「経営とは生き方」と断言した野中郁次郎の知識経営と哲学との交差点

「「経営とは生き方」と断言した野中郁次郎の知識経営と哲学との交差点」のアイキャッチ画像

目次

※本記事は「JBpress」に2025年2月17日に掲載された記事の転載です。

もはや哲学を欠いたビジネスはあり得ない

「哲学はビジネスの役に立つのか?」という問いがあります。

哲学の側からは「もっと役立てるべきだ」というべき論が、逆にビジネスの側からは「どのように役に立つのか分からない」という回答が多いのではないでしょうか。

社会人になってからずっとビジネスの世界に身を置き、後半はビジネススクールの実務家教員としてアカデミックな世界でも活動してきた私なりの結論は、「哲学を抜きにビジネスをすることは、もはやあり得ない」ということです。

 広義の哲学を、古代ギリシアのプラトン以来の古典的分類に従って「真・善・美」の3つに分けてみると、そのどれもが「ビジネスに役に立つのか?」どころか、「これらと真剣に向き合わずして、本当にビジネスをやっていると言えるのか? そうでないなら、単なる『金儲け』をやっているに過ぎないのではないか?」ということになります。

ここで「真・善・美」を簡単に整理すると、次のようになります。

「真」とは物事の本質や真実、つまり真理を意味します。知性や認識能力によって捉えることができる、論理学や科学的探究の対象となるものです。狭義の哲学というのは、この部分を指します。

「善」というのは倫理学の主題であり、道徳的に正しい行いや人間の行動規範を追求することです。

「美」とは芸術や自然などにおける美しさや感性的価値を追求することで、これは美学の対象となります。

プラトンはこの「真・善・美」について、以下の3つの対話篇の中で詳しく論じています。

『パイドン』:ソクラテスの最期の場面において、魂の不死性や哲学的価値の探究を通じて、「真・美・善」が解明される様子が描かれています。
『国家』:プラトンの哲学における中心的なテーマである「善のイデア」を主題として、人間の本性を理知・気概・欲望の3要素に分ける「魂の三分説」やイデア論を展開しながら、哲人王による理想国家の構築が論じられています。
『饗宴』:「美のイデア」についての考察の中で、美の本質や愛(エロス)が議論されています。

野中郁次郎が最晩年の著作で語っていたこと

プラトンから2000年以上の時を経て批判哲学を展開したカントは、三批判書の『純粋理性批判』において「真」を、『実践理性批判』で「善」を、そして『判断力批判』で「美」について論じました。カントの哲学においては、「真・善・美」はそれぞれ理性の異なる領域の働きでありながらも、最終的には統一されるべきものとされています。

これを改めてビジネスの視点で見てみると、「真」は論理的・科学的なビジネス判断ができるか、「善」は倫理的・道徳的なビジネス判断ができるか、「美」はビジネスを行う上での美意識や美学を持っているかを意味していることが分かります。

ですから、もしこうした基本的なことさえ考えずに、儲かるか儲からないかの損得勘定だけで論理的なビジネスをやっているのだとすれば、そのようなビジネスパーソンは、早晩、AI(人工知能)に取って代わられてしまうことになります。

つまり、そのような人は、近未来に予想される自立型AGI(汎用人工知能)が登場するまでの、「つなぎ」的な存在に過ぎないということになってしまいます。

知識経営の生みの親である経営学者の野中郁次郎は、最晩年の著作『二項動態経営 共通善に向かう集合知創造』の冒頭で、次のように語っています。

「経営とは何か、と聞かれたら、迷わず『生き方(a way of life)』だと答えるだろう。経営は、人間の営為そのものであり、そこに関わる人間の生き方が色濃く投影される。壮大な共通善の実現に向かって、目の前の動く現場・現実・現物の流れのなかで、文脈に応じて時空間を共創し、新たな意味や価値を生成する、人間たちのダイナミックで社会的なプロセスが経営である」

ここで言う「二項動態」(dynamic duality)とは、対立する二つの要素を「あれかこれか」の「二項対立」(dichotomy)で捉えるのではなく、「あれもこれも」と両立させ、動的に統合することで新たな価値を生み出す概念です。

つまり、物事を単純に対立構造で捉えるのではなく、対立する要素同士が相互に作用し合い、共存・共栄する関係性を築くことを意味しています。

例えば、企業経営における「安定性」と「変革性」、「トップダウン」と「ボトムアップ」など、一見対立する要素を両立させることで、組織の持続的な成長やイノベーションを促すという具合です。

西田幾多郎の「純粋経験」に大きな影響を受けた野中

こうした野中の経営思想は、西田幾多郎の「絶対矛盾的自己同一」や、彼の刎頚の友であった鈴木大拙の「即非の論理」と近似するものと言うことができます。

まず、西田の「絶対矛盾的自己同一」ですが、これは一見すると対立や矛盾する要素が、より高次の次元で統一された状態を指します。生命現象に例えると、合成と分解、酸化と還元といった相反する作用が同時に存在し、動的な平衡を保っているように、相反する要素が共存しつつ全体としての調和を維持している状態のことです。

野中は知識創造理論を構想するに当たって、西田の思想を積極的に参照しています。特に、言語や文字で表現するのが難しい個人の経験や直感、ノウハウなどを意味する「暗黙知」の概念は、主観と客観が分化する以前の直接的で即時的な経験を指す、西田の「純粋経験」に大きな影響を受けています。

例えば、野中が提唱したSECIモデルにおいて、「暗黙知」を「形式知」に変換する「表出化」のプロセスは、個人の直接的な経験(純粋経験)を言語化し、共有可能な知識として表現することを意味するといった具合です。

*知識創造の4つの次元である、共同化 Socialization、表出化 Externalization、連結化 Combination、内面化 Internalizationの頭文字を取って付けられた、暗黙知と形式知の相互変換を通じた、組織的な知識創造を説明するモデル。

次に、鈴木の「即非の論理」ですが、これは元々の発想を大乗仏教の般若経典のひとつである『金剛般若経』から得ています。ここに出てくる、「仏説般若波羅蜜。即非般若波羅蜜。是名般若波羅蜜」という表現は、「般若波羅蜜(智慧の完成)は般若波羅蜜ではない。だからこそ、これを般若波羅蜜と名付ける」という意味に解釈されています。

鈴木は、このような表現形式を「即非の論理」と名付けました。これは、「あるもの(A)が一見するとAではない(非A)ように見えるが、実際にはAである」という逆説的な論理構造を指し、物事の本質が単純な同一性や対立を超えていることを意味しています。

鈴木は「それ故、この論理を成り立たするは、普通にいう知的分別を棄ててしまわなくてはならぬ」(『禅の思想』)として、禅の悟りが開けるというのは、根本的な対立がそのままで解決される、あらゆる対立・苦悩がそのまま超えられる、そのような世界が見えてくることだと言っています。

経営学と哲学や宗教とに類似点があるのは偶然ではない

西田の哲学は形而上学的な枠組みとして、鈴木の思想は禅仏教の直接的な悟りの論理として発展したものと、アプローチの違いはありますが、両者とも、矛盾を内包することが根本的な実在のあり方だと考える点で共通しています。

これを西洋哲学的に言えば、「正(テーゼ)」「反(アンチテーゼ)」「合(ジンテーゼ)」の三段階のプロセスを繰り返すことで、より高次の真理や理解に到達する、ヘーゲル哲学における弁証法に似た考え方と言うことができます。

そのため、特に西田の「絶対矛盾的自己同一」は、しばしば弁証法と比較されます。しかしながら、直観的・体験的な理解を重視し、矛盾や対立をそのまま受け入れ、それを超えて新たな理解や真理に到達しようとしている点において、論理的・分析的なプロセスを通じて矛盾を解消・統合し、発展を目指す弁証法とは決定的に異なっています。

いずれにしても、こうした経営学と哲学や宗教とに類似点があるのは単なる偶然ではなく、経営が人間の営みであり、企業が人の集合体である以上、必然的なものだと言うことができます。

野中が、経営とは「生き方(a way of life)」だと断言したのは、正にそうした理由からなのです。

ですから、ビジネスがファクトやロジックという「真」に立脚するのは当然として、生きる上での倫理や美学に関わる「善」や「美」がビジネスに求められるのもまた必然なのです。そして、こうした広い意味での哲学を、経営学の言葉で言い換えるなら、それは「経営理念」や「パーパス」に他なりません。

こうした哲学を企業経営に生かせないかと考えているのが、「新しい実在論」のマルクス・ガブリエルです。彼は、企業が倫理的価値と経済的価値を統合することを通じて持続可能な社会の構築を目指す「倫理資本主義」を提唱しています。そして、ドイツの経済界と連携しながら、企業内に経営判断に倫理的視点を組み込む役割を担う、最高哲学責任者(CPO:Chief Philosophy Officer)のポジションを設けることを提案しています。

日本においても同様の動きがあり、例えば、初の哲学コンサルティング会社であるクロス・フィロソフィーズを立ち上げた吉田幸司は、哲学の専門知を活用した組織開発や人材育成、経営者コーチング、社会課題のリサーチなど、多岐にわたる事業を展開しています。

経団連、経済同友会も哲学に注目

その中で、哲学的思考法をビジネスに応用する「哲学シンキング」を開発し、企業向けのワークショップや講演を通じてその普及に努めたり、哲学情報サイト「BIZPHILO」や哲学スクール「アカデメイア・フィロソフィカ」の運営を行ったりするなど、哲学の社会実装を推進しています。

また、アカデミアの側でも、東京大学東洋文化研究所所長の中島隆博が、経団連のシンクタンクである21世紀政策研究所の研究主幹として、経済界と学術界の橋渡し役となり、資本主義や民主主義の未来に関する研究プロジェクトを主導するなどの動きが始まっています。

現在、同研究所では、経団連が掲げる「サステイナブルな資本主義に向けた好循環の実現」を目的として、哲学、経済学、文化人類学などの各分野の専門家とともに、資本主義の未来や目指すべき社会について検討を進めています。

最後に、私自身も、経済同友会が立ち上げることになったリベラルアーツ・プログラムの委員長として、本年度のパイロットプログラムに続いて、来年度から会員企業向けプログラムを本格稼働することになりました。

ここでは、哲学や思想をベースに幅広い社会・経済・経営問題について、それらに立ち向かうビジネスパーソン個人として「どう生きるか?」を議論していくことになります。

世界がこれまでになく複雑化・多層化し、歴史が進歩史観的に直線的に進んでいくものではないことが明白になり、地球自体の持続可能性にも疑問符がつき始めた不透明な時代の中で、自らの基軸をしっかりと確立することが求められている……これが私たちの立っている現在地なのです。

堀内 勉

一般社団法人100年企業戦略研究所 所長/多摩大学大学院経営情報学研究科教授、多摩大学サステナビリティ経営研究所所長

多摩大学大学院経営情報学研究科教授、多摩大学サステナビリティ経営研究所所長。東京大学法学部卒業、ハーバード大学法律大学院修士課程修了、Institute for Strategic Leadership(ISL)修了、東京大学 Executive Management Program(EMP)修了。日本興業銀行、ゴールドマンサックス証券、森ビル・インベストメントマネジメント社長、森ビル取締役専務執行役員CFO、アクアイグニス取締役会長などを歴任。 現在、アジアソサエティ・ジャパンセンター理事・アート委員会共同委員長、川村文化芸術振興財団理事、田村学園理事・評議員、麻布学園評議員、社会変革推進財団評議員、READYFOR財団評議員、立命館大学稲盛経営哲学研究センター「人の資本主義」研究プロジェクト・ステアリングコミッティー委員、上智大学「知のエグゼクティブサロン」プログラムコーディネーター、日本CFO協会主任研究委員 他。 主たる研究テーマはソーシャルファイナンス、企業のサステナビリティ、資本主義。趣味は料理、ワイン、アート鑑賞、工芸品収集と読書。読書のジャンルは経済から哲学・思想、歴史、科学、芸術、料理まで多岐にわたり、プロの書評家でもある。著書に、『コーポレートファイナンス実践講座』(中央経済社)、『ファイナンスの哲学』(ダイヤモンド社)、『資本主義はどこに向かうのか』(日本評論社)、『読書大全 世界のビジネスリーダーが読んでいる経済・哲学・歴史・科学200冊』(日経BP)
▶コラム記事はこちら

※本記事は「JBpress」に2025年2月17日に掲載された記事の転載です。元記事はこちら

経営戦略から不動産マーケット展望まで 各分野の第一人者を招いたセミナーを開催中!

ボルテックス グループサイト

ボルテックス
東京オフィス検索
駐マップ
Vターンシップ
VRサポート
ボルテックス投資顧問
ボルテックスデジタル

登録料・年会費無料!経営に役立つ情報を配信
100年企業戦略
メンバーズ