ファミリービジネスの事業承継のカギは「自社らしさという暗黙知」にあり
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日本の企業の約97%が、血縁関係のあるファミリーによって所有と経営がなされているいわゆるファミリービジネスです。地方の経済を支えている側面も大きいことから、これらの企業が次世代に確実に承継されていくことは日本にとって極めて重要な課題です。
ファミリー間の事業承継を円滑に進めるための要素
円滑な事業承継を阻害する要因は様々ありますが、その一つが「コミュニケーション」です。親族であるが故に、コミュニケーションの曖昧さや粗雑さなどから引き起こされる特有の課題があることが、様々な研究から分かっています。
例えば、一般の上司―部下の関係であれば、丁寧に1から10まで説明するところを、先代側がそのうち伝えればよいだろうと、積極的に会話の機会を設けない、断片的にしか情報を与えない、じっくり話すのは照れ臭いので会議以外ではあまり話す機会をもたない、さらにはこれらのコミュニケーションのほぼ全てが口頭となり、言った、言わないという話になってしまう、というようなことがあります。
事業承継を円滑に進めるためには、先代と後継者の間の適切なコミュニケーションによる信頼関係構築が不可欠であるため、この「コミュニケーション」を先代から後継者に「何を伝えるべきか」という要素と、「どのように伝えるべきか」という要素に分解して見ていきたいと思います。
「自社らしさ」という暗黙知を承継せよ~ファミリービジネスの事業承継
コミュニケーションのプロセスにおいて、双方がぶつかる要因として主に、自社を取り巻く外部環境(マクロ環境や市場顧客、競合状況など)と内部環境(自社らしさ〈文化〉、人間関係など)の認識のずれを挙げることができます。様々な情報が構造的に整理されていない中、事実と解釈が混ざった状態でコミュニケーションが噛み合わず、さらには親族間の甘えから最後は感情的なやりとりに終始してしまう、というパターンに陥りやすいのがその特徴です。
この状況を打開するためには、下記の図にあるような要素を一つずつ後継者が理解することを心がけていくことが重要です。
具体的に挙げると①自社らしさ、②自社の戦略、③ファミリービジネスの経営、の3つの要素となります。その中でも先代から後継者が受け継ぐべきものの核心にあるのが「自社らしさ」の理解です。
自社らしさとは、ファミリーの価値観を反映したファミリーらしさやファミリーと会社の関係性、それらを体現するふるまいといったもので、その他の②自社の戦略、と③ファミリービジネスの経営、の2つの要素に強く影響を与えます。
経営理念や社訓がある企業は多いですが、核になる本質的な意味合いを理解するためには、言語化されていない自社らしさの要素を補う必要があります。自社らしさは後継者が、幼少期から先代や先々代、その他のファミリーと過ごす中で感じてきたファミリー固有の価値観が基となり、入社後、後継者が先代に一定のまとまった期間を伴走してもらいながら、日々の仕事を通じてそれらを日常のビジネスの中で統合し,時間をかけながら理解していくものです。
多くの場合、ファミリービジネスの後継者は、幼少期からファミリーの価値観の中で育てられ、自然と自分自身の価値観が会社を経営していく上の価値観と同化していきます。そのプロセスでファミリーコンテキストを暗黙知として承継していきます。その上で自社らしさの理解を助けてくれるのは、自社の歴史や社訓などです。事業承継が成功する企業では、先代がどのような場面で、どのような苦労をして、どのように乗り越えてきたのか、といった具体的なエピソードと共にその意味合いを伝える努力をしています。そして後継者はそれらを今の時代の文脈の中で、的確に解釈をし直し、理解し、自分のものにしていっています。つまり、経営の重要な局面での意思決定の判断軸となる自社らしさを、確実に後継者が自分のものにしているかどうかが、事業承継の成功の分かれ目となるのです。
どのように伝えるべきか~ファミリー内のコミュニケーション
先代と後継者の間で円滑にコミュニケーションがなされている場合は、以下のような特徴があります。
・先代と後継者の間のコミュニケーション量が確保されている
・双方の心理的距離が近く、親族間の遠慮がなく、なんでも話せる関係性である
・先代と後継者が双方とも、お互いに伝わっていると認識している
・後継者が先代への尊敬の念と素直な姿勢を持っている
この中でも特に、最後の「後継者が先代への尊敬の念と素直な姿勢を持っている」ことは極めて重要です。人間ですから、相手が自分のことを認めているかどうか、素直に言うことを聞く姿勢をもっているかどうかは、お互い感じるはずです。先代は少なくとも経営者としては長年会社を牽引してきた先輩ですし、稀に、いかがなものか、と思うような点があるにせよ、困難を乗り越える多くの経験をしてきているはずです。そのような部分に光を当て、後継者はまずは人生の先輩として、その経験に敬意を払い、素直な姿勢で臨むべきなのです。その姿勢を先代が感じたときに、先代もまた、後継者を尊重する姿勢を意識していくことになるでしょう。
残念ながらその二人の関係がうまくいかない場合、番頭や双方とコミュニケーションをとる機会が多い他のファミリーは、二人の関係性を支援し、円滑な流れに戻す存在としての役割を果たしてくれる場合があります。
以下の図は、先代と後継者の事業承継の際のコミュニケーションをモデルにしたものです。
承継者は入社後、数年をかけて先代と行動を共にする中で、先代から直接、あるいは先代と共に歩んできた番頭を通じて、会社を経営していく上で重要な判断基準となる自社らしさを捉え、それを中心として、さらに自社の戦略やファミリービジネスの経営といったものの理解を深めていきます。そのプロセスの中で、承継者は今までの自分の経験と新たな経験を統合しながら、自分なりの自社の経営のための判断軸を形成していきます。その過程で先代は、承継者の人間性や能力、理解度といったものを、コミュニケーションのプロセスを通じて測り、一定の信頼関係が醸成されたときに、権限委譲を進めていくことになるのです。
事業承継を円滑に進めるためには、まずは先代とのコミュニケーションの量の確保をした上で、コミュニケーションの質の観点においてもエラーをできるだけ生じさせず、可能な限り双方の間で正しい理解がされているか、理解の誤差がないか、について徹底的に意識しながら、承継プロセスを進めていくことが重要となります。
なお、自社らしさの承継が絶対的に重要ということを見てきましたが、最も難しいのは、その自社らしさは多くの場合、暗黙知となっており、先代自身も言語化できていないことが多くあることです。承継者が企業経営について一定の体系的な理解ができている場合は、承継者が先代に質問していく形で理解を進めることができます。
以上のことから少しでも円滑に事業承継を進めるためには、どのような要素を引き継ぐべきかを体系的に理解し、後継者は当然のことながら経営の全体像について学習し、深めておくことが事業承継の成功確率を上げることに繋がります。
著者
村尾 佳子氏
グロービス経営大学院 経営研究科 副研究科長
関西学院大学社会学部卒業、大阪市立大学大学院創造都市研究科都市政策修士。グロービス・オリジナル・MBAプログラム(GDBA)修了。高知工科大学大学院工学研究科博士後期課程修了(博士(学術))。大手旅行会社にて勤務後、総合人材サービス会社にてプロジェクトマネジメント、企業合併時の業務統合全般を経験。現在はグロービス経営大学院、並びにグロービス・マネジメント・スクールの事業戦略、マーケティング戦略立案全般、そして大阪校、名古屋校のマネジメントに携わる。また複数のNPOに理事として関与しながら、NPOの育成にも携わる。共著に『グロービス流キャリアをつくる技術と戦略』、『27歳からのMBA グロービス流ビジネス基礎力10』、『27歳からのMBAグロービス流勉強力』、『27歳からのMBA グロービス流リーダー基礎力10』、『志を育てる』(東洋経済新報社)、『東北発10人の新リーダー復興にかける志』(河北新報出版センター)がある。