノを売るだけでなく、蔵元と酒販店、そして消費者の皆さんをつなぐ役目を担っています。例えば新しい企画酒が生まれたらそれをどう魅力的に伝えるか、季節限定酒をどんなタイミングでリリースすればファンが喜ぶか。そこを考えるのが私たちの仕事です」

日本名門酒会の取り組みは、今後ますます拡大する見込みです。全国約1,500の加盟酒販店と約120の蔵元を有機的につなぐことで、新しい地酒文化が常に生み出される環境を整えています。

「地酒にはまだまだ可能性があると確信しています。若い世代の方々が日本酒を手に取るきっかけをどう増やすか、海外の食文化にどう溶け込ませるか。課題は多いですが、だからこそ面白いのです。これからも地酒を通じて、新しい文化やコミュニケーションを生み出していければと考えています」

こうした“挑戦と独立”の精神は、飯田家から複数の有名企業が誕生した背景とも重なります。“至誠天に通ず”という言葉が示すように、誠実かつ前向きな姿勢を貫くことで、人と人、そして人と酒がつながり、新しい価値が創造されていく──140年を経てもなお、岡永が地酒文化の最前線で挑み続ける理由が、ここにあります。

お話を聞いた方

飯田 永介 氏(いいだ えいすけ)

株式会社岡永 代表取締役社長兼日本名門酒会本部本部長。

株式会社岡永に入社し、1994年に代表取締役社長就任。その後、日本酒サービス研究会・酒匠研究会連合会(SSI)副会長就任、長野県原産地呼称管理委員会・日本酒官能審査委員会委員就任、料飲専門家団体連合会(FBO)評議委員就任、名誉唎酒師酒匠認定、東京商工会議所中央支部(評議員)食・宿泊分科会副分科会長就任、公益社団法人日本橋法人会(理事)広報委員長就任の経歴を経て、現在は日本名門酒会の実質的な指揮にあたっている。

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