100年続く紳士靴メーカー、マドラスが進化する理由
〜変革は当たり前、圧倒的な熱量で前進する〜

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100年の歴史を刻む老舗の靴メーカー、マドラスの創業は1921年。常に時代の流れを見ながら変化をいとわず、危機を乗り越えてきたチャレンジングな企業です。2010年に代表取締役社長に就任した岩田達七氏にこれまでの軌跡や次の100年に向けての取り組みについてうかがいました。

マドラスの社運をかけ、若い世代向けの新ブランドをスタート

長く手掛けてきた事業をひたすら継続していくのか、それとも既存の事業や製品・サービスから思い切って新規事業に踏み出すのか――。歴史ある企業の経営者は、こうした命題に直面してきました。長い歴史はその決断の積み重ねといってもいいでしょう。

今年、創業103年を迎えるマドラスは、変革を恐れずに後者の道を選び続けてきました。代表取締役社長の岩田達七氏はこう言い切ります。

「過去は過去。これまでの100年は過去のものとして、これからも体制を大きく変えていきます」

マドラスはこれまでにどのような道を歩み、この先へ向かおうとしているか。まずはその軌跡をたどっていきましょう。

1921年、二代目・岩田武七氏は「これからは草履ではなく靴の時代が来る」と将来を見据えて、亜細亜製靴株式会社を設立。当初はアメリカで誕生した頑丈な製法が特徴の「グッドイヤー・ウェルト製法」の紳士靴を量産していましたが、ある日、ターニングポイントが訪れます。

「1965年にイタリア最大の靴メーカー、カルツァトゥリフィチョ・マドラス社との技術提携をしたことです。マドラスブランドの靴を製造しながら、ほかのライセンスブランドを数多く手掛けました。おかげさまで高度経済成長という時代の波にのり、企業として大きく成長することができました」

しかし、バブル経済崩壊後は苦境に陥ります。売れ筋だったブランドであるサンローランに対し、本国フランスからの制約が増えてきたのです。日本とフランスではデザインに対する評価の基準が違います。日本市場の特性を考慮したデザインでは、なかなか本国の許可を得られませんでした。

果たしてこのままでいいのか。岐路に立たされた同社は、1990年にライセンスに縛られず、自らの裁量で製品を設計できるブランド「モデロ」を立ち上げました。

「当時、マドラスブランドの顧客はすでに40〜50代に達していました。若い世代の開拓に向けてスタートしたのがモデロです。話題性を高めるため、アメリカ映画『ウォール街』(1987年公開)で人気を博した俳優のチャーリー・シーンをCMに起用しました」

出演料は年間1億円。社運を掛けた戦略はこれ以上ないほどの成功を収め、モデロは20〜30代の支持を集めました。

卸売業主体から、製造小売業へ転換

その後、2008年にはリーマンショックが起き、2011年には東日本大震災が発生。日本の多くの企業が甚大なダメージを受けました。消費は減退し、サプライチェーンには混乱が生じたことは言うまでもありません。事業縮小を余儀なくされたり、倒産したりする企業が相次ぐ中、岩田氏は、2011年に卸売業主体のメーカーからSPA(製造小売業)への転換を図りました。

「ちょうど海外から中国製の安い靴が大量に入り始めていた頃です。弊社はそれまで、売上の9割を卸売業が占めていましたが、このままでは売り上げの維持は難しくなるだろうと考えました。そこで、自ら作って自ら売る業態にシフトすることに決めたのです。いかにこの企業を継続・継承していくか、そんな使命感に支えられたチャレンジでした」

東日本大震災の4カ月後の2011年7月、創業90周年を迎え、銀座にマドラスのフラッグシップストアをオープン。これはSPA転換への決意を象徴する店舗です。同時に、マドラスのブランド力を世界に発信する拠点でもあります。

現在、マドラスの店舗数は、全国に直営店が11店舗、アウトレットが22店舗、海外に2店舗、リペア専門の店も1店舗と、着実に増えています。ファッションの時代性にも着目し、革靴といえどもカジュアル化の流行に対応し、2019年にはスポーツ用品のミズノ社とコラボレーションしたスニーカーも発売。SPAへのシフトは順調かつ効果的に進んだことは間違いありません。

なぜ同社は、災害や不景気という不利な状況の中で、このような進化を遂げることができたのか。その理由は、常に将来を見据えて、先手先手の選択を行っているからでしょう。

ほかにも危惧している環境の変化があります。日本とEU間で締結されている革製品に関するEPA(経済連携協定)は2019年に発効されました。この影響で、近い将来には関税が完全に廃止されてしまいます。関税がゼロになるということは、輸入靴が安くなり、市場を席巻することが予測されます。しかし同社ではそこまでも見据え、国内勢が太刀打ちできるようにブランド力と販売力を強化しています。SPA転換策は、業界やマーケットの動向を踏まえた上での英断といえるでしょう。

次の100年に向けた無敵のインソールを開発

イタリアのカルツァトゥリフィチョ・マドラス社との技術提携、新たなブランド「モデロ」の立ち上げ、SPAへのシフト。これらにより確固たる地位を築き上げた同社は、いまも変化に敏感な企業であり続けています。その現れとして、近年でも新たな挑戦を行っています。2023年2月には、これまでにない高伸張性と高反発弾性を有する、画期的な「インソール」製品を発表しました。

2年前、医療や宇宙分野で活躍するタナック社の開発した「クリスタルゲル」という素材を知った岩田氏は、その高機能・超柔軟性に驚き、これまでにないインソールの開発を共同でスタートしました。その後、「metaインソール」として製品化に成功。足裏から姿勢を補正して快適な歩行をサポートしてくれる、まったく新しいインソールが誕生しました。

「私自身が長い間、自分の足にピッタリ合う靴がないと悩んでいたのですが、クリスタルゲルを知り、『これならその悩みを解消できる』と感じました。もっともクリスタルゲルは靴の中であっちこっちに動いてしまうため、製品化までは工夫が必要でした。時間はかかりましたが、ようやく実現でき、喜びもひとしおです。人生の3分の1は靴を履いているとも言われています。日本人全員に、ぜひこのインソールを使って靴を履いてもらいたい。靴が履きやすくなれば、人生が変わる。私はそう考えています」

他分野で活躍するタナック社の技術にマドラスの靴づくりのノウハウを生かした「metaインソール」はすでに国内特許も取得。今後はマドラス製品に標準装備されていく予定ですが、すでにメンズは販売中で、レディスのパンプスも2月に販売が始まります。

「2024年9月には銀座店をリニューアルし、metaインソールをメインにした店舗にする予定です。同時に海外への発信も進めていきたいですね。過去を振り返れば、いくつものチャレンジをしてきましたが、『metaインソール』はそれとは比較にならないくらい素晴らしい可能性があります。世界一の靴メーカーになる。そんな力を宿していると考えているんですよ」

そう朗らかに話す岩田氏の笑顔から見えてくるのは、自信と覚悟、そして飽くなき挑戦心。ウェルビーイングの重視される時代において、足から健康をサポートするインソールは、同社を新たなステージへと導き、次の100年を着実に構築することでしょう。

(お話を聞いた方)

岩田 達七 氏 (いわた たつしち)

マドラス株式会社 代表取締役社長

1950年愛知県生まれ。 慶應義塾大学経済学部卒業後、1973年にマドラス(旧亜細亜製靴株式会社)入社。 1980年に同取締役、1984年に同代表取締役、2010年に現職。

[編集] 一般社団法人100年企業戦略研究所
[企画・制作協力]東洋経済新報社ブランドスタジオ

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