「効率性」と「生産性」を混同する日本
~デービッド・アトキンソン氏が解く「弱者」として優遇され続けることのツケ

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凋落が指摘され続けている日本経済。復活の鍵は、はたしてどこにあるのか。そのとき、中小企業はどのような役割を果たしうるのか――。日本ではいまだに大量生産・大量消費の時代に追い求められた「効率性」や「長時間労働」が重視されている。この呪縛からどのように抜け出して、いかにして「生産性」を向上させるべきなのか。

日本人が追求しているのは生産効率性

前回は日本のみならず東洋に根づいている「前例主義」「形式主義」について考えました。形式主義にはさまざまな弊害がありますが、かつての日本の職場では「何をやるか」よりも「どれだけ働くか」が重視されていた点も、その典型例の一つといえるでしょう。形式的に「週に○○時間働けばいい」という長時間労働至上主義ほど、馬鹿げた考え方はありません。

だからと言って、「効率よく仕事をしよう」という考え方も、じつはおかしい。私はしばしば、日本ではどうやら「効率性」と「生産性」が履き違えられている、と感じる場面に出合います。これからの時代には、いかに付加価値を生み出すかが求められます。そのときに必要なのが生産性ですが、いまだに生産性ではなく効率性を追求している日本人は少なくないように思えます。

効率性とは、同じ仕事量や労働時間で多くの製品などの成果を生み出すことですが、いまの人口減少時代に求められているのは、量を生み出すことではありません。効率性とはむしろ、人口増加時代に求められる大量生産・大量消費の時代の古い発想であり、そもそも付加価値の議論とは結びつかないのです。そして、多くの日本人は生産性を効率性のことであると混同している。それは正しい表現を用いるならば「生産効率性」とでも言うべきでしょう。なお、量を増やしてコスト比率を減らすことも生産性向上の一環だと勘違いされがちですが、それは文字通りたんなるコスト削減以外の何物でもありません。

付加価値のない仕事を24時間やっていても、それはむしろ無駄です。付加価値のないことを効率にできるが、付加価値がないことには変わりがないです。反対に1時間で付加価値を生み出せるのであれば、労働時間という尺度など不必要です。私がゴールドマン・サックスで室長を務めていたとき、会社の売上にほとんど貢献していない日本人アナリストに対して、仕事のやり方を変えるように話したことがあります。すると彼は「自分は朝から夜中まで会社でこうして働いているのに、室長は夕方には家に帰っているじゃないか」と言われて驚きました。誰が先に帰っているかは、売上には何の関係もない話だからです。

日本ではこのように、依然として成果よりも労働時間を重視する風潮が存在しています。国会を見ればよくわかる話で、出席だけして居眠りしている議員は、いつの時代も存在します。職場に来てさえいれば、ボーっとしていても文句を言われない。これは職場でも同じでしょう。ところが、海外では国会で寝る人はほとんど見かけません。国会に出席しているということは、議論しなければいけないとわかっているからです。出席だけすればいいとはやはり典型的な形式主義ですが、これは残念ながら日本特有の文化だといえるでしょう。

「君臨すれども統治せず」の経営者たち

日本には約400万社が存在しているので、その分だけ経営者がいることになりますが、彼らは戦後にできた制度のなかで、形式主義のもとに大きな変化を避けながら会社を舵取りしてきました。報道では「物言う株主」などの言葉が用いられて、アメリカ型の利益至上主義の波に晒されているなどと言われていますが、そのような厳しい状況と向き合っているのはごく一部の企業です。

約400万社のうち、上場しているのは0.1%にすぎません。それらの会社は、日本の労働者の4%を雇用していて、たしかに利益至上主義と向き合いながらビジネスを展開しているでしょう。裏を返せば、99.9%の会社は非上場の中小企業ですから、社外取締役もいないし株主から厳しい目を向けられているわけでもない。政府が定めるガバナンスコードから離れて経営者が独裁を振るうことも可能です。そうした会社の実態については十分な統計もないし、たしかな分析をしている人もいないです。

いずれにしても、現在の日本の経営システムは戦後につくられたもので、当時から中身は大きくは変わっていません。そもそも日本の企業の数は1960年代と比べて激増している事実もあり、いま存在している会社のほとんどは戦後の設立です。人口が激増している長い時代で、黙ってモノが売れる時代でした。会社さえ効率よくやっていれば、人口増加という外部要因によって売上を増やせました。経営の良し悪しだけではない、よい時代でした。

その後、1990年代に入って人口増加が止まった瞬間に経済成長も頭打ちになりましたが、人口動態と経済成長の因果は本連載ですでに述べたとおりで、平成の「失われた30年」は本来であれば造作なく予測できたはずです。

経営者の本来の役割とは、そうした世の中の流れを検証・予測したうえで、どう対応するかを考えることです。しかし、これまでの日本の経営者はあたかも「君臨すれども統治せず」を体現していました。現状維持をしてきました。それでも、日本経済が右肩上がりであれば乗り切ることができたかもしれませんが、いまのような変化の激しい時代では、そのような受け身の姿勢では無理です。

経営者の実力が問われる時代

日本政府にも大きな問題がありました。高度経済成長期以降、経営者に対して細かな問題には目を瞑るからとにかく人を雇うように働きかけるとともに、税を優遇して会社をつくりやすい社会にしました。節税のためにつくった人も多いです。その結果、何が起きたかというと、約70%もの日本企業が法人税を支払わないなど公私混同の態度をとり続けているのです。大企業に対しては強い立場をとった一方で、中小企業は「弱者」として優遇し続けてきたツケでしょう。本来は、赤字企業は全企業の2割しかないです。

なぜ、中小企業を優遇したかと言えば、とにかく雇用を増やしてほしかったからです。これもまた質や中身の話ではなく量の話になるわけで、そのうえで終身雇用が守られれば日本の社会は従来どおり安定するという発想でしょう。でもいまの時代、そのような考え方では通用しないことは、あらためて申し上げるまでもありません。

これからは経営者の実力が問われる時代です。日本と海外の経済史を参照すると、世界は幾度もの経済危機に襲われており、その都度、イギリスのサッチャー首相のようにパラダイムを大きく変化させる人物が登場しました。しかし前回に紹介したように、日本は戦後のパラダイムのまま、令和の時代も走り続けています。年金も医療制度、学校制度もそのままで、国民のほぼ全員が結婚して子どもを育てる時代にできた制度が継続されています。

何かを変えなくてはいけないけれど、どう変えればいいかわからない。そんな日本人が多いのでしょうが、少なくとも「いまの社会が今後も続くはず」と考えられて戦後に整備された法律は見直して然るべきだし、これからつくる法案にも現在の世の中が続くという前提で走らせてはいけません。これは企業の経営方針に対しても、そのまま同じことがいえるはずです。

議員が国会で寝ている時間に日本の社会が変わることがないように、労働時間あるいは生産効率性だけを見ているようでは、企業も変わりません。経営者はその現実をただちに直視しなければいけませんし、そのうえで効率性ではない生産性をどのように生み出していくのか、自社の問題点を論理的に思考したうえで改善していかなければいけません。

著者

デービッド・アトキンソン 氏

株式会社小西美術工藝社社長

1965年、英国生まれ。オックスフォード大学「日本学」専攻。1990年、来日。1992年にゴールドマン・サックス入社。2007年に退社し2009年に国宝・重要文化財の補修を手掛ける小西美術工藝社入社、2011年、同会長兼社長に就任し、日本の伝統文化を守りつつ伝統文化財をめぐる行政や業界の改革への提言を続けている。主な著書に『デービッド・アトキンソン 新・観光立国論』 (山本七平賞、不動産協会賞受賞)、『日本人の勝算 人口減少×高齢化×資本主義』(いずれも東洋経済新報社)他多数。

[編集協力] 株式会社PHP研究所 メディアプロモーション部/写真撮影:鶴田「効率性」と「生産性」を混同する日本孝介

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