銀座で養蜂という突飛なアイデアが飛躍するワケ ~異質なものとつながり、次代の価値を生む~
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皇居、浜離宮、日比谷公園。蜜源となる花が咲く公園や街路樹を2キロメートル四方に多数抱える銀座。このエリアで始まった異色の養蜂企画「銀座ミツバチプロジェクト」は、スタート以降、着々と活動範囲を広げ、地方との交流を深めて持続可能なソーシャルビジネスを展開しています。地方創生のカギはどこにあるのか。特定非営利活動法人銀座ミツバチプロジェクトの副理事長を務める田中淳夫氏に聞きました。
進取の精神に富む街・銀座で始まった異質なプロジェクト
銀座のど真ん中で養蜂を始めよう――。思わぬきっかけから2006年にスタートした銀座ミツバチプロジェクトが大きく羽を広げています。舞台はあっという間に全国に広がり、活動内容も養蜂事業の枠を軽々と飛び越えました。
地域創生にも力を貸している同プロジェクトは、もはやソーシャルビジネスそのもの。鮮やかな曲線を描いて成長する銀座ミツバチプロジェクトは、貸しビル業を営む紙パルプ会館の専務取締役である田中淳夫氏と岩手の養蜂家・藤原誠太氏との出会いが始まりです。
「勉強会でお会いした藤原さんがビルの屋上で養蜂ができる場所を探していました。そこで当社ビルの屋上を使ってもらう提案をしましたが、藤原さんにとっては当社のビルでは狭すぎた。そして私に『やってみたら』と言うんですよ。消費する街の代表のような場所で天然の蜂蜜が採れるなんて面白そうだと思い、二転三転して養蜂に取り組むことになりました。もちろん社内は『ミツバチは人を刺すから危険』と否定的でした。銀座の商店や業者間の会合でも『誰が田中を止めるのか』という話が飛び交っていたようです(笑)」
銀座は、国内はもとより海外からも多くの観光客が訪れる街です。そこに養蜂所をつくってミツバチが大挙し飛んできても大丈夫なのか。刺されるのではないか。イメージダウンにつながるのではないか。そうした発想はもっともかもしれません。
しかし、銀座は保守的に見えて進取の精神に富んだ街でもありました。
「サヱグサ(1869年に創業した子ども服の名店)の会長が『銀座は奇想天外な人を受け入れてきた歴史がある街。まずは受け入れて、銀座にそぐわなければ自然と消えていく』と言ってくださいました。ありがたかったですね」
ミツバチはめったに人を襲うことはない、攻撃的な生き物ではない。田中氏の根強い説得により、晴れてプロジェクトにゴーサインが出ました。こうして養蜂がスタートした3カ月後に収穫量は150キロを記録しました。初めての養蜂としては上々の数字といえます。
以後もプロジェクトは快進撃が続きました。2年目の収穫量は260キロに達し、田中氏はプロジェクトをNPO法人化。国産蜂蜜の0.03%にあたる800キロの収穫量を記録した2010年には、農業生産法人株式会社銀座ミツバチの設立に踏み切ります。採取した蜂蜜は銀座のホテルやバー、百貨店、レストランに利用され、スイーツやカクテル、ビールや化粧品などたくさんのコラボ商品「銀ぱちプロダクト」が生まれました。メディアの露出度も高く、銀ぱちプロダクトは多くのファンをつかんでいます。
と、ここまでの話なら地産地消の成功例にすぎないかもしれません。しかし、銀座ミツバチは違いました。地方にも活力をもたらす持続可能なソーシャルビジネスへと飛躍していったのです。
屋上緑化や環境教育にも貢献
今、全国100カ所以上でミツバチプロジェクトが進行しています。この流れに貢献しているのがほかならぬ銀座ミツバチです。
「私たちの取り組みがメディアに多数取り上げられたおかげで、東京の各地から『うちもやりたい』という相談が寄せられました。そのため、できる範囲で養蜂指導をしています。たとえば、2009年に自由が丘振興組合が始めた「丘ばちプロジェクト」では、バラの蜂蜜を採取するため、バラの苗を住民に配布して育ててもらうようにしました。住民と商店街とのコミュニケーションに、養蜂が一役買っている事例です」
ほかに、赤坂のTBS放送センター屋上、渋谷の東急本店屋上、日本橋の三越屋上、さらには札幌の大通にあるビルの屋上や名古屋の久屋大通でもミツバチプロジェクトが導入されています。
「皆さんの『あの銀座でもできたんだから』という思いが、プロジェクトの広がりを後押ししているのかもしれません(笑)。日本だけではなく海外でも同様のプロジェクトが始まっています。韓国の首都ソウルでは明洞(ミョンドン)など14カ所でプロジェクトがスタートしました。韓国ではミツバチプロジェクトがSDGsと結びつき、格差や貧困問題を解決する一つの手段という位置づけとして知られています」
銀座ミツバチは屋上緑化にも貢献しています。蜜源を確保するため屋上緑化を進めてきた結果、現在、屋上菜園「ビーガーデン」の面積は1,000平米以上。「以前は8%にすぎなかった東京・中央区の屋上緑化率が11%になって少し協力できたように思います」
広がった「ビーガーデン」にはさまざまな野菜や果実が育ち、大きな実を結んでいます。新潟の枝豆、福井のスイセン、長野のリンゴ、大分のカボス。地方から提供された苗を植え育てるプロセスは、子供たちの環境教育としても活用されています。
野菜や果物が実ったら、銀座の食の職人たちの出番です。収穫祭ではフレッシュな収穫物がプロの手で料理やドリンクに変身し、その場で来場者にふるまわれています。千葉県から寄せられたサツマイモの苗は銀座で実り、福岡の酒造とコラボレーションして芋焼酎「銀座芋人」になりました。銀座ミツバチが地域創生の一翼を担っているのです。
地方にはポテンシャルのある資源がたくさんある
地域創生の事例は芋焼酎にとどまりません。2011年の東日本大震災とその後に起きた原発事故の影響で、福島県伊達市の名産品である「あんぽ柿」(天日に干した皮をむいた柿)は出荷停止に追い込まれました。このままでは産業が衰退しかねない。そんな危機的状況に手を差し伸べたのが銀座ミツバチです。
「銀座の街角に伊達市産のあんぽ柿を吊るすための棚を設けました。秋に伊達市で収穫した柿をその棚で干すんです。あんぽ棚を町の中に取り入れると季節の変化がわかりますね」
銀座の町中に登場したあんぽ棚は、それまであんぽ柿を知らなかった人にその魅力を伝え、購買意欲を高める抜群のプロモーション効果を発揮しました。
地域の課題に向き合い、解決に向けての道筋を銀座ミツバチがサポートする。まさに「銀座☓地方」の組み合わせともいえる活動です。そこに田中氏が熱心に取り組む理由は、地方にはポテンシャルを秘めた資源がたくさんあると考えるからです。
「地元の方々は『うちには何もない』とおっしゃいますが、こちらからすると豊かな資源の宝庫。それを活かすには外部の視点を使うことが必要なんです。私たちは、銀座のシェフやバーテンダー、デザイナー、経営者、クラブのママさん、バイヤーさんなどさまざまな職種の方を募って地方のエリアにもお連れしていますが、いつも発見があります。異質なものが加わり、つながりが生まれるからこそ変化が生まれます。ミツバチと同じように人間も集団で生きている。コロナでつながりは希薄になりましたが、人と人、人と自然、都市と地方とのつながりが将来の私たちの生活を担保するのだと思います」
地方に横たわる貴重な価値に目を向け、育て、実を結ばせる。そのために必要なのは変化をもたらす「異質な存在」とつながりの強化。ここに尽きるのかもしれません。
お話を聞いた方
田中 淳夫氏
特定非営利活動法人銀座ミツバチプロジェクト 副理事長
1957年東京生まれ。79年日本大学法学部卒業後、多目的ホール、貸し会議室及びテナント業などを管理する株式会社紙パルプ会館へ入社。現在、専務取締役を務めるかたわら「銀座の街研究会」の代表世話人として銀座の街の歴史や文化の研究にも取り組む。2006年銀座ミツバツプロジェクト設立。受賞歴に「あしたのまち・くらしづくり会議」奨励賞、「エコ・ジャパン・カップ2008」ライフスタイル部門「元気大賞」、2010年環境大臣賞、2012年農林水産大臣より「食と地域の絆づくり」で表彰など。著書に『銀座ミツバチ物語』(時事通信出版局)。
▶オンラインショップはこちら https://ginza-bee.com/
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