「分散型」の産業構造を変えなかった日本
~デービッド・アトキンソン氏が解く「賃金」も「税金」も上がらない社会が行き着く先

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凋落が指摘され続けている日本経済。復活の鍵は、はたしてどこにあるのか。そのとき、中小企業はどのような役割を果たしうるのか――。付加価値を上げていくならば集約型の産業構造をつくる必要があるが、日本は分散型のまま変わらずに令和を迎えている。私たちが抱えている最大の病理とは、はたして何か――。

「分散型」か「集約型」か

本連載では日本にはびこるいくつかの「俗説」の誤りを考えてきました。すでに申し上げたように、日本には卓越した技術力があるからこそ、製造業が日本経済の中心を占めていると見られがちですが、その捉え方は単純すぎます。経済における製造業の割合の高低は、基本的には国民の平均年齢とリンクします。すなわち、平均年齢が若ければ皆がモノを欲しがるので製造業が必然的に盛んになります。反対に若者ほど物欲がない高齢者が多ければ、医療や介護にお金が流れていくでしょう。平均年齢が非常に低かった1960年代に日本の製造業は極めて盛んで、1990年代以降、次第に縮小している流れは、先進国各国の歴史の繰り返しにすぎません。製造業が減って、サービス業が増えているのは、私にいわせれば、あくまで平均年齢次第なのでその変化が経済成長の問題になっている主張は意味がないのです。

先進国を分析すると、同じようなインフラや教育水準などの基礎条件が揃っていても、賃金とそれを支える生産性は大幅に違います。その違いは労働者などの資源をどの産業構造に配分しているかによります。それは、どの業界の割合が高いか低いかという話ではありません。主に数多くの企業に薄く配分している「分散型」と、相対的に少ない企業に配分する「集約型」のどちらかによって賃金が決まります。いまの世の中で付加価値を上げていくならば、集約型の産業構造が有利で、それはパンデミックでも証明されました。

パンデミックに際して、日本は国民一人あたりの病床数がダントツ世界一であることに加えて、それほど深刻な感染状況ではなかったにもかかわらず、病床使用率が世界一になるなど医療崩壊がささやかれたことは記憶に新しいでしょう。なぜそのような状況を招いたかといえば、現在の日本の医療構造が分散型だからです。街を歩けば、専門性がさほど高くない小さなクリニックがたくさんあるでしょう。そうしたクリニックは病床が多くなく、設備も充実しているわけではありません。クリニックあたりのスタッフの数も少ないです。

他方で、大型病院であれば設備は高度だし、スタッフも多いのでコロナ患者専門の医者やフロアの対応ができます。1人で運営しているようなクリニックではそうはいかず、結果としてコロナ患者に対してコロナ対応することが難しい。だからこそ、病院の数の割にはコロナ対応に使える病床が多くなく、医療崩壊に近い状況が訪れてしまったのです。日本の構造的な問題点を端的に表した事例だといえるでしょう。

途上国と同じ農業の構造

いま、日本人の労働者の70%は中小企業で働いていて、日本企業の85%の平均社員数は3.4人にすぎません。これはすなわち、小さなクリニックが乱立している医療業界と同じ構造です。このような仕組みは、平時には機能するかもしれません。しかし、パンデミックのような有事には生産性を発揮することができず、十分な対応ができないということは前述のとおりです。

これは農業に対してもいえることで、日本の農家は北海道を除けば1人あたりが大きな農地をもっているわけではなく、平均の経営耕地面積は3.4ヘクタールです。じつは、この数字は欧州の10分の1以下です。先進国ではいま、生産性の観点から機械化すればするほど、その機械化を活かすために1人あたりの経営耕地面積を増やしています。

しかし、日本は現状維持をするあまり、平均がほぼ横ばいで、先進国に置いていかれました。その結果、経営耕地面積は3.4ヘクタールにとどまっているのであり、この数字はパキスタンやミャンマーなどの途上国と同水準。これでは各農家の所得に限界があって増えることはありませんし、むしろ彼らの暮らしが成り立たなくなる。すると、若者たちがこの業界に参入することをためらうようになる――。日本においては、さまざまな業界でこの種類の問題が生じています。

なぜ賃金が上がらないといけないのか

日本が分散型の産業構造であることは、いまに始まったことではありません。それでも、過去には人口が大幅に増加していたことにより、世界第2位の経済大国に成長できましたから、その事実には目を向けられてきませんでした。しかし、人口さえ多ければ、たとえ付加価値は低くても経済規模の世界ランキングをトップクラスにすることはできます。現在の中国が証明しているとおりです。

日本政府はこれまで、大いに中小企業を保護してきました。参入の壁をかなり低くして企業をつくりやすくしたし、会社をつくることの「旨味」もつけました。企業の経営者になれば、公私混同は取り締まらないのです。それこそ家の電気代や食事代までも、すべてを経費で落とすことができるのですから。所得を家族で分けて所得税の節税もできるなど、多くの面で経営者になったほうが得な社会であり、だからこそ小さな企業が続々と増えていき、結果として分散型の産業構造がより強固なものになったのです。

しかし、分散型の産業構造では分業制が進まないので、規模の経済が働かず、付加価値を上げることは難しい。設備投資の金額も限られていますから、これでは収益は上がりません。もちろん、従業員の賃金が増えることもない。それでも、人口増加社会であれば経済としては成長しますが、現在の日本ではそれも見込めません。経済成長とは人口と賃金が主な要素なので、これからの日本では賃金を上げるほかありませんが、その動きもいまだに遅々として進んでいません。

賃金が上がっていなければ、国民1人ひとりが豊かになっているわけではありません。本当の意味で国が発展するには賃金が上がらないといけませんが、そのためには付加価値を増やすことが重要になる。この論理をいまだに多くの日本人が理解していない点が、私の目には日本のもっとも大きな問題のように思えてなりません。

日本が抱える最大の病理

なお、分散型の産業構造を変えることができなかったのは、すべてが国策の結果というわけではありません。そもそも、国の政策や戦略がそこまで影響するものでもないでしょう。普通であれば、経済情勢の変化とともにとくに規模の小さな会社が対応と成長を強いられますが、日本では経営者が決してそれを容認せず、また中小企業が保護されたことにより、結局すべてが冷凍保存されたことによって、賃金も現状維持となってしまいました。より端的に申し上げるならば、日本ではすでにできあがった産業構造や世の中の「常識」を誰も変えるつもりがないのです。

繰り返しますが、人口が減っている以上、産業などの現状維持はありえません。市場や業界がシュリンクしているのに、売上を横ばいにしていきたいのであれば、同じ議論を回していても意味がなく、何かを変えなければいけないのです。でも日本社会は、高齢者が増えて社会保障負担が重くなるにもかかわらず、賃金も税金も上げないという非現実的な言説ばかりが飛び交っている。あれもこれも「ノー」と言い続けるのは、国に対して借金をして誤魔化してくれと言っているようなものですが、それももはや限界です。

企業にとって、最近の深刻な課題は物価高でしょうが、この事態に際しても工夫することなく、とくに中小企業は賃金を上げるつもりはないと口にして、政府に景気対策をこうじてくれと要望している経営者も多い。でも、人口減少社会では、自分たちが何も変えることなく、現状を維持して経営を持続させることなどありえないのです。それはつまり、日本が直面している根本的な課題が少子高齢化であることが理解できていないことを意味するでしょう。この点がまさしく、日本が抱えている最大の病理であると私は思います。

著者

デービッド・アトキンソン 氏

株式会社小西美術工藝社社長

1965年、英国生まれ。オックスフォード大学「日本学」専攻。1990年、来日。1992年にゴールドマン・サックス入社。2007年に退社し2009年に国宝・重要文化財の補修を手掛ける小西美術工藝社入社、2011年、同会長兼社長に就任し、日本の伝統文化を守りつつ伝統文化財をめぐる行政や業界の改革への提言を続けている。主な著書に『デービッド・アトキンソン 新・観光立国論』 (山本七平賞、不動産協会賞受賞)、『日本人の勝算 人口減少×高齢化×資本主義』(いずれも東洋経済新報社)他多数。

[編集協力] 株式会社PHP研究所 メディアプロモーション部/写真撮影:鶴田孝介

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