呉竹のフロンティアスピリットが紡ぐ、次の100年
〜社に浸透する飽くなき挑戦心〜

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墨の製造業者として創業し、重ねてきた歴史は120余年。呉竹は日本の伝統文化である書道に携わりながら、事業を通じて得た知見や経験を生かして斬新な商品を世に送り出し、近年は異分野にも進出しています。そんな同社が古くから持つ開拓者精神、そして見据える200年に向けてのビジョンを、代表取締役社長の山際義敬氏に語っていただきました。

製墨業界でニッチトップを目指す戦略

呉竹は1902(明治35)年に、奈良県で製墨業者として創業。1958(昭和33)年に業界初の液体墨「墨滴」を発表し、1973(昭和48)年に販売を開始した「くれ竹筆ぺん」は今も売れ続けるロングセラーになっています。そんな呉竹の歴史は、挑戦の連続でした。

120年という歴史に着目すれば、老舗という看板に偽りはないでしょう。しかし、創業400年以上の会社が現存する製墨業の中では、若輩者という位置付けです。そんな世界で生き残るために、呉竹は独自性のあるビジネスを展開する方法をつねに考えてきました。山際義敬代表取締役社長は語ります。

「われわれがやるべきは、お客様が求める商品を提供することに尽きます。弊社はお客様から直接、ご要望をいただく機会が極めて高いと思います。窓口や担当の営業に『こういうものができませんか』と、よくお声がけをいただくのですが、どんなに小さな声でも拾い上げて、製品化に挑んでいく。その積み重ねですね」

「墨滴」や「くれ竹筆ぺん」の印象から、同社の軸足は一般ユーザー向け商品だと思われている方も少なくないでしょう。ですが、実は売り上げの多くは書道家や、アーティストの方々への販売によるものなのです。業界内では大きな市場は大手が占有しており、そこと互角に戦うのは難しい。狭い領域ながらも徹底的にこだわった商品を提供し、ニッチトップを目指す戦略をとっているのです。

「弊社は書道家やアーティストの方々からのご要望に、ずっと応え続けている企業です。墨の色、艶、粘り、濃度など、お客様によって欲しいものは違います。この市場は小さいながらもなくなることはないでしょう」

400年以上の歴史を持つ同業他社がいる業界で、120年企業が太刀打ちするために選んだのは先鋭化すること。そのためには市場のニーズに応え続け、変化することを是としているのです。

絶えず変わり続けることで前進

呉竹は先述したように、墨を硯で磨ってつくる墨汁を、あらかじめ液体の状態にした「墨滴」や、毛筆をペン感覚で使えるようにした「くれ竹筆ぺん」を世にリリースしました。いずれも当時の常識の範疇を飛び越えたがゆえに、製品化がかなったものです。そのたびに従来の形を重視する風潮との衝突がなかったわけではありません。それでもユーザーが求めるものをつくるという、呉竹の信念を貫き通してきたことで現在があるのです。

創業120周年を迎えた2022年には、筆ぺんで培った技術とノウハウを注ぎ込んで、コスメティックの分野にも進出。筆の太さや形状など、これまでに得てきた知見を活かしてアイライナーを製品化しました。製墨という背骨で事業を支えながら、そこで得たノウハウをもとに水平方向にも広げていく。呉竹には古くからフロンティアスピリットが根付き、それが綿々と受け継がれてきているのです。

「外からご覧になると伝統ある会社と受け取られているかもしれません。しかし、ただ守りに徹するだけではなく、新しい技術などもそのたびに取り入れています。そのことで批判的なご意見をいただくこともありますが、お客様が求めているものを形にすることが最優先です。私たちはお客様に寄り添うことを、ずっと続けている会社なのです」

墨の製法も時代ごとに変化し、それに対応して製品は進化しています。呉竹は長い歴史の中で、伝統を守り続けるのではなく、変わり続けることで前進してきました。そして今は、次の区切りである200年を視界に捉えています。

「事業における今後のビジョンに関しては、大きく2つあります。一つは日本国内の皆さんに、書道をもっと気軽に楽しんでいただきたい。パフォーマンス書道のような形で、もっと書道をたしなむ方を増やしていきたいですね。伝統的な書道のほかにも、モダンなスタイルで楽しんでいただける書道の在り方に、弊社が寄り添っていきたいと考えています」

もう一つは、書道の海外への普及です。西洋や中東にはカリグラフィーという、文字を美しく見せる書法があります。起源は1世紀後半から2世紀の間とされ、現地では文化として当たり前のように根付いています。書道に携わってきた経験を生かしたカリグラフィー専用のペンをはじめ、関連製品は国内外で好評を得ています。

「弊社のカリグラフィー用のペンは、国内外のマーケットで認知をいただいています。カリグラフィーは、西洋の書道といわれていますが、東洋と西洋の書道製品を同時に扱っている会社は、ほかにないかと思います。書道に寄り添っているわれわれが発信者となって、日本の書道を世界の皆さんに楽しんでもらいたい。そうすることで弊社が200年を迎えても、さらにその先も、存在していられる会社になるのではないかなと思っています」

※複数人でチームを組み、音楽に合わせてダンスや演技をしながら、巨大な紙に書道をするパフォーマンスのこと

考え方と言葉を残して200年へ

次の100年へとたどり着く過程で、経営トップのバトンタッチは必ず行われます。歴史の長い企業では創業者と血縁のある者が代々経営を受け継ぐケースが多いものの、呉竹では、山際社長が実質、創業家以外から経営トップとなり、現在の体制へと移行。ここから新たな呉竹がスタートしました。

「かつて、創業100年を目指していたころ、呉竹を永続的に経営していくために、新しい商品や既存商品の更新などを考えていた時期がありました。しかし、それだけでは100年以上を達する条件としては、何かが足りないように感じました。それは何かと考えているうちに思いついたのが、経営者の思いを形として残すことです。考え方を言葉にして受け継いでいくときに、それを記して残すものが文字です。人はいつか、肉体は朽ちて滅びてしまいます。でも、言葉と考え方は文字にして残すことができる。これをバトンにしたためて、次の世代に渡せるかどうかが、とても重要だと思っています」

山際氏の手の中にあるバトンは、今はとても重いと言います。人材育成や事業のブラッシュアップなど、目の前の課題は山積みです。しかし、これら一つひとつと向き合い、バトンを軽くして次につなぐことも、自らの役目だと捉えています。

「この120年から200年にかけて大事になるのは、間違いなく人でしょう。従業員にはいつも、8勝7敗でいい、負ける経験をしていくことも大事と伝えています。つねに目の前の物事に真正面から向き合い、たとえ1点を失ったとしても、その裏には2点取れる。そういう人材になってほしいですね」

創業家で続いてきた会社のトップを受け継いだ当時を振り返りながら、山際氏の視線の先は呉竹の未来へと向けられています。

お話を聞いた方

山際 義敬 氏(やまぎわ よしたか)

株式会社呉竹
代表取締役社長

三重県出身。2003年に呉竹入社後、2012年6月総務部マネージャー、2020年8月常務取締役就任などを経て、2021年8月より現職。

[編集] 一般社団法人100年企業戦略研究所
[企画・制作協力]東洋経済新報社ブランドスタジオ

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