100年企業の特徴とは?持続可能なビジネスモデルを探る
目次
東京商工リサーチによると、2024年に100周年を迎える企業は2,519社あり、これらを含めると日本には4万5,189社もの長寿企業(創業100年以上の企業)が存在します。こうした多数の長寿企業の存在は日本独自の資産であり、国力の源泉といってよいでしょう。その根幹にはいったい何があるのか?100周年を迎えた企業の特徴をみていきましょう。
日本における100年企業の現状
2024年に創業100年を迎える企業
2024年には、数多くの日本企業が創業100周年を迎えました。代表的な企業は、空調機のダイキン工業、紙商社の国際紙パルプ商事、菓子メーカーのブルボン、娯楽用具や玩具製造のタカラトミーなどがあります。これらの企業は、長い歴史の中で多くの変革を乗り越え、持続可能なビジネスモデルを築いてきました。
2024年に創業100年を迎えた主な企業
同じく東京商工リサーチの分析によると、創業50周年を迎える企業は2万2,018社であるのに対し、創業1,000周年を迎えるのは朱宮神仏具店の1社、創業400周年は8社、300周年は5社、200周年は鞄販売のエンドー鞄など6社であるとされています。長寿企業大国の日本といえども、200年以上存続し次の周年を迎える企業となると、わずかであることが分かります。
4万5,189社の老舗企業の存在
4万5,189社にのぼる日本の老舗企業は、長年にわたり地域社会と共に成長し、信頼と実績を築いてきました。また日本の老舗企業には、同族経営の形態をとり、地域に根ざした経営を行っている企業も多く見られます。
100年企業の特徴と成功要因
同族経営の強みと地域に根差す魅力
日本の100年企業には同族経営の企業も多く、これが長寿企業としての強みのひとつになっています。同族経営は、経営者が長期的な視点を持ち、企業の持続可能性を重視することが多いからです。また、地域に根差した経営を行うことで、地域社会との強いつながりを築き、地域の信頼を得ています。これにより、地元の顧客や取引先との関係が深まり、安定したビジネス基盤を維持することが可能です。
上場企業と同族経営企業の違い
上場企業は、コンプライアンス意識やグローバル経済との関係性が重要であり、株主の利益を最大化することが求められます。一方、非上場を選択した同族経営の100年企業には、地域社会との関係性を重視し、地域の発展と共に成長することを目指す企業もみられます。この違いも、長寿企業の成功要因のひとつといえるでしょう。
企業の持続可能性を高める方法とは
コンプライアンス意識とグローバル経済との関係性
企業の持続可能性を高めるためには、コンプライアンス意識の向上とグローバル経済との関係性を重視することが必要です。特に上場企業においては、コンプライアンス(法令遵守)と倫理的な経営が求められます。また、グローバル市場での競争力を維持するためには、国際的なビジネス慣行や規制に対応することが重要です。これにより、企業は持続可能な成長を実現することができます。
ローカルの魅力を活かしたビジネス戦略
一方、地域に根差す企業は、ローカルの魅力を活かしたビジネス戦略が効果的です。地域の特産品や文化を取り入れた商品開発やサービス提供を行うことで、地域の顧客に愛される企業となることができます。また、地域社会との関係性を強化することで、地域とともに成長・発展することが可能です。これにより、企業の持続可能性を高めることができます。
日本が世界に誇る100年企業の実例
ダイキン工業の事例
ダイキン工業は、空調機メーカーとして世界的に知られています。1924年に創業の同社は、快適と安心を提供し続ける企業として、常に技術革新を追求し続けてきました。地球環境にとって重要な「空気」をビジネスの根幹にすえ、グローバル展開を積極的に行い、世界中の市場で競争力を持つ企業へと成長しました。
(参照:ダイキン工業HP)
ブルボンの事例
ブルボンは、菓子メーカーとして日本国内外に広く知られています。ビスケットやチョコレートをはじめとする高品質でバラエティに富んだ製品のほか、機能性に優れ、健康にも配慮した製品を提供しています。ブルボンでは、失敗を恐れない挑戦者精神を重視し、個性ある商品の開発を実施。製造に適した空気や水に恵まれた地に製造拠点をおき、品質にもこだわりながら量産体制を維持しています。
(参照:ブルボンHP)
タカラトミーの事例
タカラトミーは、娯楽用具やがん具の製造メーカーとして知られています。100年の歴史を持つ同社は、常に子どもたちに夢と希望を提供する製品を開発して、「健やかさ」と「賑やかさ」を届けてきました。100周年にあたっては「おもちゃ会社から、アソビ会社へ」を掲げ、創造的な商品開発を続けています。
▶2023年の100周年企業
2023年の新たな100年企業は日本国内2,649社、取り組みや創業年の出来事を紹介
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東京商工リサーチによると、2023年に創業100年を迎える企業は全国に2,649社あり、これらの企業をあわせると日本国内の100年企業は4万2,966社にのぼります。100周年を迎えた企業の特徴や創業年の出来事、時代背景をみていきましょう。
2023年に創業100年を迎える日本企業は?
2023年に創業100年を迎える企業には、農林中央金庫、富士電機、富国生命保険、高砂熱学工業、髙山、東芝プラントシステム、ジューテック、オー・ジー、エクセディ、エスビー食品など、実力を備えた企業がそろいます。
2023年に創業100年を迎える主な企業
同じく東京商工リサーチの分析によると、周年(創業から50年、および100年単位)を迎える企業数と割合(構成比)は、創業50年が2万8,476社(91.4%)、創業100年が2,649社(8.5%)、創業200年が9社、創業300年と400年が各1社という結果でした。長寿企業大国の日本でも、200年以上存続する企業となるとわずかであることが分かります。
100年企業の取り組み:サステナビリティと地域社会
現在の企業経営において、持続可能な社会と企業の成長を両立するSDGsやESGなど、世界的な基準に沿ったサステナビリティの視点が不可欠になっています。
一方で、グローバル化が進展する前に創業した日本の長寿企業には、身近な地域とのつながりを重視して、地域と共存共栄してきた例も少なくありません。
グロービス経営大学院の田久保善彦氏は、創業300年以上かつ売り上げがおおむね50億円以上の企業を「日本型サステナブル企業」と名付け、経営の特徴などをリサーチしています。
参考:『創業三○○年の長寿企業はなぜ栄え続けるのか』(東洋経済新報社)
リサーチを進めるなかで、これら超長寿企業と社会とのかかわりについて、近年重視されている企業の社会的責任(CSR:Corporate Social Responsibility)や共通価値の創造(CSV:Creating Shared Value)とは少し違った特徴が見出されたといいます。同氏はその特徴として、地域社会とのつながりを大切にし、良い意味で長期にわたって地域と「しがらんでいる」状態で、地域とともに価値を創造する経営を行っていることをあげています。
そして、地域とともに共存共栄しているが故に、ガバナンスが効きやすいことが企業存続の一要素であり、海外など「新たな地域」に進出する際にも、こうした超長寿企業の経営のあり方から学ぶべきことが多くあるとしています。
創業100年を迎える企業は、グローバル化やサステナビリティ、地域社会とどのように向き合っているのでしょうか。取り組みをみていきましょう。
100年企業①:農林中央金庫
農林中央金庫は、1923年に「産業組合中央金庫」として誕生した民間の金融機関です。JA(農業協同組合)、JF(漁業協同組合)、JForest(森林組合)などの組織の中央機関として、共同組織の会員に対して金融サービスの提供や事業の指導などを行っています。
農林中央金庫には、「持てるすべてを『いのち』に向けて。」というコーポレートブランドがありましたが、2021年にこれをパーパスとしてより分かりやすく表現しました。
持てるすべてを「いのち」に向けて。〜ステークホルダーのみなさまとともに、農林水産業をはぐくみ、豊かな食とくらしの未来をつくり、持続可能な地球環境に貢献していきます
サステナビリティについて、農林中央金庫は、気候変動や担い手不足、生物多様性の喪失などの農林水産業を取り巻く課題は、自社の事業基盤が抱える課題そのものであるとし、5つの課題とその取り組み方向を示しています。
そして、全国共通の取り組み以外にも、全国各地や海外の事業所を拠点に、それぞれの地域に合わせた取り組みを実施しています。具体的な取り組み事例として、日本農業経営大学校での次世代の農業経営者・リーダーの育成、ヨーロッパの現地法人の顧客への情報提供や対話を通じた、ビジネス機会の創出などがあります。
(参照:農林中央金庫HP)
100年企業②:富士電機
富士電機は、発電設備などの大型の電気機器や半導体、自動販売機などを製造しています。自動販売機はトップクラスの国内シェア率をほこり、飲料メーカーなどとの共同開発も盛んです。古河グループの中心的企業で、社名の由来は親会社の「古河」の『ふ』と技術提携したドイツのシーメンス社の『し』、漢字は富士山を想起できることから、この表記となったそうです。エレクトロニクスメーカーである富士通の母体になった企業でもあります。
富士電機の経営理念は
「豊かさへの貢献」「創造への挑戦」「自然との調和」
経営理念と一致したサステナビリティへの取り組みを行っています。
自社の中核事業であるエネルギー・環境事業でのSDGsへの貢献については、5つの重点目標を設定し、ESGとSDGsとの関連性も明確にしています。
また、全国の主要都市や海外の事業所を拠点に、各地域への貢献活動を行っています。具体的な取り組みとしては、インドネシア・スマトラ島西部に地熱発電所の設置において主要機器を調達し、再生可能エネルギーの普及に貢献している事例や、埼玉県鴻巣市などで地域の子供向けに理科教室を実施し、質の高い教育の機会を提供している事例があります。
(参照:富士電機HP)
ドイツの長寿企業シーメンスが登場
100年企業③:ジューテック
ジューテックは、合板を販売する『べニア商会』として出発しました。1923年9月に発生した関東大震災からの復興を願い、直後に事業を開始しています。日本の経済成長とともに成長し、現在は住宅資材の販売のほかにリフォームやリノベーションも手がけています。
スローガンは
突破力
新しい時代を切り拓くという思いのもと、創業90年を機に定められました。
ジューテックのサステナビリティの基本方針となっているのは、「私たちは未来ある子供たちのために地球にやさしい住環境と夢のある豊かな暮らしを提供します」という経営理念で、これを実現するための行動憲章も定めています。
事業に関連して、環境に配慮した商品やエシカル商品の販売を拡大するほか、多様な人材がいきいきと働ける職場環境の整備などを重点課題とし、SDGsに貢献しています。ESGへの具体的な取り組みとして、神奈川県や栃木県での森林の造成・育成および整備や、東日本大震災の津波被害を後世に伝えるためのさくら並木植樹活動に参画しています。
(参照:ジューテックHP)
100年企業④:エスビー食品
エスビー食品は、カレーや香辛料を製造・販売する大手食品メーカーです。ライフスタイルの変化や食の多様化に対応して、味や種類のみならず、商品の形状なども進化・発展させながら、人々のくらしをサポートしています。
創業理念、企業理念に加えてビジョンや行動規範を掲げ、従業員一人ひとりが同じ方向を向いて活動できるようにしています。
創業理念
美味求真
お客様に喜んでいただくために、ただひたすらにまっすぐに“本物のおいしさ”を追い求めます。
企業理念
食卓に、自然としあわせを。
サステナビリティへの取り組みについては、人権方針、環境基本方針、サステナビリティ調達基本方針を定め、理念や行動規範とどのようにつながっているかを示しています。
具体的な取り組みとしては、食品ロスの削減や省資源化に対応した商品パッケージの開発・導入、生産過程での食品廃棄物の削減や水質汚染の防止、物流のモーダルシフトによるCO2の排出量削減などがあります。
地域社会においては、全国各所で「S&B杯ちびっ子健康マラソン」の開催、フードバンク活動の支援などに取り組んでいます。
(参照:エスビー食品HP)
創業年の日本国内・海外の出来事―1923年はどのような年だったのか
前年の1922年に目を向けてみると、国内で米騒動をきっかけに日本農民組合が結成され、海外では世界初の社会主義国家、ソビエト社会主義共和国連邦が建国された年でした。1920年代は、第一次世界大戦後の協議が終わりヨーロッパに一時の平穏が訪れた一方で、戦争特需にわいたアメリカや日本が一転して不景気に陥り、世界恐慌へと向かう狭間の期間でもありました。1923年がどのような年だったのか主な出来事をたどりましょう。
日本国内では1923年9月1日に関東大震災が起き、神奈川と東京をはじめ、茨城、千葉、静岡東部などの広範囲に甚大な被害がでました。この未曾有の大災害による死者・行方不明者は約10万5,000人とされています。首都機能は麻痺し、交通網も寸断されました。被災した人々が相互扶助や復興に取り組む裏で、官憲による無政府主義者や労働運動の指導者の殺害、デマの拡散による朝鮮人虐殺など、混乱に乗じた事件、情報伝達手段の喪失に端を発する事件も起きました。
その後数年間に、日本では地震などによる災害が頻発し、多額の復興費用を賄うために発行した震災手形が不良債権化して金融恐慌が起こりました。
海外では、1923年1月、第一次世界大戦の敗戦国ドイツからの賠償が滞ったことを理由に、フランスなどがルール地方を占領しました。これに反発したドイツ政府が労働者にストライキを指示し、その経済的支援のために大量の紙幣が発行されました。これにより、戦中からインフレだったドイツはハイパーインフレに陥りました。
こうした社会経済情勢の悪化や第一次世界大戦の戦勝国に対する不満は、第二次世界大戦勃発の一因となりました。
創業100年にいたる秘訣を探る
こうした混乱の時代を超え、企業を存続させるための秘訣はあるのでしょうか。
前出のグロービス経営大学院の田久保善彦氏は、長寿企業のキーワードのひとつに「身の丈経営」をあげ、3つのポイントに分解して考察しています。
身の丈経営のポイント① 本業重視の事業成長
明確に自社の強み、コアとなる力を理解して自社の強みにフォーカスし続ける
身の丈経営のポイント② 長期視点に立った新規事業への挑戦
成長の数字を目的化するのではなく、企業の継続を目的とし、少しずつ事業の幅出しにチャレンジする
身の丈経営のポイント③ 有事の際は、大胆に動く
継続のための執念を燃やし、大胆な意思決定・投資などを行う
これを適えるために、平時から経営の安定性を確保し、危機に耐えられる財務力を維持することに配慮している
創業100年を迎える企業は、関東大震災、阪神淡路大震災、東日本大震災などの天災や、第二次世界大戦、東西冷戦、バブル崩壊、リーマンショック、コロナ禍などの経済危機を乗り越えてきました。
不連続な変化や経済危機が頻発する令和時代にこそ、長寿企業から学ぶべきことがあるのではないでしょうか。
▶2022年の100周年企業
2022年に100年企業に仲間入りするのは全国1,334社
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東京商工リサーチによると、2022年末の時点で、100年以上続く「老舗企業」は全国に4万769社に達し、そのうち2022年に「100年企業」入りするのは1,334 社に上ります。これらの企業が創業した1922年(大正11年)とはどのような年だったのでしょうか。創業100年を迎える代表企業の歴史と創業の頃の出来事を振り返りましょう。
100年企業各社のあゆみ
2022年に創業100年を迎えるのは、総合化学メーカーの旭化成、鉄道や不動産事業を展開する東急、パン・菓子製造販売のフジパン、総合出版社である小学館、ガス・電気供給などを行う東邦ガス、総合試薬メーカーの富士フイルム和光純薬、食品スーパーのヤマナカなどがあります。
旭化成は、1922年、創業者の野口遵(のぐち したがう/のぐち したごう)により、滋賀の地において旭絹織株式会社として設立されました。翌1923年、同じく野口遵が設立した日窒肥料株式会社が、宮崎県延岡市において合成アンモニアの製造を開始。再生セルロース繊維技術を用いて、事業を拡大していきました。
現在は、合成樹脂、合成繊維、建材、メディカルなどの素材分野へ広く進出し、現在はグローバル展開する総合科学メーカーとして知られています。
創業から続く再生セルロース繊維技術は、メディカル分野の血液透析用人工腎臓の中核技術にも活かされました。血液透析用人工腎臓は決して順風満帆な滑り出しではなく、撤退が検討された時期もありましたが、経営者の「新しい技術開発は従業員の努力によってもたされる」という信念により継続され、現在、同社はこの分野で世界のトップを走っています。
東急は、目黒蒲田電鉄株式会社として田園都市株式会社により設立されました。
設立主である田園都市株式会社は、人口の急増で悪化の一途をたどる都市部の住環境を憂いた渋沢栄一により、1918年に設立された会社です。渋沢栄一がイギリスで見聞した緑豊かな田園都市の形成を目指し、郊外の土地を買い上げ、住宅分譲地として販売していました。またこの構想には都心へのアクセスを適える鉄道の敷設が含まれていました。
構想を実現するため、目黒蒲田電鉄株式会社が設立され、鉄道事業に精通した五島慶太が招聘され、各線を開通していきました。
現在、東急は鉄道・バス輸送を主とした交通インフラ事業、沿線を中心に街を活性化する不動産事業、ホテル・リゾートや生活サービス事業など、豊かな街づくりを手がける企業へと発展しています。
フジパンは、創業者の舟橋甚重(ふなはし じんじゅう)により、パン和洋菓子製造販売の金城軒として愛知県名古屋市中区において創業されました。屋号には「名古屋城の金の鯱のように、地元に愛される店にしたい」という想いが込められています。第二次世界大戦中は厳しい統制下におかれ休業を余儀なくされましたが、戦後はパンの委託加工から再始動し、国内初のパン完全自動包装を導入するなど事業を拡大。もっちりした食感の『本仕込』やマーガリン入りの『ネオバターロール』などの人気商品を中心に、シェアを拡大しています。
小学館は、1922年に相賀武夫(おうが たけお/おおが たけお)が創業しました。屋号に表現されているとおり、小学生を対象に学年別の学習雑誌を刊行していました。第二次世界大戦中は統制により雑誌名の変更や学年を統合して発行があったものの、終戦とともに順次復刊。週刊誌、ファッション誌、絵本、図鑑、辞典や電子書籍も手掛ける総合出版社となりました。また、2021年には7社で合同組合を組成し、体験型施設『ZUKAN MUSEUM GINZA powered by 小学館の図鑑NEO』を開業するなど、新たな取り組みを始めています。
なお、小学館の娯楽誌出版部門として、1926年に分離・発足したのが集英社です。独立した組織として切磋琢磨しながらも、出版物流や不動産事業ではグループ経営を行っています。創業家が経営を担うファミリービジネスでもあります。
1922年の出来事:日本農民組合結成、ソビエト社会主義共和国連邦の建国など
では、これらの企業が創業した1922年とはどのような出来事があった年なのでしょうか。
日本国内では、1917年頃から大正天皇の病状が悪化していました。1919年に皇太子の裕仁親王(のちの昭和天皇)が18歳を迎え、成人し、20歳になった1921年、欧州を視察して見聞を広めた後、病身の大正天皇に代わり摂政に就任しました。1922年には、前年のイギリス訪問の答礼として訪日した英国皇太子エドワード(エドワード8世)を歓待しました。
また1922年は、米騒動をきっかけに賀川豊彦・杉山元治郎が中心となって、日本農民組合を結成した年でもあります。
米騒動は、米価の高騰を主因として勃発した民衆の暴動のことです。江戸時代にもしばしば起こり、明治時代には全国規模の騒動もありましたが、米騒動というと一般的には1917年から1918年にかけて起きた、大正時代の民衆の暴動を指します。
この頃は、人口の増加で米の需要が増加したにも関わらず、地主制によって生産増が阻害されていたため供給不足に陥り、第一次世界大戦中にインフレが加速したことも重なって、米価が高騰していました。こうした背景があり、民衆の不安・不満が高まって米騒動が起こりました。日本農民組合は、小作料の軽減などを求め、全国的に小作争議を展開しました。
海外では、ロシア社会主義ソビエト共和国内に、国家政治保安部「GPU(ゲーペーウー)」が設置され、数カ月後にスターリンが共産党書記長に選出されました。そして12月30日には、世界で最初の社会主義国家であるソビエト社会主義共和国連邦が建国されました。
GPUは、設置当時のレーニン政権下や後のスターリン政権下で、反政府的な思想・運動を取り締まった秘密警察として知られています。スターリンは、1924年のレーニン退任後、ソ連の最高指導者となって強大な権力を握りました。独裁体制のもとで工業化を促進した一方、大規模な政治弾圧を行いました。この大粛清の犠牲者は1,000万人を超えるともいわれ、ソ連に深い傷を残しました。
時代の荒波を乗り越えて存続する100年企業に学ぶ
1920年代は、1919年のヴェルサイユ条約の締結により第一次世界大戦が終結し、ヨーロッパ経済が一時平穏を取り戻した頃でした。一方でヴェルサイユ条約には、ソ連の除外、敗戦国ドイツへの報復的な措置、アメリカの不参加などの懸念材料もありました。
その後、ソ連は社会主義国家として独自の路線を進み、ドイツではヴェルサイユ条約の打破を目指すナチスが台頭しました。日米は第一次世界大戦の特需が終わって戦後の不景気に突入し後の世界恐慌につながるなど、禍根と新たな火種がくすぶる時代でもありました。
2022年に創業100周年を迎える企業はこのような時代に創業され、翌1923年に起きた関東大震災や第二次世界大戦を含む複数の戦争からの復興、高度経済成長、バブル崩壊、平成の失われた30年、地震や台風などの自然災害を乗り越え、企業を存続してきました。数々の困難を耐えた100年企業には、脈々と受け継がれる創業の理念、強みの根幹をなす不易流行のビジネスマインド、時代の変化を見極めリスク回避する確かな目があります。
不連続な変化や大きな危機が訪れるVUCA時代にこそ、100年企業から学ぶものがあるはずです。アフターコロナを見据え新しい時代に突入した今、100年企業の秘訣を紐解いてみてはいかがでしょうか。
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著者
一般社団法人100年企業戦略研究所
この国に1社でも多くの100年企業を創出することを目指して。
『100年企業戦略研究所』は、長寿企業に学ぶ経営哲学・リーダー論・財務戦略に加え、東京を中心とした都市力に関する調査・研究など、100年企業を実現するための企業経営のあり方についての情報を発信しています。