「静かな退職」を歓迎すべき――
けっきょく、女性が壊した日本の常識

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「静かな退職」とは、2022年にアメリカのキャリアコーチが唱えた造語「Quiet Quitting」の和訳で、会社を辞めるつもりはないものの、がむしゃらに出世を目指すことをせず、やるべき仕事を最低限こなすだけの働き方をいいます。一律に管理職への昇進を目指す、あるいは他者との競争の中で勝ち抜くハードな働き方よりも、自らのライフスタイルを優先させるあり方は、昭和から平成にかけての日本では受け入れられなかったものでしたが、時代は変化しています。特に女性の社会進出に伴い、働く人々の多様化が進む中、画一的な人事政策ではなく、戦略的に「静かな退職」層をマネジメントすることが求められています。本テーマに詳しい雇用ジャーナリストの海老原嗣生氏に「静かな退職」の実態についてインタビューしました。

静かな退職は「欧米のふつうな働き方」

今、若い世代を中心に、「静かな退職」がブームになっているようです。具体的には、「言われた仕事はこなすものの、会社や仕事への過剰な奉仕は拒否する」「仕事上の面倒くさい付き合いは断る」「上司や顧客の不合理な要求は受け入れない」「残業は最小限にとどめ、有給休暇はしっかり取る」といった働き方をする人たちです。残業や休日出勤も何のその、滅私奉公的な昭和の働き方に慣れたミドルには理解できず、世代間対立の原因になっている面もあるかもしれません。

しかし、世界的に見ると、この働き方のほうが一般的で、文句を言わずに会社と上司に盲従する人など、ほとんどいません。

日本においては、大卒の男性正社員ならいつかは課長以上の管理職になれる、いわば「誰でもエリート」でした。一方、欧米においては、バリバリ働くエリート層と、そうでない大多数に分けられ、後者に「静かな退職」が浸透しています。

ここ10~15年で大きく変わった日本社会が原因

私が『静かな退職という働き方』という新書を上梓したのが2025年3月のことで、同書は7刷まで版を重ね、メディアからもお呼びがかりました。ずいぶん社会は変わったなあと思っています。というのは、同じ出版社から『いっしょうけんめい「働かない」社会をつくる』という同じ趣旨の書を2014年9月に出しているのですが、こちらは初版止まり。こんなにも受け止められ方が違うのか…と。そこの10~15年で、日本社会が大きく変わったんでしょうね。

たとえば、セクハラ、パワハラなんかどうでしょう。2021年2月、元首相で、東京オリンピック・パラリンピック組織委員会会長の森喜朗氏が日本オリンピック委員会(JOC)の臨時評議員会で「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる」と発言したところ、炎上し、会長辞任に追い込まれました。その森氏は2007年7月、新幹線の栗東駅新設に反対する滋賀県の嘉田由紀子知事(当時)に対し、「女の人だなぁ、(視野が)狭い」と失言しているのですが、この件はニュースになったものの、氏が公職を辞任させられることはありませんでした。

仕事と家庭のバランスも変化しています。1990年代の前半、子どもの卒業式に親が会社を休んで出席することなど考えられませんでしたが、今ではごく普通のことです。授業参観も会社が休みの土日に開催されたものですが、今は平日開催も珍しくありません。有休など「神棚に飾っておくもの」と言われていましたが、現在は、有休の完全消化が推奨される。この10年における企業社会の変化はまさに隔世の感があり、それが静かな退職を受け入れる強固な土壌になったのだと私は思っています。

女性の社会進出が促した男女平等の気運

その背景に何があったのでしょうか?それは、女性の社会進出なのです。

1990年代初頭までは、女性は事務職として企業に就職し、結婚したら退職という「腰かけ勤務」が世の常識でした。このコースに乗るには短大卒が良かったので、当時は「4大(4年制大学)行ったら就職ないよ」というのが女子高生に対する親や先生のご託宣でした。

ところがバブル崩壊で経営が苦しくなると、企業は事務職の新規採用を止めます。今度は「短大行ったら就職ないよ」という時代になり、女性も4大を目指すことになりました。

1996年に女子高生の進学率が短大と4大で逆転。その時の新入生が卒業する2000年頃から大卒女性が増え始め、早・慶や旧帝大などの上位大学でも女性の卒業生が幅を利かせ出しました。即ち大卒総合職という男社会に、女性という変数が入り込み始めたのです。大手企業では新卒の総合職採用に占める女性の割合が2割、3割、4割と増えていき、2010年頃には男女ほぼ半々になっています。

こうした流れの中で、2010年を過ぎたころ、増えてきた総合職女性の結婚・出産ラッシュが始まります。

習熟の速い事務職なら、短期間で入れ替わっても企業は困りません。だから「お嫁さん候補」として事務職採用し、寿退社というのが、それまでの企業の常識でした。ところが総合職になると習熟には時間を要します。30歳前後でようやく脂がのり切ったころ、結婚・出産退職となると、会社としては仕事が回らなくなってしまう。そこで企業も、対策に乗り出します。ところが、さしたる準備もなく進めたため、その対策は社内の各所で軋轢を生じました。

たとえば、育児中の女性社員向けに短時間勤務制度を整備したのですが、これがお粗末な内容でした。営業や人事、経理などで一線で働いていた女性を、コールセンターや事務などの不慣れなバックヤード業務に復職させたりしたのです。本人としてはプライドも傷つけられ、一方で、短時間勤務という特別待遇に対する周囲の目は冷たく、「こんなのやってらんない」と退職する女性社員が急増していきます。企業はいやがうえにも、本腰で対策を考えざるを得なくなりました。

2010年代も後半になると出産した女性が長く働けるよう、彼女たちを元の職場、元の仕事に戻し、業務量は減らすという方向に舵を切ったのです。これが当時のアベノミクスの一億総活躍の風潮に乗り、ようやく、男女共同参画の緒に付いた……この辺りからかつての男社会は崩れ、それが社会常識も変えていった。だから冒頭の「森さん」の話になるわけです。

ただ、この頃の男女共同参画は、女性に「働け、産め、育てろ」と三重苦を負わせることにもつながります。この不平等が問題となり、家事・育児の平等化という意味で、男女共同参画が進化し出すのは2020年代に入ってからでしょう。このときにコロナ禍が重なり、リモート勤務も浸透します。それで「皆で会社に集まり、年がら年中会議、そしてお付き合い残業」などの旧弊にもメスが入り出す。こうして少しずつ「かつての滅私奉公が当たり前の企業文化」は退潮の歩を早めます。これが、「静かな退職」という考え方が受け入れられた理由なのでしょう。

そう、ようやく「欧米のふつう」が日本でも当たり前になりつつあるということです。

静かな退職は人材の無駄もなくす

さてここでもう一つ、「労働」に関する非常識の話をしておきます。

多くの日本人は、年齢とともに給料が上がっていくのが当たり前と思っています。大手企業なら、新人と50歳を比べれば年収は3倍近くになっていても「当たり前」でしょう。中小でも2倍くらいにはなっています。それも、ほとんど差がなく、ほぼ全員がこうした年功昇給を果たしています。最近は管理職になれない人も増えましたが、それでも定期昇給と職能等級アップを果たして、給与だけは着実に増えていきます。

これ、日本以外の国では異常なことだとご存じでしたか?

どの国でも、役職がアップすれば給与は上がります。役職がアップしない場合、そのポストの給与レンジ上限で昇給はとまり、それ以上は上がりません。一生ヒラなら、新人の給与の2~3割昇給で終わりなのです。日本のようにヒラのままなのに、職能等級がアップして、給与が上がり続ける仕組みなどないのです。

要は日本以外では「役職の階段を上る人はどんどん昇給する」けれど、ポストが変わらない人は「昇給はストップ」と2つに分かれる。だから後者はやることを終えたらすぐ帰宅し、有休も取り放題となって行くわけです。そして同年齢でも給与差は開いていく。

日本は「会社の言われるままに頑張れば、それなりに給与が上がる」、だから休みも取らず働く人が多かったわけです。静かな退職が普通になれば、この点もアップデートし、滅私奉公をやめて自由になれるけど、その分昇給もない、という方向に進まざるを得ません。
ただ、それは会社にとっても本人にとっても、決して悪い話ではないのです。

黒字企業がシニアを大量リストラするのは「日本の宿痾」

昨今、名だたる超大手企業が黒字なのにシニア層に勧奨退職を迫っているニュースをよく目にしますね。こうしたニュースにならなくとも、メガバンクなどは古くから、50歳になると会社を辞めて、融資先や系列企業などに転身することが半ば常識となっています。

なぜでしょうか?

答えは簡単です。年功昇給で50歳にもなると、メガバンクなら多くの人が1,200~1,300万円も収入を得ているのです。同じ仕事を30代半ばの人ならずっと安くこなしている。そうすると、50代の人に退職を迫り、若い人を雇った方がよいという圧力が自然と湧き出します。日本の「誰でも年功昇給」企業では、どこでもこういう社内力学が働きます。超大手で人事をしていた友人は黒字リストラのことを、「それをすれば必ず儲かる。だから企業は“薬物依存のようだ”」と揶揄していました。

この仕組みを変えるべきだと思いませんか。もし、30代中盤から昇給せず、同じ給与で同じ仕事をし続けていたなら、50歳になっても「貰いすぎ」は起きません。当然企業はリストラをする必要がなくなります。そうして70歳までその給料で働く。少子化で現役人口が減る中では、社会的にこの方が有利です。企業としては、未熟練な新卒採用を繰り返して教育費がかかるよりも、こちらが良いはずです。

働く側にもメリットがあります。仕事はきちんとこなし、終わったら早く帰れる。有休も取り放題で、育児や家事との両立も容易です。大学院で学び直しをすることもできますし、趣味や副業にも十分な時間が割けます。そして、「いつかリストラ」という不安からも解放される。

もちろん、従来型の滅私奉公でバリバリ働いてくれる人にはそれなりの査定をつけ、エリートとして出世の階段を昇らせてあげたらいい。

そう、誰もが一律で、右肩上がりに階段を上る仕組みを壊し、それぞれにあった多様な階段を用意すれば、企業も人も、より快適になって行くはずです。

日本の中小企業こそ世界標準だ

こうした多様な階段が浸透していけば、中小企業もその恩恵に浴せるはずです。大手でも30代から昇給せずにいた人なら、50の声を聴くころには中小企業の給与と変わりはなくなっているでしょう。だからシームレスに転職が可能です。

えてして「大手の人材は使えない」と中小企業の人から聞きますが、それは、「高年収にあぐらをかいている」人たちのことでしょう。昇給ストップで現場実務をしっかりこなし続けた人であれば、活躍できるはずです。

優秀な人材を大企業が独占していた社会が終わり、大企業で育成された人材を、途中から中小企業が迎え入れることができる社会に移行する。これは中小企業にとっても魅力的な話ですし、働く本人も楽に新天地が見つかるのだから、悪くはないでしょう。

実は、日本の中小企業はもともと静かな退職との親和性が高いところがあります。極端な年功給ではなく実力相応の給与体系を持ち、定年制度が緩く70歳まで就労が可能で、就労時間・残業時間も大企業ほど長くはありません。こうした事実を踏まえれば、「中小企業こそ、世界標準の働き方を実現しているんだ」という自負を持っても良いはずです。ぜひとも、大企業が作った「右肩上がり幻想」を壊し、多様な人に多様な階段を用意できる道筋を描いて欲しいところです。

お話を聞いた方

海老原 嗣生 氏(えびはら つぐお)

合同会社サッチモ 代表社員、大正大学 招聘教授 

1964年東京生まれ。大手メーカーを経て、リクルートエイブリック(現リクルートエージェント)入社。その後、リクルートワークス研究所にて雑誌「Works」編集長を務め、2008年にHRコンサルティング会社株式会社ニッチモを立ち上げる(現在は合同会社サッチモが引き継ぎ)。漫画『エンゼルバンク――ドラゴン桜外伝』の主人公、海老沢康生のモデルでもある。人材・経営誌「HRmics」編集長、リクルートキャリアフェロー(特別研究員)。『静かな退職という働き方 』(PHP研究所)、『人事の組み立て~脱日本型雇用のトリセツ~』(日経BP)など著書多数。

[編集]一般社団法人100年企業戦略研究所
[企画・制作協力]東洋経済新報社ブランドスタジオ

経営戦略から不動産マーケット展望まで 各分野の第一人者を招いたセミナーを開催中!

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