「楽器演奏を思う存分楽しめる賃貸マンション」を提案する越野建設
~創業110年超。コンクリートへのこだわりと「街を得意先とする」心が拓く未来~

目次
楽器を好きなときに演奏したい。けれど自宅では音が漏れ、近隣に気兼ねしてしまう――。そんな、音楽愛好家たちの悩みに解決策を提案するのが、東京都北区王子に本社を構える越野建設株式会社です。同社は、明治・大正から昭和期の土木建設事業に始まり、戦後復興、バブル崩壊という激動の時代を生き抜いてきました。現在では独自ブランド「音楽マンションⓇ」を展開し、楽器演奏対応賃貸ブランドとして国内トップシェア(同社調べ)を誇ります。4代目の越野充博社長に、長く続く企業ならではの視座と、その歩みについて伺いました。
高密度で耐久性に優れた独自のコンクリートを開発
越野建設株式会社は、東京都北区王子に本社を構え、関東圏を中心にビジネスを展開する総合建設会社です。1912年の創業以来、東京都北区役所や小中学校、都営住宅といった官公庁関連の工事を数多く担うとともに、民間向け事業にも注力してきました。中でも、自社ブランドの賃貸住宅「音楽マンション」は事業の柱の一つとなっています。
同社の建物の大きな強みが、「コンクリートへの徹底したこだわり」です。密度の高いコンクリートである「結晶化コンクリートⓇ」を独自に開発。一般的なコンクリートに比べて水分量を必要最小限に抑えて練り上げられており、優れた耐久性と高い遮音性、耐震性といった性質を持ちます。
結晶化コンクリートは水分量が少なく流動性が低いため、型枠に流し込むには「再振動」という難易度の高い工程をはじめ、通常以上の手間や高度な技術、人手が必要となります。そのため、多くの建設会社からは敬遠されがちな技術ですが、越野建設はあえてこれを自社の標準仕様にするとともに、さらなる品質向上に取り組んでいます。
「コンクリートの質は、建物自体の寿命を左右する非常に重要な要素です。より高密度で耐久性のある良質なコンクリートを追求することは、長年にわたって鉄筋コンクリート建築を手がけてきた企業としての責任でもあると考えています」
地域を起点に、存続をかけて「民間転換」を決断
越野建設は、創業当初の1910年代からいち早く当時の最先端技術であった鉄筋コンクリート造を手掛け、確かな技術を蓄積してきました。官公庁の工事を数多く任されるようになったのも、そうした技術力が高く評価されてのことです。
しかし、1990年代初頭のバブル崩壊から10年が経過する頃、建設業界全体を覆う景気後退の波に直面します。当時の売り上げのおよそ9割を占めていた公共工事の受注が激減し、大手から中小まで競合他社が次々と倒産・廃業していきました。そんな中、同社は生き残りをかけて「公共工事依存から民間工事主体への事業改革」という決断を下します。
「当時は、官公庁の工事発注のあり方が変わろうとしていた時期でした。官公庁工事に頼りきりの事業構造では経営が続かない、新規取引先を積極的に開拓していかなければならないと強い危機感を覚え、民間工事へと舵を切ったのです」
まだ民間工事のノウハウがない中で越野社長が目を向けたのが、地元である東京都北区王子でした。会社の基盤である地域に眠るニーズを拾い上げることにしたのです。そうして見えてきたのが、地域から求められているのは事務所ビルや倉庫ではなく、住居系の建物であるという実態でした。
そこで生まれたのが「収入付き住宅」をコンセプトとする都市型賃貸ブランド「Vaige(ヴェージュ)Ⓡ」です。同社の創業88年を記念して立ち上げたことから、「米寿」にちなんで命名されました。1階を店舗、2階を賃貸住宅、3階をオーナーの自宅にするなど、自宅を所有しつつ、店舗と賃貸という2つの収入源も確保できるモデルで、オーナーの多様なニーズに応えるものです。
総合建設業らしい「何でもできます」という従来のスタイルから、自社ブランドを開発・発信していく戦略への転換。このアプローチは地元のニーズとマッチし、着実に成果を上げていきました。
入居者の8割は趣味で楽器演奏を楽しむ人。眠っていたニーズを掘り起こした「音楽マンション」
民間工事の受注を順調に伸ばしていった越野建設。しかし、一般的な賃貸住宅市場はすでに飽和状態にあったため、事業拡大には差別化が必要でした。
そんなある日、一人のお客様から「音楽家が演奏を楽しめるマンションはできないか」という相談を受けます。学校の音楽室などを手がけてきた経験から、防音・遮音の技術を持つ同社にとって、それは決して叶えられない要望ではありませんでした。こうして、このお客様の声を起点に「音楽を楽しめるマンション」という新たな事業へと踏み出したのです。
そこで、同社が誇る「結晶化コンクリートⓇ」による高い遮音性・気密性を最大限に生かし、演奏空間として最適な遮音性能と音響性能を備えた賃貸住宅として2012年に「音楽マンション」が誕生しました。ニッチな分野のため、当初はどれくらいの市場やニーズがあるかが読めず、「一度入居者が引っ越してしまったら、次の人がなかなか入らないのではないか」という不安もあったといいます。ところが、いざ募集をかけてみると、あっという間に満室になったのです。その理由について、越野社長はこう話します。
「実は、『演奏OK』とうたう物件の中には、大家さんが許可しているだけで、演奏に適した作りになっていない物件も少なくありません。そのため、大きな音が近隣とのトラブルの原因になったり、結局は演奏禁止になったりもしていたようです。その点、専用に設計・建築された当社の『音楽マンション』は、『心置きなく、自宅で音楽を楽しめたら』という潜在ニーズを満たす物件として支持いただけたのだと思います」
入居者のうち音楽家や音大生は2割ほど。8割は、仕事の傍ら趣味で楽器演奏やオーディオ音楽を楽しみたいという社会人で、想像以上に市場の裾野が広いこともわかりました。
「一般的に、楽器を演奏するためには、スタジオを予約したり楽器を運んだりする手間がかかります。でも自宅なら、仕事の後など好きなタイミングで、自由に音楽を楽しむことができる。それは、音楽が好きな方にとってはこの上ない環境だと思います」
家賃は一般のマンションよりも高めに設定されていますが、入居者にとってその差額は、住居費というよりも趣味に投じる費用に近いのかもしれません。スタジオを借りる費用や手間に置き換えてみれば、「音楽マンション」は十分にリーズナブル。だからこそ、入居者はその値段に納得し、物件オーナーも十分な利益が得られるという好循環が生まれています。
シリーズ第1号物件の完成からおよそ14年が経った今、「音楽マンション」は63棟(2026年6月現在完成)まで拡大。自分が住みたいエリアへの進出や、部屋の空きを待ち望む人たちの声も聞かれます。
長寿企業に共通する「よい連鎖」
100年を超える歴史の中で、いくつもの困難に直面してきた越野建設。それらを乗り越えることができた理由を問うと、越野社長は「本当にさまざまな幸運に恵まれましたね」と笑いながらも、こう続けます。
「バブル崩壊後、得意先の倒産による連鎖に巻き込まれなかったこと。不良債権や過剰債務が無かったことから、金融機関からの信頼が継続していたこと。そして10年間ほどは官公庁工事を確実に受注できており、比較的安定した業績の下、新たな取り組みを準備する時間がしっかり取れたこと。これらが大きかったですね」
また、先代は40年以上もの間、無借金経営を貫いていました。越野社長が33歳で先代から会社を継いだときも、幹部らは誰一人辞めることなく新社長を支えました。「先代や先輩たちによる積み重ねの賜物だと思います」と越野社長は話します。
「こうして続けていると『運』の要素は本当に大きいと感じますが、運が巡ってくるのもそれまでの行いがあってこそ。一つひとつの時代を担った人たちが、社会のためになる事業に一生懸命取り組んできた。そこからよいお付き合いが広がって、周囲の方々に助けていただけたりご愛顧いただけたり、よい連鎖が生まれる。これはおそらく、どの長寿企業にも共通していることなのではないでしょうか」
音楽で地域をもっとよくしたい。越野建設が思い描く街の未来
今後の展望として、越野社長がまず掲げるのが「音楽マンション100棟」の達成です。1棟あたり平均20戸とすると、100棟が実現すれば約2,000人の音楽愛好家が住まうことになります。それが大きなネットワークとなることを構想し、2015年、まだ数棟の段階から「音楽マンション倶楽部」を立ち上げ、入居者が地域で演奏する機会をプロデュースするなど、街との融合を進めてきました。その背景にある思いを、越野社長はこう語ります。
「単身者用の賃貸マンションはどうしても、地域との接点が生まれにくい。だからこそ、『音楽マンション』の住人の方々と地域の方々が、音楽を通じて交流できたら素敵だなと。自社の事業を通じて、よりよい地域づくりに少しでも貢献したいと考えています」
同社には、「お得意様のかまどの灰まで掃除する心がけを持て」という教えがあります。これは越野社長の祖父から脈々と社内で受け継がれている仕事の心構えで、「お客様自身も気づいていないニーズまで理解する」「人が嫌がるような仕事も進んでやる」という意味が込められています。
この教えは、現在の越野建設が大切にする「街全体を得意先とする」という姿勢にも、強く結びついています。地域で生まれ、地域で育ってきたことを忘れず、街に支えられ、街を支えるという関係性を築くことが、長く続く秘訣の一つなのかもしれません。

お話を聞いた方
越野 充博 氏(こしの みつひろ)
越野建設株式会社 代表取締役社長
1958年東京都生まれ。早稲田大学卒業後、1982年越野建設株式会社へ入社。先代の他界に伴い、1991年に33歳で同社代表取締役社長に就任。
[編集]一般社団法人100年企業戦略研究所
[企画・制作協力]東洋経済新報社ブランドスタジオ










