ヒーローの力で行動変容をもたらす。創業120年の老舗ドラッグストア・大賀薬局の変革
~5代目社長が問い直す、薬局の使命と託したい未来~

目次
福岡県の老舗薬局チェーン、株式会社大賀薬局。1902年の創業以来、戦後の医薬分業の黎明期にいち早く調剤薬局事業に参入し、幾度もの経営危機を乗り越えながら、地域医療を支え続けてきました。そして今、5代目社長・大賀崇浩氏の下で、薬局の枠を超え、地域や社会に変革をもたらしています。「薬を減らすことを目指す薬局」という逆説的ともいえるビジョンを掲げ、創業120年の信頼と革新の精神を携えながら、日本の医療の未来を変えようとする大賀薬局の挑戦に迫ります。
創業120年超、福岡を代表する企業の原点
福岡県を中心に、調剤薬局やドラッグストアなど約120店舗を展開する株式会社大賀薬局。1902年の創業から120年以上の歴史を誇る、九州を代表する老舗企業です。社員の4割以上が薬剤師という、日本のドラッグストアの中でもトップクラスの薬剤師比率を誇ります。
同社の原点は、創業者・大賀可壮氏(現社長の曽祖父)が14歳で立ち上げた「大賀商店」に遡ります。薬だけでなく、化粧品や食品、日用品など何でもそろい、深夜まで営業して配達も行うという、コンビニエンスストアの先駆けのような存在でした。その後、薬品卸問屋へと発展しますが、取引先メーカーの倒産により閉鎖を余儀なくされる危機に直面。それでも可壮氏は諦めることなく、小売薬局として再出発を果たしました。
飛躍のきっかけとなったのは、戦後のことです。2代目・栄一氏は戦時中に知った「医薬分業」の仕組みに将来性を見いだし、「必ず日本でもこの時代が来る」という確信の下、1949年に株式会社大賀薬局を設立。1962年には九州初となる本格的な調剤施設を持つ薬局を開設し、調剤薬局のパイオニアとしての道を歩み始めました。
しかし2年後、栄一氏は51歳の若さでがんにより逝去。薬剤師であった妻・昌子氏が思いを受け継ぎました。昌子氏は病床の夫から商売のすべてを学び、大学ノートに書き留めていました。そして、「企業にとって現状維持は後退でしかない」という夫の言葉を胸に、医薬分業の夢を引き継ぎ、拡大に向けて奔走。医薬分業への理解が乏しい中で病院を粘り強く説得しながら6店舗にまで拡大させ、現在の調剤薬局事業の基盤を築き上げました。
その後、4代目・研一氏が1990年に九州初となる大規模郊外型ドラッグストアをオープン。役員全員の猛反対を押し切っての挑戦が大成功を収め、ドラッグストア事業と調剤薬局事業の両輪が揃い、福岡を代表する企業へと成長していきました。
5代目社長・大賀崇浩氏の歩み──商社マンから家業へ
現在、5代目として会社を率いるのが大賀崇浩氏です。最初から会社を継ぐことを考えていたわけではなく、新卒では商社に入社して働いた経歴を持っています。
高校1年生の頃までは「家業を継がなければならない」と考えていた大賀氏。薬学部への進学も視野に入れて進路を母親に相談したところ、「好きなことをしたらいい」と言われたことから、関心を持っていた商売や経営について学ぶために経営学部へ進学しました。その後、就職活動のときも両親からは何も言われず、商社に入社。仙台支店に配属となり、「この会社で社長になろう」という思いで働き始めました。
2年が経った頃、福岡へ帰省して父と酒を飲んでいた席で「札幌の営業所立ち上げの責任者の話をもらった」と話すと、突然父から「どこまで行くんや」と言われたのだといいます。大賀氏はこのとき初めて、父が帰ってきてほしいと思っていたことに気づきました。
そして、福岡に戻る決め手となったのが、先輩からの言葉でした。
「当時、起業したいという思いがあり、自分は薬局をしたいわけではないんだと先輩に話したんです。すると先輩から『自分のバックボーンや生まれ持ったものを利用するぐらいの気概がなければ、やりたいことや大きなことを成し遂げられるわけがない』と言われまして。まったくそのとおりだと思い、社長になる覚悟を決めて大賀薬局に入社しました」
危機を乗り越え、九州ナンバーワンへ
入社後の3年間、大賀氏は店舗で現場を経験し、品出しや接客を行いながら薬の勉強に励みました。しかし当時の大賀薬局は、全国資本の大手ドラッグストアの進出により売上が前年比90%台にまで落ち、厳しい状況に直面していました。一方で社内には「何とかなる」という空気が蔓延していたといいます。
「地域のリーダーとしての自信からか、まるで危機感がありませんでした。しかし実際は、迎え撃つ姿勢もなければ戦術も立てておらず、このまま何もしなければどこかに事業譲渡して終わりという状態で、非常にもどかしい思いをしていました」
その後、29歳でドラッグストア事業本部長に就任すると、各店舗の立て直し、販促の見直し、教育の徹底を一気に進め、売上が徐々に回復し始めました。しかし、そんな矢先に調剤薬局事業部でトラブルが発生。社内の事業部間対立が原因となり、約250人いた薬剤師のうち約40人が離職する事態に陥ります。
そこで急きょ、大賀氏が事業本部長として調剤薬局事業部に異動し、最優先で採用を進めました。薬剤師国家試験の予備校や大学を回り、先生や学生に直接アプローチし、大賀氏1人で1年間に80人もの薬剤師を採用しました。大賀氏は「商社で飛び込み営業などをして培った経験が生きました」と当時を振り返ります。そして、新たな人材が入ってきたことで、組織の雰囲気も変化し始めました。
また、内定辞退が多かった問題に対しても独自の対策を実行。大賀氏がメッセージを伝える動画を収めたDVDを内定者の親元へ送ったり、太宰府天満宮のお守りを国家試験前の学生に配ったりと、泥くさいアプローチを取り続けました。それにより、内定辞退がほぼゼロに。また、採用のチームができ、現在にも続く採用の仕組み化も進んでいきました。
採用が軌道に乗ると、今度は調剤薬局の店舗開発に乗り出します。医師の開業支援と連動し、8年間で40店舗を出店。「失敗した開業医は1人もいない」という実績を積み重ね、調剤薬局として九州でナンバーワンの規模へと成長させました。
退職に向けて「花道」を。事業承継の苦労
その後、2016年に副社長、2017年に社長に就任した大賀氏ですが、「社長になる時に苦労したのが、父のことでした」と率直に語ります。
「父が代表取締役会長として会社に残れば、社長派・会長派のように判断が分かれてしまうことが目に見えていました。だから、私が社長になるときには取締役から外れてほしい、そうでないなら今はまだ社長にならないと伝えました」
父から了承を得た大賀氏は、スムーズに進めるため、取締役会から承認を得て役職定年制度を整備。しかし、思ったように事業承継は進みませんでした。「世代交代するとはいえ父は元気ですし、一線を退きたくない気持ちもあったと思います」と大賀氏は振り返ります。
そこで、社員や家族にも根回しをし、父の退職に向けて花道を整えていきました。そして、最後の後押しとなったのが、同社のメインバンクの支店長の「会社や家族のために、そろそろ事業承継を進めたほうがいい」という言葉だったのではないかと大賀氏は話します。こうして35歳のとき、円満な事業承継が実現。就任時の心境について、こう語ります。
「実は、副社長の1年間は蕁麻疹が出るほどきつかった。父の方針は私の考えとまったく異なっていた一方で、立場上、それを社員に言語化して伝える役割を担わなければならないジレンマを抱えていました。また、やりたいことをスムーズに実現できないことが何度もありました。だから、やっと自分の描いた世界をつくり始められるという、ワクワクする気持ちのほうが大きかったです。当社には地元の人々から『大賀“さん”』と呼ばれるブランド力や、過去の歴史の中で積み上げてきた地域からの信頼があります。それを大切にしながらも、それ以外は全て変えてやろうと思いましたね」
前代未聞の企業ヒーロー「薬剤戦師オーガマン」の誕生
大賀氏には会社を変えるため、長年温め続けてきた構想がありました。それが、「薬剤師のヒーロー」というアイデアです。当時のトップである父に却下されてしまうとそこで終わりだったため、社長になるまでいっさい話さなかったのだといいます。
そのヒーローが戦うのは、怪人や病気ではなく「残薬問題」です。日本の家庭で飲まれずに廃棄される薬は年間約1,000億円分に上るといわれています。薬漬け医療を防ぎ、医療費を削減するために薬剤師が生まれたという背景をもとに、「薬を減らすことこそ、薬剤師本来の社会的使命だ」と考えた大賀氏の信念が込められています。
そして、社長就任後初めての役員会議で「私が薬剤師のヒーローに変身して戦います」と宣言。役員全員が反対する中、「現状の延長線上では生き残れない」という強い危機感と、エンターテインメントの力で課題解決するという信念を貫き、「薬剤戦師オーガマン」が誕生しました。
大賀氏は本格的なヒーロースーツを制作し、自ら中に入って声をあてて、2019年にプロモーションビデオを公開。SNSで瞬く間に拡散され、ニュースのトップを飾るほどの大反響を呼びました。また、イオンモール福岡で行われた初のヒーローショーでは約800人を集客し、投資の約40倍もの広告効果を生み出しました。
エンターテインメントで行動変容を起こす
現在のオーガマンの主な活動は、子どもたちの行動変容を起こすための「薬育」です。幼稚園や保育園を訪問し、薬を飲むことの大切さを伝えるヒーローショーを行い、薬を飲めたらシールを貼る専用の「薬育手帳」を配布しています。
最初はなかなか教育機関から受け入れてもらえなかった中で、活動が軌道に乗ったきっかけの1つがコロナ禍でした。福岡市のプロジェクト「福岡100」に採用され、オーガマンが手洗い・うがいの指導をする動画を福岡市のサイトに掲載。また、市の幼稚園連盟や保育協会との接点を持つことができ、ヒーローショーの機会が少しずつ増えてきました。すると、想像以上に大きな反応を得られたのだといいます。
「コロナ禍で娯楽が減っていた中で、目の前でヒーローを見た園児たちの目の色が変わりました。園長先生からは『子どもたちがすぐに実践して、手洗い場に行列ができたんですよ』というお声もいただきました」
実際に行動変容が起こったことが評価され、一度訪れたほとんどの施設から次回の要望が来るように。さらに口コミでも広まり、現在は年間100か所以上の幼稚園・保育園を訪問するほどになりました。2025年には累計訪問300回を突破し、これまでに3万7,000人以上の園児へ直接啓発を行っています。
さらに活動は小学生・中学生・高校生へも広がり始めています。小学生向けには薬剤師の仕事についてのキャリア教育、小学校高学年から高校生向けにはオーバードーズに関する授業も展開。福岡だけでなく、鹿児島でも年間30件の出前授業を予定しています。
「面白そうな会社」に人は集まる
同社はオーガマン以外にも、従来の薬局・ドラッグストアの枠を大きく超えた事業展開を進めています。持ち株会社としてオーガホールディングスを設立し、動物病院や人材紹介、医療従事者向けのコミュニティBARなど、さまざまな領域に事業を広げています。
中でも、2026年2月に1周年を迎えたばかりのコミュニティBAR「MEDs」は、既に2,200人以上の会員を集めており、現役の医者や看護師、歯医者など30人以上の医療従事者が働き、スポンサーも15社ついているなど、これまでになかったコミュニティへと成長しています。そして、これらの取り組みは、会社の組織や風土を変革するきっかけになっているといいます。
「前例のない取り組みの数々を見て、『自分もこういう面白いことをやっていいんだ』という雰囲気ができてきました。それにより、入社を志望する方の動機も大きく変わったんです。以前は『待遇が良くて安定しているから』『福岡で働きたいから』という理由が多かったのに対し、現在は『オーガマンと働きたいから』『面白いことで社会貢献ができそうだから』といった理由で入社を希望する人が増えています」
そして、これこそが長く続く企業において重要なことであると大賀氏は語ります。
「働き手が減る今、長く続くのは『面白そうな会社』だと思います。そういう場所に人は集まりますから。ただ、今の時代、どれだけ魅力があっても知らない企業に人は集まらないので、『面白そう』と思ってもらうために外へ伝える努力も必要です」

子どもたちに誇れる企業を目指して
大賀氏が目指すのは、「1人当たりの医療費と薬の削減」です。その実現に向けて、将来的には予防・未病の領域にも挑戦したいと話します。その一歩として、2026年4月には新たに健診施設をオープンする予定です。大賀氏は「毎年の健康診断を、治療が必要になる前に病気を予防するきっかけにしたい」と話します。
「薬を減らすことを目指す薬局」という逆説的ともいえるビジョンを掲げる根本には、「子どもたちに誇れる企業になりたい」という大賀氏の思いがあります。
「日本の国民医療費は約半分が社会保険料によって賄われており、1人当たりの医療費が増えると、国民が払わなければならない保険料が増えていきます。つまり、医療費の削減に取り組まなければ、そのツケは次の世代に回ってしまうのです。そうすると、子どもたちの未来はどうなるのでしょうか。私たちは、『子どもたちが笑顔であること』『子どもたちの将来にとっていいこと』を経営の判断軸にしており、そのためになることにはどんどん挑戦していきます」
1人当たりの医療費も薬も削減された未来――。これが達成できたとき、オーガマンはヒーローとして必要なくなります。しかし、それこそが大賀氏が目指す世界なのです。
創業者が14歳で立ち上げた小さな商店から120年以上。その歴史の中で積み上げてきた地域からの信頼を礎に、エンターテインメント×医療によって前人未到の道を切り拓く大賀薬局。その歩みのストーリーは今まさに、紡がれ続けています。

お話を聞いた方
大賀 崇浩 氏(おおが たかひろ)
株式会社大賀薬局 代表取締役社長
1982年生まれ。東京理科大学卒業後、大手商社を経て2009年に入社。ドラッグストア事業本部長、調剤薬局事業本部長などを経て、2016年に代表取締役副社長、2017年に5代目代表取締役社長に就任。2019年に「薬剤戦師オーガマン」としてデビューし、2024年には著書『ヒーローマーケティング』(幻冬舎)を出版。
[編集]一般社団法人100年企業戦略研究所
[企画・制作協力]東洋経済新報社ブランドスタジオ










