第3回 総量規制からバブル崩壊 ~「都市計画法」改正~東京の都市経済・政策・計画の変遷を捉える~

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都市政策の第一人者であり、明治大学名誉教授の市川 宏雄氏が執筆したコラムを定期的に掲載していきます。今回はバブル末期・バブル崩壊後の経済の動きと、当時行われた都市計画法改正・規制緩和がもたらした今日までの都市開発について解説します。

不動産向け融資の抑制・バブル崩壊 図

大蔵省による資金融資の抑制が引き金となりバブルが崩壊し、都市計画法が改正されるまでの流れについて取り上げます。
後から分かるわけですが、株価がピークを越えた時期はバブル経済の真っ最中でした。銀行が過剰に資金融資をして不動産購入をすすめたため、不動産価格が高騰し、大蔵省が介入をして抑制を始めました。

価格高騰には様々な要因がありますが、大蔵省はお金の余剰が原因と考え、融資伸び率を抑え込もうとしました。これによって行き過ぎた不動産価格高騰の鎮静化を図ったわけですが、これには大きな抜け穴がありました。それは住宅に関しては総量規制の対象外だったことで、結果的にここからお金が流出する事態が起こります。アメリカでも「サブプライムローン問題」が引き金となってリーマン・ショックが引き起こされましたが、全く同じ状況が当時の日本にも存在したわけです。

結果的にこれが住宅金融専門会社の不良債権問題へと繋がります。この後5年ほどでバブルが崩壊しますから、貸し込んだ事実が大変な事態を招きます。人々の意識転換が進まないうちに暴落するとどこかがシワ寄せを受けるわけで、北海道拓殖銀行(拓銀)や日本長期信用銀行(長銀)、日本債券信用銀行(日債銀)などの金融機関が破綻しました。ここからバブル崩壊後の経済低迷が始まりますが、その背景にはこうした凄まじいレベルでのお金余りと投資があったわけです。

ではなぜこれほどお金が余ったかと言うと、1985年に有名な「プラザ合意」が行われ、世界が日本の円高に対して圧力をかけて円を切り下げたことが原因です。これまで無かった倍近くのお金が国内に滞留したわけで、それが海外へと向かい、当時は三菱地所がニューヨークの中心部にあるロックフェラーセンターを買収するなど大騒ぎになりました。

これはほんの一例で、私が当時アメリカを訪問したときには、あまり聞き覚えの無い日本の不動産会社があちこちで物件を買い漁っていたほどで、どれだけお金が余っていたかがわかります。そして、国内では不動産価格が暴騰します。もう異常な状況です。最後には大蔵省が不動産価格の暴騰を抑え込むため金融を引き締めましたが、住宅金融専門会社からお金が流れていた。こうした事態が起こっていたのです。

「失われた20年」のはじまり 図

ではいつバブルが崩壊するかですが、株価がピークを打つのは実は80年代末です。それ以降だんだん下がっても、人々は一度そこまで上がったものが下がり続けるとは思えません。ところが実際は93年頃からもう上がらなくなるわけです。ここで有名な「失われた10年」が始まります。株価がみるみる下がっていき、何をしても上がらない、真っ暗なトンネル状態が続きます。

当然ながら大量に買い込んだ不動産価格が暴落しましたから、買った当事者は維持できなくなって色々なことが起こります。銀行がいくつか潰れただけではなく、投機にお金を使った個人も多いですし、当然企業も様々な意味で負債を負うことになります。都心で不動産価格が下落したため、担保価値の下落から貸し剥がしにあうなど、多くの企業が市場から撤退していきます。

その跡が空き地になって、結果的にオフィス供給は不要ということで住宅供給が始まります。そうすると価格が暴落した土地で住宅を造りますから、マンションが安く建ちます。こうしてバブル経済崩壊後5年くらい経過してから始まった都心での住宅供給が、現在の都心回帰へと繋がって、なお進行しているというわけです。

土地利用規制の適正化・都市計画の地方や地域の主権強化 図

そうした中、1992年に「都市計画法」が改正されます。これにはタイムラグがあって、この法改正は、バブル期にあまりにも開発が多くなったために、規制を緩めようとして行われたものです。緩めようとした時期はバブルでしたが、この改正法ができたときには、バブルが崩壊し始めていました。いずれにしても、例えば住居専用地域を2つに分類するなど、開発を行いやすくする施策を始めます。

しかし、実際に改正された頃にはバブルは崩壊していたわけで、この施策が意味が無かったかというと、実は2000年代に入って「都市再生」が始動したときに活きてきます。また、バブル経済崩壊であまりに破綻してしまったため、もっと規制を緩和すべきという動きも相まって、結果的に現在の開発ラッシュへと繋がります。今、東京全体で起きている状況はここにポイントがあって、バブル経済とその崩壊がなければ、現在これだけの規制緩和は実現していなかったと言えるのです。

著者

市川 宏雄いちかわ ひろお

明治大学名誉教授
帝京大学特任教授
一般社団法人 大都市政策研究機構・理事長
特定非営利活動法人 日本危機管理士機構・理事長

東京の本郷に1947年に生まれ育つ。都立小石川高校、早稲田大学理工学部建築学科、同大学院修士課程、博士課程(都市計画)を経て、カナダ政府留学生として、カナダ都市計画の権威であるウォータールー大学大学院博士課程(都市地域計画)を修了(Ph.D.)。一級建築士でもある。
ODAのシンクタンク(財)国際開発センターなどを経て、富士総合研究所(現、みずほリサーチ&テクノロジー)主席研究員の後、1997年に明治大学政治経済学部教授(都市政策)。都市工学出身でありながら、政治学科で都市政策の講座を担当するという、日本では数少ない学際分野の実践者。2004年から明治大学公共政策大学院ガバナンス研究科長、ならびにこの間に明治大学専門職大学院長、明治大学危機管理研究センター所長を歴任。
現在は、日本危機管理防災学会・会長、日本テレワーク学会・会長、大都市政策研究機構・理事長、日本危機管理士機構・理事長、森記念財団都市戦略研究所・業務理事、町田市・未来づくり研究所長、Steering Board Member of Future of Urban Development and Services Committee, World Economic Forum(ダボス会議)in Switzerlandなど、要職多数。
専門とする政策テーマ: 大都市政策(都心、都市圏)、次世代構想、災害と危機管理、世界都市ランキング、テレワーク、PFI
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