金融政策と不動産市場
8-2. 金融政策を理解する
目次
インフレ率と失業率の関係を表したフィリップス曲線とは?
金融政策において、とても重要な理論的バックグラウンドとして「フィリップス・カーブ(曲線)」があります。これは1960年に、米国の経済学者であるポール・サミュエルソンとロバート・ソローの論文『反インフレーション政策の分析』で指摘されました。ポール・サミュエルソン(1915~2009年)は、米マサチューセッツ工科大学(MIT)の教授で、「彼のためにノーベル経済学賞がつくられた」と言われるほど、現代の経済学に貢献しました。
もともと物価と失業との間には負の関係があることが、イギリスのデータで示されていましたが、ポール・サミュエルソンによってアメリカのインフレ率と失業率にも同じような負の関係が存在することが明らかにされ、注目が集まったのです。
政策当局は、マクロ経済学的に金融政策と財政政策を変更して総需要に影響を与えることで、安定的な経済成長の実現を目指します。そのときの大原則は、政策当局がフィリップス曲線上のどの点でも選択できることです。インフレ率と失業率はトレードオフの関係にあるので、ある一定のインフレの下では、ある一定の失業を受け入れることになります。
もし、その選択が社会的課題を生むことになれば、他の経済政策によって失業率などを補っていくことになります。しかし、それは簡単なことではありません。
フィリップス・カーブは、何を表しているのかを見てみましょう。
インフレ率が高いのは、経済が活性化している状態にあることを意味しています。さまざまな物価が上昇するのは、景気が活性化し、需要がとても大きくなっているために起こっていると考えられます。
物価が高い状態は、経済が活性化されているので、失業率は低くなります。しかし、物価が低い状態は、経済が悪化しているので、失業率は高くなっていきます。このようなトレードオフの関係を表したのが、フィリップス曲線です。
フィリップス曲線は、総需要と総供給の関係から説明できます。短期の総供給曲線は、横軸が産出量(供給量)、縦軸が物価水準のグラフで表すと、一本の右上がりの線で表すことができます。長期の総供給曲線は、生産資本などを投下することで曲線をシフトさせることができますが、短期的には供給能力を調節できないので総供給曲線はシフトできないと考えます。
総需要が高い状態の時には、高い物価水準の下で産出を行っていることになり、産出量が増えれば、それだけ人が必要になるので、失業率は低くなります。総需要が低くなると、物価がその分だけ低くなっていくので、産出量が低下し、失業率は高くなっていきます。その結果として、インフレ率と失業率の関係は、右下がりのフィリプス曲線になります。
「物価の安定」を実現するための中間目標とは?
金融政策の基本的な理念とは、物価の安定を図るために、中央銀行は最終目標である「物価の安定」に関連する経済変数を中間目標に捉えて、その中間目標を適切な水準に誘導することで最終目標を実現しようとします。
中央銀行にとって最終目標を達成することは極めて難しいですが、中間目標ですらコントロールするのは難しいと言われています。
結論から言えば、金融政策を変更したから、中間目標が達成できるとは保証されていませんし、最終目標である物価の安定に影響を与えることも約束されていません。政策手段の1つである政策金利を変えたところで、すぐに不動産価格に影響を与えると考えるのは早計です。その理論的な背景を正しく理解して初めて、この問題を考えることができるのです。
中間目標には大きく2つあります。1つが「マネーストック」です。広義には現金通貨と預金通貨の合計として定義されます。しかし、マネーストックには民間部門の預金通貨が含まれているためにコントロールするのが非常に難しいと言われます。
中間目標のもう1つが「長期金利」です。これが、政策金利と言われるものですが、実体経済に影響を及ぼすのに非常に重要な金利です。この長期金利は「純粋期待仮説」、つまり将来の短期金利の期待値(予測値)に基づいて決定されます。
例えば10年間の長期金利は、1年ごとの短期金利を10年間運用した時に、無裁定の条件で決定される金利と定義されます。しかし、現段階では2年目以降の金利は確定していないので期待値を用いることになります。実体経済に直接影響を及ぼす長期金利は、人々が予想する将来の短期金利によって決定されるため、中央銀行が直接にコントロールすることは難しいのです。
繰り返しますが、政策金利が変更されたからといって、人々が予想する将来の短期金利に正しく連動することは保証されていませんし、長期金利が変わるかどうかも分かりません。ですので、不動産価格に影響を及ぼすと早計に考えるべきではないと言いました。中間目標すらコントロールするのは難しいため、最終目標を達成するのは極めて難しい問題になるのです。
中央銀行の伝統的な金融政策とは?
中央銀行にとって、直接コントロールできる政策金利のようなものが「操作目標」であり、中間目標に掲げているのは「マネーストック」と「長期金利」です。
中央銀行は、中間目標を実現して物価の安定を図ろうとしますが、仮に中間目標が達成できたからといって、最終目標が達成されるわけではありません。何重もの不確実性があり、操作目標を変化させることで、財やサービスの物価だけでなく、資産価格を含めて、どのような影響が出てくるのかが決定されるのです。
操作目標をコントロールする手段には、私たちが高校生の時から社会科の授業などで習ってきた「公定歩合政策」「預金準備率操作」「公開市場操作」があります。これらを使って操作目標となる「マネタリーベース」や「短期金利」を変化させるのです。
公定歩合は、中央銀行が貸し出しを行う際の利子率です。銀行が保有する債券や手形を中央銀行が割り引く際の割引率、それを担保とする貸付利子率になります。
中央銀行が公定歩合を下げると、金融機関は安い金利で借り入れができます。それによって市場に出回る貨幣供給量が増加する。その結果として市場利子率が低下すると考えます。一方、公定歩合を上げると、金融機関は高い金利で借り入れするので、その結果として市場に出回る貨幣供給量が減少し、市場利子率が上昇すると考えます。
かつては公定歩合が主たる金融政策の手段でしたが、現在は公開市場操作が主な手段となっています。
次に、預金準備率は、金融機関が中央銀行に預けることを義務付けられている預金の割合です。預金の引出しに備えて、金融機関があらかじめ中央銀行に預ける資金のことで、中央銀行が預金準備率を引き下げると、金融機関が預ける預金量が減少して、市場に出回る貨幣供給量が増加する。その結果、市場利子率が低下するので、景気を刺激する金融緩和効果があります。
一方、預金準備率を引き上げると、金融機関が中央銀行に預ける預金の量が増えて、貨幣供給量が減少し、市場利子率が上昇することになります。この預金準備率操作は、金融調整の手段として、現在ではもう使われていません。
現在、金融調整の主要な手段として使われているのが公開市場操作で、中央銀行が金融機関との間で、債券を売買する買いオペ、売りオペがあります。買いオペは、中央銀行が金融機関から債券を購入する。金融機関は債券を売却し、資金を得ることになり、市場に出回る貨幣量が増加して、市場利子率が低下することになります。
売りオペは、中央銀行が金融機関に対して債券を売却します。金融機関は債券を購入し、資金を中央銀行に支払う。そうすると、市場に出回る貨幣供給量が減少するので、市場利子率が上昇します。
中央銀行がマネーストックと短期金利をコントロールする方法とは?
操作目標である「マネタリーベース」とは何でしょうか。マネタリーベースは、「中央銀行券」と「預金準備」の合計のことです。中央銀行が直接コントロールできるマネタリーベースを通じて、「現金通貨」と「預金通貨」の合計である「マネーストック」に影響を与えます。
「マネタリーベース」と「マネーストック」の関係は、貨幣乗数を使った数式で表すことができます。マネーストックは、貨幣乗数とマネタリーベースを掛け合わせたもので、マネタリーベースを操作することでマネーストックに影響を及ぼします。
昨今「非伝統的な金融政策」という言葉がよく使われます。これまで解説した公定歩合政策・預金準備率操作・公開市場操作といった「伝統的な金融政策」とは違った形で、金融市場に影響を及ぼそうとする金融政策のことです。
伝統的な金融政策はいずれもマネーストックに影響を及ぼす政策ですが、公定歩合政策・預金準備率操作・公開市場操作では、マネーストックに与える影響のメカニズムやパスが異なります。
公定歩合政策と公開市場操作は、いずれも貨幣乗数が一定のもとマネタリーベースを増減させることでマネーストックを増減させます。預金準備率操作はマネタリーベースが一定のもと、貨幣乗数を変化させることでマネーストックを増減させるという違いがあります。
中央銀行の操作目標となる短期金利とは、インターバンク市場の短期金利を意味します。一般的には無担保コールレート(オーバーナイト物)が操作目標となります。
インターバンク市場は、金融機関のみが対象の短期金融市場のことで、民間金融機関が日々の短期的な資金の過不足を相互に調達している市場です。タイミングの問題などで、最終的な運用資金額と資金調達額が一致しないために行われるもので、オーバーナイト物は取引の翌日が決済期日になります。無担保コールレート(オーバーナイト物)は、最も期間が短い短期金利ですから、中央銀行が影響を及ぼしやすいのです。
中央銀行が短期金利の目標値を決定する代表的な金融政策ルールに「テイラー・ルール」があります。短期金利の目標値は、最終目標であるインフレ率や景気動向などの経済変数で表される数式モデルに従って決定されます。
目標値となる名目金利は、期待インフレ率と目標インフレ率との差、GDPと潜在GDPとの差によって算出されます。ここでの潜在GDPは、資本・設備・雇用が完全にフル回転しているときに実現できるGDPの大きさで、GDPと潜在GDPの差が「GDPギャップ」となります。
スピーカー
清水 千弘
一橋大学教授・麗澤大学国際総合研究機構副機構長
1967年岐阜県大垣市生まれ。東京工業大学大学院理工学研究科博士後期課程中退、東京大学大学院新領域創成科学研究科博士(環境学)。麗澤大学教授、日本大学教授、東京大学特任教授を経て現職。また、財団法人日本不動産研究所研究員、株式会社リクルート住宅総合研究所主任研究員、キャノングローバル戦略研究所主席研究員、金融庁金融研究センター特別研究官などの研究機関にも従事。専門は指数理論、ビッグデータ解析、不動産経済学。主な著書に『不動産市場分析』(単著)、『市場分析のための統計学入門』(単著)、『不動産市場の計量経済分析』(共著)、『不動産テック』(編著)、『Property Price Index』(共著)など。 マサチューセッツ工科大学不動産研究センター研究員、総務省統計委員会臨時委員を務める。米国不動産カウンセラー協会メンバー。
【コラム制作協力】有限会社エフプランニング 取締役 千葉利宏