日本の成長はなぜ止まったのか
~デービッド・アトキンソン氏が解く日本経済の「神話」「俗説」
目次
バブル崩壊後の1991年に日本の不良債権の実態を暴くレポートを発表し、一躍、時の人となったアナリストのデービッド・アトキンソン氏。以来、アトキンソン氏は、日本再生の鍵を握るのは企業の生産性向上にあると訴え続けている。凋落が指摘され続けている日本経済。復活の鍵は、果たしてどこにあるのか。そのとき、中小企業はどのような役割を果たしうるのか――。連載の初回にあたる今回は、日本の高度経済成長にまつわる「神話」「俗説」への誤解を解くことから始める。
「勤勉さ」「技術力」という神話
日本はかつて世界第2位の経済大国でしたが、平成の30年間で低迷を続けました。その要因についてはさまざまな角度から指摘や考察がなされていますが、私はそもそも「なぜ経済大国になれたのか」という点について、議論すべきだと考えています。なぜならば、日本がかつて成功を収めた要因を認識しなければ、そこから凋落した理由も見えてこないからです。
あえて結論を急ぐならば、多くの日本人は、日本はかつて「実力」だけで経済大国の座に上り詰めたと認識していますが、それは事実ではありません。たとえば、日本は高度経済成長期を経てGDP総額のランキングで世界2位に上り詰めました。たしかにそれは事実です。しかし、GDPの総額とは人口が多い国が有利になるわけで、1億2,000万人の人口を誇る日本が8,000万人台のドイツや6,000万人台のイギリスを上回るのは何も不思議な話ではありません。当然、同じ経済の実態であれば、1億2,000万人の経済総額は6,000万人の経済総額の倍になります。
これは計算機を叩けばわかる問題ですが、日本人はその現実を直視してきませんでした。それよりも、「勤勉さ」や「技術力」のおかげで、世界2位に躍り出たという神話を信じてきました。たしかにアメリカからも「ジャパン・アズ・ナンバーワン」という言葉が聞こえましたが、客観的に見れば、日本が人口2億4,000万人のアメリカを追い抜くはずもなかったのです。
そもそも、日本経済の基盤は戦争でかなりの打撃を受けましたから、戦前の水準に戻るだけで、高い経済成長率となるのは必然でした。また、高度経済成長期の日本は爆発的に人口が増えていて、1970年代前半には世界一の生産年齢人口(15-64歳)の割合となりました。後ほど詳しく述べますが、以上の条件を見るだけでも、経済が好転するのは必然でした。
高度経済成長期の日本については、「貿易大国」として世界を席巻したとも根強く言われるところですが、じつはこれも大いなる勘違いです。貿易大国は普通、貿易の量を言います。1980年代にはそうした言説が流れたのは、主にアメリカに対する貿易黒字の比率が高かったため、同国から批判をされたという話です。
こういうお話をすると、「そんなことはない、日本は輸出大国だ」という声が聞こえてきそうですが、これが現実なのです。たとえば、GDPに対する輸出割合は1989年において世界の115位でした。世界全体で対GDPに対する輸出量は約33%であったのに対し、日本は約1割でした。1980年代にアメリカは日本を批判しましたが、それは輸出を減らせというよりも、アメリカからの輸入を増やせという話でした。アメリカからすれば、日本はアメリカからの輸入よりもアメリカへの輸出がはるかに多くて不公平だというわけです。アメリカが日本にオレンジや車の輸入を迫るような報道を記憶している方もいるでしょう。
経済成長の鍵を握るのは「人口」
誤解なきように申し上げると、私は日本人の勤勉性を否定しているわけではないし、世界に負けない技術力もあります。でも、それが過去の高度経済成長の主因と捉えると、その後の経済の低迷を考えるうえでも齟齬が生じてしまいます。
論理的に考えるとわかりますが、経済の規模と経済の成長率は、その国の才能だけで説明することは不可能です。経済の規模が大きい国は、人口に数が多いほど、大きな経済規模になりやすいし、経済成長も、素晴らしい経営者がいれば、できるものとは限りません。
トマ・ピケティがかつて指摘したように、経済成長の要因とは人口増加とイノベーションの二つに集約できて、この300年間、経済の成長は、自農増加が半分で、生産性向上が半分です。これは「量」と「質」に置き換えられる話で、まず人口が増えるということは衣食住も同時に増えるということですから、国民が餓死するほどに貧しい国でなければ、必然的にGDPは純増します。この人口の話でとくに重要になるのが先ほども話に出た生産年齢人口で、つまりはGDPを生み出す人びとです。
生産性向上とは質の改善です。働いている人の一人ひとりが捻出する付加価値が増えることを意味します。また発明とイノベーションによって生活水準が上がります。これは才能の部分です。
アフリカには人口が多い国があるのに、なぜGDPがなかなか向上しないかと言えば、平均年齢が非常に低く、仕事をしていない人が圧倒的に多いからです。また、生産年齢人口とは家を建てるなどもっとも消費をする年代でもありますから、この層が少なければその国ではお金が回りません。ちなみに、日本では1995年くらいに生産年齢人口が減り始め、すでに1,400万人も減っています。だからこそ平成のあいだに経済が低迷したのです。
平均年齢が若い国であればあるほど、製造業に強いという特徴もあります。それは単純に製造業の現場では労働力として若者のほうが生産性は高いということと、若者はモノを欲しがるからです。1964年当時、日本の平均年齢は24歳で、ちょうど大家族の制度も徐々に薄れつつある時代でした。だからこそ、当時の日本の若者は家を買おうとしたし、そうなれば家具や車、洋服なども購入しようとしたわけで、その流れが生まれれば高度経済成長に大きく寄与するに決まっているのです。
そうして一通りモノが揃えば、今度は外食や観光、余暇にお金を使うようになります。サービス業が発展します。貯金も増えます。現に日本では平成に入り、製造業が減ってサービス業が増えました。それに対して、経済政策の失敗だと指摘する声もありますが、平均年齢が上がれば必定の話です。人間は年齢を重ねれば、求めるモノやサービスが変わるのですから。平成に入り、日本の消費が伸びなくなったことの要因を消費税導入に求める声もありますが、私に言わせればそれは無知な俗説にすぎません。消費税の導入は経済の低迷が始まったタイミングと偶然に合っているだけで、因果関係はありません。消費税を導入している国は1989年から激増して、いまは174カ国となっていますが、日本以外は経済が成長して、賃金が上がっています。消費税の導入が日本経済の低迷の原因ではないのです。
すべては科学的根拠のもとに考えよ
続いて経済成長のもう一つの要素である「質」についてお話しすると、これは経済学としてはまだ実際には検証されていませんが、私は人口が増えることと生産性が上がることは因果関係があると考えています。それは規模の経済性が働くからです。いろいろなモノをつくったり、またその過程で工夫したりするということは、人口が増えていて余裕のある国のほうがやりやすいし、逆に平均年齢が高い国ではイノベーションへの意欲そのものがさほど強くありません。
さらに言えば、消費の中核を占める生産年齢人口が減れば減るほど、GDPを維持するために供給を増やしても需要者が減るので、「誰に売るか」という視点が欠けています。国内だけでは、需要が足りなくなる可能性が高いです。グローバルに展開できるのならば可能性はありますが、先ほども申し上げたように日本は輸出大国でもない。
私が何よりも強調したいのは、データなどの科学的根拠に基づいて評価判断を下さなければ、過去を正しく分析できないし、未来を検討することもできないということです。私の目には、どうにも日本人はイメージで物事を語り過ぎているように映る。だからこそ、過去の経済成長の背景も、「勤勉さ」「技術力」という言葉で片づけてしまうのです。
以前にオックスフォード大学の日本史の教授と話していたとき、「なぜ日本人は戦国時代が好きなのか」について議論したことがあります。もちろん、日本において劇的な変化があった時代ということもできるでしょう。しかし先生に、「十分な文献が揃っていないため、想像を働かせられる」ことが人気の理由ということを言われました。本能寺の変の黒幕をめぐって、いまも議論が繰り広げられていることが象徴的です。
そうしたイマジネーションについては、人間の営みとして否定されるべきではありません。しかし経営というテーマに限って言えば、リアルな現象をエビデンスで捉えて、「ヒト・モノ・カネ」を動かすことが肝要です。エビデンスに基づいて政治を決定する「エビデンス・ベースド・ポリシー・メイキング(EBPM)」が叫ばれ始めたのはここ数年の話ですが、言うまでもなく、同じ姿勢が経営にも求められるのです。日本経済の再生を考えるのであれば、まずは科学的に過去を振り返ることから始めるべきなのは言うまでもありません。
著者
デービッド・アトキンソン 氏
株式会社小西美術工藝社社長
1965年、英国生まれ。オックスフォード大学「日本学」専攻。1990年、来日。1992年にゴールドマン・サックス入社。2007年に退社し2009年に国宝・重要文化財の補修を手掛ける小西美術工藝社入社、2011年、同会長兼社長に就任し、日本の伝統文化を守りつつ伝統文化財をめぐる行政や業界の改革への提言を続けている。主な著書に『デービッド・アトキンソン 新・観光立国論』 (山本七平賞、不動産協会賞受賞)、『日本人の勝算 人口減少×高齢化×資本主義』(いずれも東洋経済新報社)他多数。
[編集協力] 株式会社PHP研究所 メディアプロモーション部/写真撮影:鶴田孝介