翁百合氏が語る、経営者が意識したい2つの投資
〜人への投資と国内投資の推進が持続可能な企業の前提〜
目次
日本経済は “低成長”という長いトンネルを抜け出せていません。少子高齢化や生産年齢人口の減少により人手不足も顕著な課題です。そうした日本経済の根本原因はどこにあるのか。そして、企業はこの状況をどう乗り越えるべきなのか。日本総合研究所理事長の翁百合氏にお聞きしました。
低迷する経済を抜ける鍵は、人への投資と国内投資
日本経済は1990年代以降停滞しています。それは他の先進国と比較しても明らかで、企業や国の成長をはかるほとんどの指標において、日本は低い水準で推移してきました。こうした状況は長期に渡っていますが、主な要因として挙げられるのは、まず生産性の低下でしょう。過去30年間にわたる賃金の推移を見ると、アメリカやイギリスが1.5倍に増えているのに対して、日本の賃金カーブはほぼ横ばいなのです。生産性が上がらないために賃金も上がりません。80年代は4%前後だった潜在成長率も、バブル崩壊後は低下傾向に陥り、最近は1%以下まで低下しました。成長できないために分配ができず、賃金も上がらない。そうした悪循環が続いています。
では、なぜ生産性は上がらないのでしょうか。主な要因は2つあると考えています。一つには人への投資が不十分だということ。高度経済成長時代の日本は、工場や設備などの有形資産の投資に力を入れていましたが、最近のビジネスで求められているのは有形資産よりもむしろ、データやソフトウエアといった無形資産への投資です。特に、人への投資は必須です。世界的に見ても、日本はここが大きく劣っているのです。企業は、この20年間で人件費の抑制を進め、非正規雇用者の数を大きく増やしましたが、それでは一人ひとりの能力を高めることはできません。
生産性が上がらないもう一つの要因は、国内投資の不足です。大企業の投資は過去30年間で増えましたが、その内容は海外向けの投資が中心で、国内への投資は手薄なままでした。設備投資のみならずソフトウエアやデータといった無形資産にも投資をせずに、むしろ人件費は圧縮してコストカットを進めた結果、生産性は上がらず、ダイナミズムに欠けたまま、抜け出せなくなってしまいました。
しかし、現状はやや変わりつつあります。
インフレの影響もありますが、2023年には賃金が上がり始めました。また、深刻な人手不足のなかで、DXの推進は待ったなしと言われています。DXにかかわる人材にも投資を推進しなければ、生き残りすら難しくなるでしょう。
熊本にTSMCを誘致したように、地政学的なリスクを鑑みて、国内に強靭なサプライチェーンを再構築するという動きも加速しています。こうしたことから、国内への投資意欲は明らかに活発化しています。ようやく潮目が変わり始めたといっていいでしょう。
DXと人への投資は同時に進める
賃金が上昇しているといっても、一過性で終わってしまっては意味がありません。持続的な賃金アップ、それも物価を上回る継続的な賃金上昇を実現していくことが必要です。
そのためには本当の意味でのDXを進めていかなければなりません。DXはCX(コーポレートトランスフォーメーション)とも言われています。業務自体や、組織、プロセス、仕事のあり方やビジネスモデルそのものを変革してこそ、DXというわけです。よく誤解されますが、デジタルツールを導入して今までの仕事をそのままデジタルに置き換えるだけの単なるデジタル化とは目的がまったく異なるものです。
なお、DXと人への投資は同時に進めることが必要です。これらは連動しているので、並行して考え、進めていくことが重要です。
まず、DXを実現するためには、自分たちがどのようなビジネスモデルを目指すか、という明確なゴールを設定することが重要です。目指すビジネスモデルを決め、その上で必要なデジタル施策を逆算して検討してはいかがでしょうか。具体化することで必要な資金や能力、人材がクリアに見えてきます。
施策の一例としては、デジタルを使ってBtoCに踏み出す、ネットやAIを使い、調達システムを活用する、あるいは蓄積したデータを集客に利用するなど、さまざま考えられるはずです。今の時代に求められているサステナブルなビジネスモデルを追求し、その実現のために必要なDXと人への投資を追求することが求められます。
デジタルツールはあくまでサポートとしてうまく使いこなすことがポイントです。
中小企業のDXに関しては、自治体や国がさまざまな支援制度を設けています。これらをうまく活用し、サポートを受けながらDXを進めてほしいと思います。他の企業と横展開で連携し、DXをともに推進していくという選択肢もあるでしょう。デジタルテクノロジーを使える人材を育成するDX教育を支援している自治体もあります。常にアンテナを張って業務に必要なDX教育を行うことです。
いまは企業が人から選ばれる時代になりました。従業員の人件費をコストだとみなす考えは通用しません。有能な人材を引き付け、定着を図らなければなりません。その意味でも、人件費はコストではなく、人への投資そのものです。
規模の小さな企業であっても人に投資してDXを実践し、一人ひとりが成長の実感を得られ、男女問わず仕事がしやすく、家庭とも両立できる職場環境を作り上げていくことが理想です。この会社は自分に成長の機会を与えてくれる、働きやすい、働きがいがある。そうした実感を従業員に提供できる企業が人に選ばれる企業です。
種々の国際調査で、日本の従業員エンゲージメントは調査国中で最下位にとどまっていますが、現在投資家はエンゲージメントで企業の将来性を測っています。日本でも大企業を中心に、企業が抱える人材の価値を示す「人的資本」を開示する動きが広がってきました。DXと人材投資の両輪を回し、持続可能なビジネスを実現してほしいと思います。
レジリエンスとイノベーション創出が長寿企業の条件
人口が減り、高齢化が進む日本では、今後も残念ながら人手不足や需要減少など厳しい状況が続くことは間違いありません。しかし、日本人はものづくりの高度な力を備えています。だからこそ、必要なのはそれをさらにデジタルと掛け合わせて伸ばす適切な教育であり、スキルを身につけてもらうプロセスだと思うのです。それらを身につける機会を提供し、付加価値の高い商品やサービスを生み出す。そして利益をあげ、企業の価値を向上させていく。そうしていくことで、人への投資に回せる原資は豊かになり、賃金もアップし、好循環のサイクルが回り始めます。
100年を超える長寿企業が多いのは日本の強みの一つですが、不確実性の高い時代には、新しい時代や変化を見極めて先取りすることが欠かせません。単に歴史があるというだけではなく、時代の変化に素早く対応して変化できる強いレジリエンスを備え、イノベーションを創出できる企業こそが、長く生き続ける企業の条件です。
私はこれらと同じくらい、今後は多様性の確保も不可欠なものと考えています。女性のポテンシャルを活かし、外国人を日本と同等の処遇で雇用して力を発揮してもらう。こうした取り組みで企業の足腰を強固にし、厳しい時代を乗り切っていただきたいと思います。
(お話を聞いた方)
翁 百合 氏(おきな ゆり)
株式会社日本総合研究所 理事長
1982年慶應義塾大学経済学部卒、84年慶應義塾大学大学院経営管理研究科修士課程修了後、日本銀行入行。92年、日本総合研究所に移り、主席研究員などを経て、2018年より現職。この間、2003年から2007年まで株式会社産業再生機構非常勤取締役兼産業再生委員、2010年から2015年早稲田大学客員教授、2013年より2016年内閣府「規制改革会議(健康医療ワーキンググループ座長)」、2014年より慶應義塾大学特別招聘教授などを兼務。現在、内閣官房「新しい資本主義実現会議」有識者構成員、金融庁金融審議会委員、NIRA理事等も務める。京都大学博士(経済学)。
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