180年の荒波を乗り越えた老舗人形店の挑戦 ~職人や従業員を守り続け、同時に変わり続ける~

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江戸時代の天保年間に創立され、百八十余年の歴史を持つ久月。人形の製造問屋として確固たる地位を築き上げてきた老舗中の老舗です。時代の波にもまれながらイノベーションを重ねてきた久月の横山久俊社長にお話を伺いました。

銀行時代の経験が経営者としての血肉に

「人形の久月」。この文字を見ると、頭の中にあの独特のサウンドロゴが浮かんでくるという方は多いのではないでしょうか。それほどまでに日本人の中に浸透しているブランド、久月は1835年に創業しました。創業者は刀を捨て、人形師として身を立てることを決意した武士の横山久左衛門。以来、二代目、三代目、四代目の久兵衛、五代目の正三、六代目の華久郎、七代目の久吉郎が看板を守り続け、現在の横山社長は八代目にあたります。

「今年の8月に就任しました。いま39歳なので、これから20年、30年と頑張っていかなくてはなりません。厳しい時代だからこそ、若い自分の力を注いで経営の舵取りをしていこうと決意しました」

横山社長が久月に入社したのは2008年。大学卒業後に就職した大手銀行では中小企業の経営者から本音を聞く機会が多く、現在の社長業に大いに役立っていると語ります。

「経営者の仕事に対する姿勢は非常に参考になりました。皆さん、『経営は大変だ』と話す一方で『組織の歯車にならず、自分で歯車を回す立場にいるのは面白い。達成感がある』と語っていました。そのときにお聞きした言葉は現在の自分の『血肉』になっています」

強みはバランスの取れたセット力

久月が扱っている商品は多岐に渡りますが、代表的な商品は、やはりひな人形や五月人形、羽子板、破魔弓に代表される節句人形でしょう。とりわけ、ひな人形のマーケットにおいて久月の功績は大きく、いくつもの革新的な商品を送り出してきました。

人形をばらばらに買い求めるのが当たり前だった時代にセット販売を始め、業界としてはじめて八段飾りを打ち出したのも、ほかならぬ久月です。年の瀬の恒例となった「変わり羽子板」や、現在のタカラトミーと提携して投入した「リカちゃんひな人形」もヒットを記録しました。

1986年には人形問屋としては初めて、商品の受注から出荷までをオンライン化することに成功。流通センターや倉庫を開設し、商品の搬入出の業務を効率化するなど流通改革にも熱心に取り組んできました。

先を見る目、常識にとらわれない発想と行動力に加えて、久月の大きな強みといえるのがバランスの取れたセット力です。

多くの伝統工芸品がそうであるように、人形の業界も完全分業体制で営まれています。ひな人形を例にあげると、人形が置かれる台、屏風、ぼんぼり、人形の頭部、胴体、髪結、衣装などはすべて別々の職人が製作しています。毎年、11月に職人たちに発注をかけ、商品の企画を練り、翌年5月〜6月にかけてできあがってきた部材をセット。卸先である百貨店や量販店、専門店にできあがった商品を見てもらって注文を受け、12月に商品を出荷します。ひな人形が売り場に並ぶまで、1年半もの時間が費やされているのです。

高度な専門性を備えた職人が分担して仕上げたパーツを束ねてひとつの商品に仕上げるプロセスは、問屋である久月の力量がいかんなく発揮される場面です。どの顔の人形にどのような衣装を着せ、段の飾りをどのように演出するのか。時代のトレンド、ライフスタイルの変化、消費者の志向を読みながら、久月はパーツをセットし、商品を完成させていきます。

「色や形、大きさのバランスを見ることも欠かせません。バランスが崩れると商品としての完成度が落ちてしまいます。商品として『落ち着く』バランスを見出してセットしていくことが重要です」

クラッシックで装飾の少ないセット(上)が主流だったが、 徐々に人気は装飾の多いもの(下)にシフトしている

完全分業体制のサプライチェーンが欠けつつある

人形の業界を支えてきた完全分業体制。しかし、高齢化の進行により、専門の職人をつないでいたサプライチェーンが少しずつ欠けつつあります。

「専門の職人がいなくなればサプライチェーンは成立しません。欠けた部分はほかの職人がなんとか補うか、別の技術でつなぐしか方法がないのです。ただ、そうなると、価格を高くせざるを得なくなります。実際に膠の職人が引退した後、価格が15倍に跳ね上がったこともありました。専門の職人をどう確保し、育てていくか。技術移転は、伝統工芸の業界が共通に直面している課題です」

少子化の進行、居住空間の変化、さらにコロナ禍も厳しさに拍車をかけています。度重なる緊急事態宣言により、久月の人形が並ぶ卸先の店舗の来客数は大幅に減り、売上も激減しました。

「インバウンドが減ったのもダメージでした。売上結果を見ると、これまで見たこともないような数字が並んでいました(笑)。お客様向けにオンラインで商談会も実施しましたが、マイナスを埋めるにはほど遠い。ようやく少し上向いてきましたが、まだ出口は見えていません」

そう語りながらも、横山社長の口からはチャレンジングな取り組みに関する言葉が次々に発せられます。それが、台東区のふるさと納税の返礼品、そして海外への挑戦です。

「台東区内で付加価値の大半をつくること、という返礼品の条件をもとに、世界にひとつだけのフルオーダーメイドの人形や、ご希望のお顔を面相にして衣裳を押絵で制作する羽子板などをつくり、晴れて返礼品に選んでいただくことができました。また、いまは実験的に、海外での販売にもチャレンジしています。やってみないとわからない、まず挑戦することが大事だと思っています」

変わらなければ衰退するだけ

本社がある浅草橋では、近年、商店街も結成されました。9月に認可がおりたばかりの商店街の名称は「浅草見附会」。江戸時代、浅草橋にあった浅草見附という門から浅草寺までつながる参道の両側には多くの土産屋が並び、参拝客をもてなしていました。歴史的な由来が感じられるネーミングです。

「浅草橋にいままで商店街がなかったのが不思議なくらいです。佃煮専門店の鮒佐さんや、同じ人形問屋の吉徳さんとも協力し、活性化を図っていきたいですね」

活路を求めて横山社長が挑戦を続けるのは、看板を守り、職人の仕事を守り、取引先を守り、お客様に寄り添うためです。人形を目にする場所、売れるチャネル、求められる機会を創出しなければ、人形をつくる職人技の伝承はままなりません。

「変わらないと衰退するだけですから、変わらざるを得ません。私たちが提供しているのは縁起物の人形です。これからも、職人たちと二人三脚でお客様に心から喜んでもらえる人形を一生懸命つくっていきたい。そのためにできることはどんどん取り入れていきます」

変化を恐れず、挑戦をいとわない。伝統を守りつつ、革新を続けていく。長く生き残る企業の本質がそこにあります。

お話を聞いた方

横山 久俊 氏

株式会社 久月 代表取締役社長

1982年、七代目当主であり、現会長である久吉郎氏の長男として誕生。立教大学を卒業後、2005年にみずほ銀行に入行。都内の支店に勤務したのち、2008年久月に入社。仕入へ配属後、商品企画担当次長に着任。2010年、執行役員に就任し、総務・経理を担当するなど、さまざまな部門を経験する。2012年、専務取締役に就任し、静岡店、草加店、箕面店、相模原店の開店に携わる。その後も社内新システムの導入による物流改革、節句商品のオンラインストアでの販売、OS杯ポロ大会への参画など、新たな取り組みに挑戦を続けている。2019年にはコーポレートサイトを刷新しEC強化、本店・支店のWebページもそれぞれ開設した。2021年代表取締役社長に就任し、現在に至る。

[編集]株式会社ボルテックス100年企業戦略研究所
[企画・制作協力]東洋経済新報社ブランドスタジオ

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