『論語』から『論語と算盤』へ
~成長とサスティナビリティの両立を目指して

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目次

かつて、日本企業では『論語』の教えをベースにした組織論やリーダー論が盛んでした。それが共同体的会社組織の土壌を形成していました。しかし、日本的経営が行き詰まって久しい現在、“会社共同体”も衰退の一途をたどっています。『論語』は時代遅れなのか、それとも見直すべきなのか、中国古典研究家の守屋淳氏が解説します。

論語が示すリーダー像

中国古典の中でも、日本人に最も読まれているのが『論語』です。

『論語』の主人公である孔子の生きた時代は、乱世でした。孔子は、混乱の世に終止符を打ち、平和な秩序を母国や中国全土に広げたいと考えていました。そういう意味で、基本的に争いごとを好まない。また、過去の治世にこそ理想の状態があると考えていたため、過去のよきものを引きつぐことを重視する傾向があります。

つまり、保守的であることが『論語』の特徴の一つです。秩序をつくるにはうってつけの教えですが、競争の中で進歩や成長を促すという面では、弱い部分があることは否めません。

企業経営でいえば、『論語』の教えは今の体制を安定的に維持したいときは役に立ちますが、未来を切り開いていくとき、改革や発展を推し進めたいときには物足りない面があります。

『論語』が示すリーダーシップのあり方は「徳」を身につけることです。
「徳は得なり」――徳は生来人間に備わっているものではなく、後天的に習得していくものだといいます。

平社員のときは平社員として必要な技能や備えるべき人格があります。課長になれば課長の、社長になれば社長の、持つべき技能や人格がある。それは一朝一夕に獲得できるものではなく、日ごろからの修練、訓練の積み重ねが大切だというのです。

自分に与えられた社会あるいは組織のポジションに応じて必要な徳を身につけ、部下から信用されたり、人からあこがれられる存在になり、組織を平和にまとめていく。それが『論語』が示す理想の姿です。

孔子が、顔回という弟子について述べた一節があります。
「怒りを遷(うつ)さず、過ちを弐(ふたた)びせず」
「怒りを遷さず」とは、八つ当たりしないという意味で、感情をコントロールできることを指します。「過ちを弐(ふたた)びせず」とは、同じ失敗を繰り返さないこと、すなわち成長できる人間であることを意味します。

これは「弟子の中で誰が学ぶことを好みますか?」という質問の答えの中に出てくる言葉です。学ぶことの大切さとは、どれだけ知識を身につけたかではないということです。

知識の豊富さよりも、感情がコントロールできること、成長できることが評価される。このように、「徳」を備えることが何よりも重視されたのです。

人が生来持っているもの、天から与えられた資質を「性」といいます。今どきの言葉でいえば「らしさ」です。「性」はもちろん大切ですが、社会で生きていくためには後天的に「徳」を身につけ、社会的役割を果たしていくことが重要である――それが『論語』のメッセージです。

『論語』の強みと弱み

じつは、従来の日本の企業経営には、『論語』が大きな影響を与えていました。

きっかけは明治時代にさかのぼります。1903年(明治36)、当時の農商務省が『職工事情』という日本の労働状況の報告書を発行しました。

これには、当時の工場労働者が非常に劣悪な環境下で過酷な労働を強いられていたことが記されています。このままではいけないということで、日本でも初めて労働法(工場法)ができます。

しかし、これに対して経営者たちはなるべく自分たちを縛るような法律にならないような働きかけをします。その一手が「温情主義」です。『論語』で示されている立派な経営者になるので厳しい法律はつくらないでほしい、というわけです。

一方、国は次第に戦争体制の構築を迫られ、企業に対しても戦争への協力を求めるようになります。その際、会社を株主の支配から脱却させ、一つの生活共同体にしていくために「温情主義」をあと押しました。

こうして日本の産業界に温情主義が浸透していきます。それがそのまま戦後の会社のひな型になっていくのです。

日本の会社が、家族主義的な共同体組織の色彩を色濃く持っていたのは、源流をたどると『論語』をベースとした儒教の影響を強く受けているからです。年功序列や終身雇用制度など、いわゆる「日本的経営」と呼ばれた要素も、この流れから生まれたものでした。

このような会社が強みを発揮するのは、全体としての目標が定まっている場合です。「戦後の復興」や「先進国に追いつき追い越せ」など、先が見えているときは迷うことなく全員で一丸となって目標に向かって突き進みます。

ところが、バブルが崩壊し、冷戦が終結し、この先は自らの目標を自分たちで決めなければならない。そうなると、このやり方ではうまくいかなくなりました。新しいものをクリエイトするとか、従来のやり方を乗り越えて大胆な変革をするということに対して、『論語』ベースの温情主義では対応しづらい面があったのです。

バブル崩壊以降、日本企業はずっと模索を続けていますが、昨今の業績や、人事制度・組織改革をめぐる混乱を見ていると、いまだにこの問題を克服し切れていないように見えます。

現代の経営課題に応える『論語と算盤』

では、『論語』の教えはもはや時代遅れで役に立つことはないのかといえば、私はそうは思いません。「徳」を身につけ周囲の人からの信用を得ること、感情をコントロールし、成長できる人間であることは、これからの世界でもますます重要になるでしょう。

ただ、従来の日本の『論語』の取り扱い方では、新しい時代に対応できない。世界でビジネスをしていくためには、効率性を重視し、競合する他社に打ち勝って成長を遂げるというスタンスも必要です。これは、『論語』の教えとは対極にあるように思えます。

その一見真逆に見える要素を結び合わせたのが、渋沢栄一です。渋沢は『論語と算盤』で、道徳と経済の両立を説きました。

『論語』だけを説いていては、厳しい競争に打ち勝つことはできません。しかし、儲かるかどうかの算盤勘定だけで道徳を無視した経営は、いびつであり不健全です。

道徳と経済は、どちらも人間社会にとって不可欠なものです。今、渋沢栄一が見直されているのは、あるときは『論語』に、あるときは経済に偏りすぎてバランスを崩していた日本企業に、もう一度健全なバランスを取り戻そうという動きがあるからかもしれません。

今、世界もサスティナビリティに向かって大きく展開しています。『論語と算盤』は成長とサスティナビリティをどう両立させるのかという、きわめて現代的なテーマにも応えている書物なのです。

守屋 淳 氏

作家/グロービス経営大学院 特任教授

早稲田大学第一文学部卒業。『孫子』『論語』『韓非子』『老子』『荘子』などの中国古典や、渋沢栄一などの近代の実業家についての著作を刊行するかたわら、グロービス経営大学院アルムナイ・スクールにおいて教鞭をとる。編訳書に60万部の『現代語訳 論語と算盤』(筑摩書房)や『現代語訳 渋沢栄一自伝』(平凡社)、著書にシリーズで20万部の『最高の戦略教科書 孫子』(日本経済新聞出版)など多数。2018年4~9月トロント大学倫理研究センター客員研究員。 ▶オフィシャルウェブサイト https://www.chineseclassics.jp/

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