現場で得た手触り感が新たなビジネスを生む
吉本興業が事業拡大を続ける理由【セミナーレポート】
目次
1912年に創業した吉本興業は、従来の芸能プロダクションの枠にとらわれず、地域創生事業や国際映画祭の開催など、さまざまなプロジェクトを実現しています。2022年に創業110周年を迎えた長寿企業において、新しい発想はどのように生まれ、具現化されているのか。多くの事業を牽引してきた吉本興業ホールディングス代表取締役会長の大﨑洋氏と、学習塾「坪田塾」の塾長で吉本興業ホールディングスの社外取締役でもある坪田信貴氏が対談しました。
夢を持つ人の人生に伴走するのが務め
堀内 吉本興業は、芸能人のマネジメントだけでなく、沖縄や京都の国際映画祭、あなたの街に“住みます”プロジェクトなどの新事業を展開し、話題を集めています。私の個人的な体験でいうと、「なんば花月」に訪れた際に、ステージとの近さとあわせて手触り感があって、とても感動したことを思い出しました。吉本興業は人にまつわる産業であり、広い意味で教育産業ともいえるでしょう。坪田さんが吉本興業に関わっているのも納得できます。
坪田 2018年に社外取締役に就任するまで、僕は世間一般の人たちと同じように吉本興業をお笑いの芸能プロダクションだと思っていました。
その通りではあるのですが、地域創生事業や国際映画祭の開催、アスリートマネジメント、学校運営など、いわゆるテレビや劇場で観る漫才やコントといったお笑いはほんの一握りではないか、というくらい多岐にわたって事業を展開しています。そして、その大半を大﨑会長がつくってきた。大﨑さんが入社された頃の吉本興業はどのくらいの規模だったのですか。
大﨑 1978年に入社した時の僕の社員番号は99。成績順で僕は最後だったから、社員が99人ということになります。芸人の数ははっきり覚えていませんが、当時あった「なんば花月」「うめだ花月」「京都花月劇場」の3つの劇場に出ている人だけだから100人ぐらいではないでしょうか。
僕の仕事は劇場前の掃除。それも今のように清潔感はなく、映画館を改修した場末感漂う劇場をひたすら掃除していた。
坪田 掃除夫から会長になった男って言われてますもんね(笑)。現在は、社員約900名で所属タレントは約6000人というから驚きです。数年前に吉本興業の認知度調査をしたら90%を超えていました。
大﨑 僕もそんなにいるとは知りませんでした(笑)。数年前にコンプライアンスの再徹底を図るために、一人ひとりと面談をしてきちんと契約書を交わしたらお笑い芸人から俳優、ミュージシャン、文化人と6000人もいた。
それまでなぜ契約書を交わしていなかったのかと思うかもしれませんが、僕は芸人を抱える組織としては出入り自由ぐらいのゆるやかな感覚でいいと思うんです。だから、必要性のないものは「口頭契約」にしていました。
坪田 口頭でも当事者が合意すれば、契約は法的にも成立しますからね。
大﨑 タレントは基本的に個人事業主で、我々は彼ら個人事業主とマネジメント契約という請負・委託契約を結びます。でも僕は、世の中の人を「笑顔にするために」、ボルテージの高い夢を持った人たちの人生に伴走する仕事だと思っている。その根底にあるのは信頼関係です。
吉本には40代妻子持ちでギャラは月数万円という芸人もたくさんいます。彼らは「親が倒れて入院費がいる」とか「子どもが進学する」となると、お金に困窮することがある。そんな時は、芸人とマネージャーがコミュニケーションを取りながら、「じゃあ、今回はギャラの取り分を多めにするよ」と調整しながらやってきたんです。
契約書が大事なのはわかりますが、交わしてしまうとそれが難しくなります。僕らみたいな人を扱う商売は信頼関係が特に大切であり、吉本興業110年の歴史を支えているのは、「みんな家族」という思いなんです。
自治体と連携して地域活性化事業にも取り組む
堀内 吉本興業は「地方創生・デジタル・アジア」の3つをテーマに事業を展開しています。2011年にスタートした「あなたの街に“住みます”プロジェクト」は地方創生の中心事業ですが、どのような経緯で始められたのでしょうか。
大﨑 東京進出のあとはよく新幹線で東京と大阪を移動していたのですが、その時に車窓から田畑や海が見えるじゃないですか。「あ、畑を耕しているなあ、あっちには漁船が見えるなあ」って眺めていたんですけど、ふと、農家の人や漁師がどのような生活をしているのか、まったく知らないことに気づいた。
つまり僕はとても偏ったものの見方をしているのではないか、そしてそれは会社も同じではないか、と思ったんです。だから、各都道府県で社員を雇い、芸人に住んでもらって地域で得た楽しい情報を社内で共有する。そうすれば個人も会社も視野が広くなり、バランスが良くなるのではないかと考えました。
もう一つは、2009年から開催している沖縄国際映画祭で、タクシーの運転手さんが涙を流しながら「沖縄でこんな大きなお祭りをしてもらってありがたい」と言ってくれたこと。地元の方と一緒に事業をつくっていくことの重要性を感じました。沖縄ではのちにアートフェスも始めていて、地元のおじいやおばあが観光客を案内しています。
現在は全国に約145人の「住みます芸人」がいて、地元放送局のレギュラー番組は238本。578の自治体で観光大使を務め、自治体と包括連携しての活性化事業にも取り組んでいます。さらに、タイやベトナムなどアジアでも「住みます芸人」が活動している。
坪田 大﨑さんはかつて、ダウンタウンさんの才能を輝かせるために心斎橋筋2丁目劇場をつくりました。そこでダウンタウンさんの人気に火がついて、松本人志さんの『遺書』が400万部以上のベストセラーになり、浜田雅功さんのシングル「WOW WAR TONIGHT ~時には起こせよムーヴメント~」が200万枚を売り上げたら、今度は出版部門や音楽部門を立ち上げた。
大﨑 書籍やCDの契約の仕組みや効果について知るうちに、吉本でもやったほうがいいんじゃないかって思ったんですよ。
坪田 「住みます芸人」のプロジェクトも同じで、大阪や東京での活躍は難しくても、地元が好きで、地元のために何かしたいという芸人さんのために新しいステージをつくる。そして、そこで得た手触り感や出会いを活かして新たなビジネスを生み出し、内製化させています。
この一連のパッケージを繰り返してきたことが、現在の多様な事業展開につながっている。しかも、誰かの「笑顔のために」という本質はぶれていないから、事業を広げても吉本らしさは失われないのでしょう。
堀内 本質がぶれてないというのは、長寿企業に共通することでもあります。波乱万丈がありながら、吉本興業が100年以上続いてきたポイントと言えるかもしれません。
大﨑 かつて僕たちの仕事は「実業」ではなく「虚業」だと言われていました。お米を育てたり、鉄をつくったりするような形のあるものではなく、なんの役に立っているのかもわからないものですからね。
ただ、こんな話を聞いたことがあります。とある炭鉱で坑夫たちが一丸となって穴を掘る中、一人だけおどけてみんなを笑わせている男がいた。あまりに仕事をしないので邪魔だと思った現場監督がその男をクビにしました。すると、たちまちに全体の効率が落ちたんです。
お笑いにはそういう効果がある。吉本もそんな存在であり続けたいと思います。
登壇者
大﨑 洋 氏
吉本興業ホールディングス 代表取締役会長
1978年4月吉本興業株式会社入社。数々のタレントのマネージャーを担当。1986年プロデューサーとして「心斎橋2丁目劇場」を立ち上げ、この劇場から多くの人気タレントを輩出。1997年チーフプロデューサーとして東京支社へ。その後、音楽・出版事業、スポーツマネジメント事業、デジタルコンテンツ事業、映画事業など数々の新規事業を立ち上げる。2001年に取締役、その後、専務取締役、取締役副社長を経て、2007年代表取締役副社長、2009年代表取締役社長、2018年共同代表取締役CEO、2019年代表取締役会長に就任。2019年12月「公益社団法人2025年日本国際博覧会協会」シニアアドバイザーに就任。2022年4月近畿大学客員教授を委嘱。
坪田 信貴 氏
坪田塾 塾長 / 吉本興業ホールディングス 社外取締役
累計120万部突破の書籍『学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話』(通称ビリギャル)や累計10万部突破の書籍『人間は9タイプ』の著者。これまでに1300人以上の子どもたちを子別指導し、心理学を駆使した学習法により、多くの生徒の偏差値を短期間で急激に上げることで定評がある。大企業の人材育成コンサルタント等もつとめ、起業家・経営者としての顔も持つ。テレビ・ラジオ等でも活躍中。新著に『やりたいことが見つからない君へ』がある。東京都在住。
モデレーター
堀内 勉
一般社団法人100年企業戦略研究所 所長
東京大学法学部卒業、ハーバード大学法律大学院修士課程修了、Institute for Strategic Leadership(ISL)修了、東京大学 Executive Management Program(EMP)修了。日本興業銀行、ゴールドマンサックス証券、森ビル・インべストメントマネジメント社長を経て、2015年まで森ビル取締役専務執行役員CFO。