不動産市場のマクロ分析
6-1.不動産価格の変動

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目次

経済学の手法は、一国全体の問題を考えるような「マクロ分析」と、個別の事象について考える「ミクロ分析」に大別できます。不動産市場のマクロ分析では、一国全体のマーケットがこれからどうなってくのかを考えます。

不動産価格の変動をもたらすダイナミクス(力学)として、市場には3つの変動エネルギーが発生しています。株式のように毎日価格が変動するエネルギー、1年から3年ぐらいの短期または中期のサイクルで変動するエネルギー、そして5年を超えて10年20年30年とマクロ的に長期の変化となるダイナミクスに大別できます。

戦後日本で発生した4回の不動産バブル

日本不動産研究所から出されている「市街地価格指数」では、商業地・住宅地・工業地に分けて、土地の価格の長期変動を見ることができます。1955年から1年ごとの推移を見ると、不動産価格が大きく上昇した「不動産バブル」が4回ありました。

1回目は1960年前後に起こっています。この頃は戦後の復興期であり、高度経済成長を迎えた時期でした。商業地や住宅地も土地価格が上昇しましたが、とりわけ工業地の上昇が目立っていました。

当時は、第1次産業から第2次産業へと大きくシフトする時期でした。一気に第2次産業が成長していく過程で工場用地の需要が増加し、工業地の価格が大きく上昇しました。「需要のショックが起こったことで、工業地が上昇した」と言ってよいでしょう。ただ、一時的なショックは徐々に冷え込んでいきます。

2回目の大きな上昇は、1970年代の前半に起こっています。田中角栄元首相が1972年の自民党の総裁選に出るにあたって「日本列島改造論」という本を出しました。当時は、地方から都市部への人口集中がどんどん進んでいった時期と重なります。住宅の需要が増えて、都市の構造が大きく変動しました。新幹線や高速道路網の整備などが行われ、都市への集中を分散させるために交通網のインフラが整備されましたが、「それが都市への集中を一層、加速させた」とも言われます。都市の限られた住宅地に大きな需要が発生したことで、住宅地の価格が大きく上昇しましたが、この住宅バブルも時間の経過とともに、下がり始めます。

戦後最大の不動産バブル発生の要因

次に来たバブルが、商業地の価格を一気に上昇させた戦後最大の「不動産バブル」です。

1970年代にベトナム戦争(1964~75年)が終焉します。その時にアメリカは「双子の赤字」と言われた財政赤字と貿易赤字に苦しんでいました。そうした中で、日米構造協議が行われます。アメリカの貿易赤字の多くが、日本の工業製品の輸入によってもたらされていると指摘されたためです。車や家電製品など、安くて性能のよい製品が、日本から大量にアメリカへ流れていました。

この時に問題となったのが「内外価格差」、つまり「日本と海外の間で大きな価格差がある」ことでした。日米間の輸出による貿易不均衡を是正するため、日本国内の需要を増加させて国内の消費を増やす施策がとられました。

国内景気を刺激するために低金利政策が取られると、過剰流動性が発生します。お金がジャブジャブと市場に出回り、その行く先が株式市場であり、不動産市場でした。そして戦後最大の株価の高騰、さらに土地価格の高騰が起こったのです。

なぜ商業地の価格が上昇したのかといえば、これまで日本経済を牽引してきた第2次産業の成長が見込めない中で、新しい産業として第3次産業を成長させる必要があり、政府が、東京を国際的な金融都市、アジアの金融拠点にしようと政策をとったからです。そのビジョンのもと、オフィスが不足するとの予測が立てられ、商業地の価格が大きく上昇したのです。

1960年代が、2次産業にシフトする過程で、その歪みによるショックでもたらされた「工業地のバブル」であるならば、1980年代は、第2次産業から第3次産業へとシフトしていく過程で起こった「商業地のバブル」と言ってもよいでしょう。

日本でも、戦後のベビーブーマーが住宅市場に参入してきたのは1980年代前半でした。その大きな住宅需要の塊(かたまり)が、1980年代前半に戦後最大の住宅需要を発生させました。さらに、さまざまな所で産業クラスターの建設も行われ、商業地だけではなく住宅地や工業地も含めて、国土全体へと「不動産バブル」が拡大しました。

バブル崩壊後に発生したファンドバブル

1991年、金融政策の変更によって、不動産業向け貸出残高に対する総量規制が導入されたことで、不動産バブルは崩壊します。これによって、ロストディケイド(失われた10年)ともいわれる、不動産価格が下落し続けるサイクルに入ってしまいます。

しかし、2000年代に入ると、商業地・住宅地ともに上昇して、不動産価格が再燃し始めます。「ファンドバブル」と呼ばれた不動産価格の上昇です。この時には、どのような構造変化があったのでしょうか。

2001年にJ-REIT(不動産投資信託)が創設されます。それまで不動産の投資市場は、一部の大企業しか投資できないような市場でしたが、J-REIT市場の誕生で、個人の資金を含めた多様な資金が不動産市場に流れ、不動産価格を押し上げました。ある意味、不動産投資資金の構造変化がもたらした不動産バブルと言ってよいでしょう。

しかし、2008年のリーマンショックによって不動産価格は暴落します。2011年には東日本大震災が起こりますが、その後、安倍晋三政権が2013年に打ち出した経済政策「アベノミクス」に移行して、不動産市場は少しずつ回復を遂げていきます。

戦後の不動産市場のダイナミクスを見ると、不動産市場で価格が変動するメカニズムの背景には産業があり、その中で発生したさまざまなショックによって不動産市場の構造変化が起こりました。こうしたサイクルの中で不動産価格は大きく上昇したり、下落したりすることを繰り返してきたのです。

人口変動によって不動産市場は未知の領域へ

マクロ分析の大きなテーマが人口変動です。日本では高齢化によって人口が下落期に入り、空き家が増加しています。世界でも最も速いスピードで高齢化が進み、住宅価格に大きな影響が出てくるでしょう。こうした住宅価格のダイナミクスをどう紐解けばよいのでしょうか。

2010年に、イギリスの経済誌『The Economist』で日本特集がありました。「Japan Into the Unknown(未知への日本)」とのタイトルで「Japan is aging faster than any country in history, with vast consequences for its economy(日本は歴史上どの国よりも急速に高齢化しており、経済に多大な影響を与えています)」と、日本全体がUnknown(未知)の領域に入りつつあるとされました。2007年に北海道夕張市が財政破綻したこともあり、2050年には日本全体が破綻してしまうのではないかと警告されていたのです。

人口動態は、日本だけの問題ではありません。世界的に見ても、人口減少している国と増加している国に分かれます。最近ではグローバルエイジング(世界的な高齢化)という言葉を耳にしますが、マクロの変動を日本だけでなく世界の問題として捉え、不動産市場とマクロ経済の問題を考えていく必要があります。

スピーカー

清水 千弘

一橋大学教授・麗澤大学国際総合研究機構副機構長

1967年岐阜県大垣市生まれ。東京工業大学大学院理工学研究科博士後期課程中退、東京大学大学院新領域創成科学研究科博士(環境学)。麗澤大学教授、日本大学教授、東京大学特任教授を経て現職。また、財団法人日本不動産研究所研究員、株式会社リクルート住宅総合研究所主任研究員、キャノングローバル戦略研究所主席研究員、金融庁金融研究センター特別研究官などの研究機関にも従事。専門は指数理論、ビッグデータ解析、不動産経済学。主な著書に『不動産市場分析』(単著)、『市場分析のための統計学入門』(単著)、『不動産市場の計量経済分析』(共著)、『不動産テック』(編著)、『Property Price Index』(共著)など。 マサチューセッツ工科大学不動産研究センター研究員、総務省統計委員会臨時委員を務める。米国不動産カウンセラー協会メンバー。

【コラム制作協力】有限会社エフプランニング 取締役 千葉利宏

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