江戸清と横浜中華街
地域に奉仕し、地域に支持される事業をめざして

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目次

お話を聞いた方

高橋 伸昌 氏(たかはし のぶまさ)

横浜中華街発展会協同組合 理事長
株式会社江戸清 代表取締役会長

1959年神奈川県横浜市生まれ。82年慶應義塾大学卒業後、野村證券に入社。94年家業の食肉加工および販売を行う株式会社江戸清入社。独自開発した「ブタまん」のヒットで横浜中華街に食べ歩きブームを起こす。2000年代表取締役社長に就任。18年に横浜中華街発展会協同組合理事長、19年に江戸清代表取締役会長に就任。

アツアツでボリューミーな豚まんを求めて行列ができる横浜中華街・江戸清。明治27(1894)年の創業以来、幾度もの危機を乗り越え、中華街全体の発展に寄与してきました。株式会社江戸清代表取締役会長の高橋伸昌氏は、横浜中華街発展会協同組合理事長でもあり、街をけん引するリーダーとしても奮闘しています。コロナ禍を経て、周辺地域との連携をさらに強化し共に繁栄をめざす在り方を、高橋会長に伺いました。

“母の涙”で家業を継ぐ決意

どんな企業でも、今この現在地にたどり着くまでには、山あり谷ありの歴史があったでしょう。江戸清も例外ではありません。

明治27(1894)年に食肉業を創業。大正時代からハムやベーコンを取り扱い、事業を拡大しますが、大正12(1923)年には関東大震災で、昭和20(1945)年には横浜大空襲で、壊滅的な被害を受けました。

戦後、復興した江戸清は、高度経済成長の中で肉の生産から販売までをトータルに取り扱うインテグレーション事業に乗り出します。その際、パートナーとして選んだのが当時「十大総合商社」の一社に数えられていた安宅産業でした。

しかし、やがて安宅産業は経営難に陥り、その破綻寸前に江戸清は業務提携の解消に踏み切りました。間一髪で連鎖倒産は免れたものの、江戸清が受けたダメージは大きく、伊藤ハムの資本参加によって事業を立て直すことになったのです。以来、江戸清は株式を自社の手に取り戻すことが大きな目標となりました。

私は大学を卒業後、野村證券に入社。証券マンとして充実した日々を送っていましたが、36歳のとき江戸清に呼び戻されました。「うちに戻って父親の後を継いでほしい」という母の頬に一筋の涙が光るのを見て、私は4代目を継ぐ覚悟を決めました。

私に託された最大の使命は、株式の買い戻しでした。これは一朝一夕にできることではありません。誠意をもって相手と向き合い、約束を着実に実行することで少しずつ信頼関係を築き、徐々に株を買い戻していきました。こうして20年かけて、ようやくすべての株を手元に戻すことができたのです。

私は困難や逆境がそれほど嫌いではありません。平時よりもむしろ苦しいときのほうが楽しく感じます。ピンチとチャンスは隣り合わせであり、逆境を乗り越えることで必ず次のチャンスがやってくるからです。

しかし、江戸清にとっても、そして横浜中華街全体にとっても、2020年に始まったコロナ禍は前例のない大ピンチでした。

お客様への感謝、地域へのお役立ちが繁栄につながる

関東大震災や横浜大空襲のように、街が壊されるのはとてもつらい経験ですが、それでも翌日からは「よし、立て直そう」と未来に目を向けて努力することができます。

これに対しコロナ禍は、街は壊れていないのに誰も人が来ないという事態でした。一等地に店を構えていても、サービスや商品を充実させても、意味がないのです。人が来ないことの恐ろしさを心底感じたのが、コロナ禍でした。

当初の感染拡大期には、中華街に対するいわれなき誹謗中傷もありました。しかし、そんな様子を見かねたあるファンの方がSNSで「中華街がんばれ」というメッセージを発信してくださり、それをきっかけに全国の多くの方から応援の声が寄せられるようになります。私たちはこれに勇気づけられ、立ち上がることができました。

第8波と呼ばれた感染の波が収束に向かっていた2023年の春節には、横浜中華街は多数のお客様であふれるにぎわいを取り戻していました。自分たちの努力だけでこんなふうになったのではありません。私たちの知らないところで、中華街の魅力が多くの人によって伝えられ、多くの人びとの中で「行きたい街」になっていたのです。中華街は、もはや自分たちだけの街ではない。「みんなの街」になっていることを痛感した出来事でした。

一度途絶えてしまった人の足が、もう一度中華街に向かうためには、そこが安心・安全の場でなければなりません。そのためには、「中華街」という狭い枠で考えるのではなく、中華街を含めた「地域全体」という広い視野を持つことが重要です。

2021年9~10月、横浜中華街ではコロナワクチンの職域接種を実施しました。当時、ワクチンを打ちたくても打てないという方がたくさんいらっしゃいました。そこで、中華街で申請した職域接種を地域にも開放し、地域で希望する人には誰でも接種を受けていただけるようにしたのです。これは大変喜ばれ、自治体や町内会、各種団体の皆様がわざわざお礼に足を運んでくださったくらいです。地域全体の利益のために動いた結果だと思います。

たらいの水を自分のところに寄せようとすると、水は逃げていきます。反対に、水を周囲に押し出すようにすれば、おのずと水が自分のところに引き寄せられます。商売も同じです。中華街が、自分のところの利益だけを守ろうとすると、お客様は離れてゆくでしょう。そうではなくて、応援してくださったお客様のため、地域のために恩返ししていけば、おのずと中華街にそれが返ってくるのです。

次世代にタスキを渡すまで全力を尽くす

人のため、地域のため、世の中のため——この思いは、創業以来、当家で受け継がれてきたスタンスです。創業者は、関東大震災のときに、誰も救いの手を差しのべなかった中国人を支援しました。2代目は、終戦後アメリカ軍に接収された横浜女子商業学校(現中央大学附属横浜中学校・高等学校)の返還に尽力しました。3代目の父も、4,000以上ある横浜市内の町内会の代表として地域社会のために献身的に活動しました。

私も江戸清に戻ってからは、町内会、法人会、横浜中華街発展会など、地域や商業界の活動に当たり前のように取り組んできました。

江戸清の社是は「事業を通じて社会に奉仕する」です。社会あっての事業です。われわれは、地域や社会に生かされているのです。だからこそ、事業を通じて地域や社会にお返しをしていかなければならない。これこそが企業の存在意義です。

コロナ禍は、「自分の店だけを繁盛させようとしても、どうしようもない」ということを教えてくれた出来事でした。店が繁栄するためには、街が繁栄しなければならない。街が繁栄するためには、地域全体がよくならなければならない。人が集まるとは、そういうことなのです。

コロナ禍によって、テイクアウトの営業形態が増えました。それに伴い、中華街でも「食べ歩き」をする人たちの姿がよく見られるようになりました。すると問題になるのがゴミです。何もしなければ、路上にゴミがあふれてしまいます。

そこで横浜中華街発展会では、食べ歩きの店にはゴミ箱の設置を義務づけようと動いています。発展会に加盟している組合員だけではなく、発展会の予算でゴミ箱を用意して非組合員の店にも置いてもらう予定です。つまり、店単位の対応ではなく、街で出たゴミを街全体で処理しようという取り組みを始めています。こうした活動が「中華街」という街のブランドを守り、結果的に店の繁栄として戻ってくるのだと考えています。

「中華街」というブランドを掲げて商売をする限り、ブランドを守る責任と義務があるのです。仮に理解が得られない事業者がいたとしても、理解を得るまで何度でも話をして説得するしかありません。

そして理解を得るためには、口でいうだけではダメで、自らが率先垂範し、「あの人がそこまでやっているのなら」と思われるような姿を見せるしかありません。江戸清も、横浜中華街発展会も、代々のトップはそうした努力をしてきました。

これは終わりのない駅伝のようなものです。代々の汗のにじむタスキを受け取ったのなら、自分の区間を懸命に走るのみです。中継所で待つ次の走者にタスキを渡すまで、私は自分の限界まで力を振り絞って足を前に運ぶつもりです。その姿を見て、次世代がさらによい店づくり、街づくり、地域づくりをしてくれるに違いありません。

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