オフィスの歴史とオフィスツールの変遷 ~企業経営や起業の礎を探る~

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「働き方改革」という言葉が登場したのは、2016年。
2018年に働き方改革法案が成立し、働き方改革関連法が2019年4月から施行されることとなりました。

働き方改革関連法の柱は、

①「働き方改革の総合的かつ継続的な推進」
②「長時間労働の是正と多様で柔軟な働き方の実現等」
③「雇用形態にかかわらない公正な待遇の確保」

以上の3つとなっており、すで既に多くの企業が「働き方改革」の実現に向けて、新しい就労制度の導入などさまざまな活動への取組みを始め、これまでの働き方が大きく変わりつつあるでしょう。

働き方改革の一環としてオフィス環境への意識が高まるとともに、情報通信を利用して、昼だけでなく朝や夜、自宅や移動先で仕事をするといった、時間や場所を選ばない働き方=テレワークを導入する企業が増えました。

最近では、日本マイクロソフトと東京海上日動火災保険が「テレワーク保険」を共同開発したことが話題になりました。テレワークのセキュリティリスクへの対応も日々進化しているといえます。

今後のワークプレイスとしてのオフィスのあり方を検証する上で、「はたらくはこ」としてのオフィスの歴史を振り返りながら、オフィスツールの進化について解説していきます。

「オフィスワークスタイル」の誕生は、産業革命期のイギリス

汽車


「決まった時間、決まった場所に、集合して働く」という概念が生まれ、働く場所を「オフィス」とカテゴライズしたワークスタイルができたのは、産業革命期のイギリスといわれています。

当時イギリスでは、蒸気機関車が発明され、輸送の発達とともに石炭の利用や製鉄業が発展していきました。さらに紡績工場を中心に多くの工場が建設されました。

製品の大量生産・大量輸送が可能になると、労働作業や生産管理などの管理業務者も増えることから、管理業務者の執務を行う場所としてオフィスが工場に併設されていきました。

世界初のオフィス専用ビルは、1729年にロンドンで竣工された東インド会社の建物といわれています。

東インド会社のオフィスでは、アジアとの貿易を行う商社業務を中心に行っていました。
各種交易に関連する書類や手紙の作成、同時に交易情報を集約化するといった作業を専用に行う施設ができたことで迅速な意思決定が可能となり、労働生産性の向上に寄与しました。

こうして、労働者が工場やオフィスに集まって、集中的に業務を行うワークスタイルが定着化していったのが約300年前。
このころから、労働に対する評価が「生産量」から「労働時間」に変わったことで、時間給という概念が生まれ、その時間を正確に測るため、時計の精巧化も同時期に進みました。

工場用地の手配や工場建設、生産設備導入やオフィスビル建築、そして労働者雇用には大きな資本が必要でした。いわゆる“ジェントルマン”という社会貢献意欲の高い貴族や大地主などを主体とする資産家がそれにあたり、イギリスの産業革命期の担い手として活躍していました。

日本初のオフィス専用ビルはいつごろから?

三菱一号館


日本初のオフィス専用ビルは1894 年(明治27年)に竣工された「三菱一号館」であり、ロンドンと比べると150年以上も後になります。

「三菱一号館」が建てられた東京・丸の内は、1914年(大正3年)の東京駅完成以降、事業所の新設や移転が相次ぎ、オフィス街が形成されていきました。

日本において、オフィスビルで働くというワークスタイルが登場して125年。
今日のビジネスシーンでは、ノートパソコンやタブレット、スマートフォンがオフィスツール化されるようになりましたが、当時のオフィスではどのようなオフィスツールが使用されていたのでしょうか?

オフィスにおける文書作成ツールの変遷

ビジネスデスク


タイプライターは、1714年にイギリスで発明され、その後の改良により商業的に成功するようになるまで150年以上の期間を要しました。

当時から英文タイプライターは、アルファベット26文字と数字・記号などで構成されていました。タイプライターのキーボードはボール状の本体の表面にキーが配置されている「マリング・ハンセン・ライティングボール」、印刷電信機で採用されたピアノ状の「2段鍵盤スタイル」といった変遷を経て、現在のパソコンキーボードのキー配列にも受け継がれている「QWERTY配列」が開発されました。

タイプライターは、19世紀後半には“手書きよりも素早く文字を印字できる”ツールとして、生産性の向上を可能にしました。「タイプライター」という呼称も、同時期に登場しています。

欧米諸国で“手書きよりもすばやく文字を印字できる”タイプライターが登場したことで、文書作成の効率が上がり、オフィスへのタイプライター導入が進む過程で、タイピストという職種も誕生しました。

当時の女性の主な職場は紡績工場でしたが、オフィスで働くワークスタイルが定着したことで、タイピストや電話交換手、秘書として女性が活躍するようになり、女性の社会進出の一翼を担いました。

「丸善百年史」によれば、日本に英文タイプライターが登場したのは、明治20年代と紹介されています。
多種多数の文字で構成される日本語入力対応の和文(邦文)タイプライターは、杉本京太氏によって1915年(大正4年)に発明され、「特許第27877号 邦文タイプライター」を取得しています。
杉本氏はこの発明により、1985年に特許制度制定百周年を記念して選出された、「日本の発明家十傑」の一人になりました。

1920年代には、和文タイプライターが政府公文書作成業務で使用されるようになり、その後は官公庁や企業・教育機関などで使用され、日本における書類作成事務効率化に大きな役割を果たしました。

当時の和文タイプライターは、活字を1文字ずつ拾って紙に印字するスタイル。印字効率を高めるためには2,000種ほど並んだ文字盤の文字配列を記憶しなければならず、“和文タイピスト”という専門職が日本にも誕生したといいます。

タイピストの業務は、手書きの書類をタイプライターで打ち込み、清書することです。正確かつスピーディーなタイピングスキルが求められたことから、タイピスト養成所が設立されました。
高いタイピングスキルだけでなく、文書の校正にも対応できるだけの教養を身につけていることが重要視され、タイピング業務の中心を担ったのは当時「職業婦人」と称されたタイピスト養成所を卒業した女性達で、知的労働を担う職能集団として新聞に取り上げられるほど注目されていました。

和文タイプライターは、オフィスでは全従業員の共有機器的な位置づけでしたが、タイピストというプロユースを前提としていました。1980年代に日本語専用ワードプロセッサーが商用化されてからも、しばらくは、日本における書類作成事務の中心でした。

日本語ワープロは開発当初、当時の価格で630万円(重量220kg)だったそうで、官公庁や大企業を中心に採用されていったようです。

その後、大手電機メーカー各社の技術革新によるワープロの小型化・低価格化が一気に進み、自然言語処理の研究やJISキーボード、デスクトップ型パソコンなどが開発され、操作性が向上されていきました。その結果、和文タイピストによる専門的な仕事だったオフィスの文書作成業務は、一般的な業務に転換されていきました。

Windows95の登場時以降、日本における文書作成ツールの中心はワープロからパソコンに切り替わっていきますが、ワープロは日本におけるオフィスオートメーション機器の草分け的な存在といえます。
さまざまなキーボード付きデバイスや、液晶ディスプレイ付きデバイスという存在だけでなく、それら機器類への日本語入力操作がベースであり、加速度的に普及した日本のITツールにおいて、極めて重要な位置を占めています。

まとめ

「オフィスに集合して働く」という概念自体は、産業革命期のイギリスで生まれてからそれほど変わってはいませんが、時間や場所にとらわれない働き方=オフィス内でのフリーアドレス、外出先・自宅などでのテレワークなどは浸透しつつあります。

これまでのオフィス作りが「個人で作業をするために最適なレイアウト」を目指してきたとすれば、これからは「チームで作業を進めるために最適なワークプレイス(社内外の関係者を含めた、かつ自社オフィスに限定しない)」が主流となっていくのかもしれません。

著者

株式会社ボルテックス 100年企業戦略研究所

1社でも多くの100年企業を創出するために。
ボルテックスのシンクタンク『100年企業戦略研究所』は、長寿企業の事業継続性に関する調査・分析をはじめ、「東京」の強みやその将来性について独自の研究を続けています。

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