「新しい資本主義」の実現に不可欠な人的投資とは

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2021年10月に岸田内閣が発足して間もなく、「新しい資本主義実現会議」が設置されました。民間有識者メンバーの構成は15名で、経済団体や労働組合の重鎮だけではなく、ジェンダー、年齢、専門分野の側面でダイバーシティが多彩多様のラインアップです。

ただ、同年の11月に岸田総理が広まっていたコロナ禍のオミクロン株にも対応するために「緊急宣言」を発表しましたが、その後の「新しい資本主義」の評価が一般的に高いとは言えません。「分配」なのか。「成長」なのか。どちらなんだ、という声が上がりました。

しかし、実現会議の一メンバーである私が思うに大事なことは、成長「か」分配ではなく、成長「と」分配の「好循環」に目を向けることです。これは、渋沢栄一の『論語「と」算盤』により、持続可能な社会を目指した日本の資本主義の原点と通じるものがあります。

なぜ「新しい資本主義」が必要なのか?

現在の日本は近代史上、極めて重要な時代の節目に立っています。人口動態の激変により、今までの日本社会が体験したことのない規模感とスピード感で世代交代が始まっているのです。今までの成功体験を作ってきた世代から、これからの新しい成功体験をつくらなければならない世代へのバトンタッチです。

この重要なタイミングで、「新しい資本主義」を実現する会議を設置された岸田総理のご決断に敬意を表します。現在、「新しい資本主義」が必要な理由は、日本の新しい時代において人的資本の向上による社会変革(トランスフォーメーション)のためです。渋沢栄一が日本の資本主義の原点である「合本主義」を導入した理由は、当時の日本の社会変革のためです。現在の私たちも、「新しい資本主義」によって豊かな新しい時代への社会変革を実現すべきではないでしょうか。

今までの近年の資本主義の有り方により、人口動態がピラミッド型の昭和時代はMade In Japan、つまり、先進国の大量消費を満たす大量生産で日本は大成功しました。ところが、人口動態がひょうたん型に変異した平成時代には、日本は米国などからのバッシングに対応するためにMade By Japan(貴方の国でつくります)という合理的なモデルにチェンジさせました。

しかし、それからおよそ30年を経て、日本は世界から素通りされるパッシングに陥ります。バッシングからパッシングへ。これが平成日本の総括でありましょう。少なくとも、それまで築いた成功体験から、異なる時代環境で新たな成功体験へと進化するために必要なトランジション(変わり目)の時代が平成でした。

令和という新しい時代環境において、日本は新しい成功体験をつくらなければなりません。私が期待している、その成功体験とはMade With Japanです。大企業だけではなく、中小企業やスタートアップ企業も含め、日本全国からの様々な組み合わせによって、世界の多くの国の大勢の人々の暮らしを豊かにすることができる、持続可能な社会を支えることができるはずです。私の「新しい資本主義」への期待は、このMade With Japanという令和日本の新しい成功体験を実現させることです。

「成長と分配の好循環」によって、国内社会の格差が是正され、豊かな生活から取り残されない状態を実現させることは国の重要政策です。ただ、この好循環の視点を国内に留めることなく、日本が世界の成長と分配の好循環を産む「ストック」となる視点も不可欠です。金銭的資本、技術的資本、そして、人的資本を活用するWithで世界と共に持続可能な社会、ウェルビーイングな生活を共創する日本が、少子高齢化社会の新しい資本主義の実現、世界へ新しい成功体験のお手本となるべきです。

また、目指すべきは単なる量の倍増という成長ではなく、生活の質の倍増という成長でありましょう。「新しい資本主義」が求めている成果がGDP成長に留まるようでは、旧来の資本主義と本質的に変わることありません。意見が分かれるところでしょうが、GDP倍増が昭和のようにウェルビーイング倍増につながることはないという考えが広まっている時代です。

一方で、「新しい資本主義」を都合よく解釈して、現状維持に甘んずることは断じて回避しなければなりません。「三方よし」は素晴らしい概念ですが、それが、日本人だけに通じるものに留めてはならず、世界との共通言語化が必要です。

渋沢栄一が提唱した「合本主義」とは、一滴一滴の滴が大河になる。つまり、民間力集合による変革です。大正5年(1916年)に出版された渋沢栄一の講演集の「論語と算盤」は、当時の日本社会への憂いそのものでもあり、栄一は民間力再編による変革を求めていました。

つまり、日本の資本主義の原点は変革、トランスフォーメーションだったのです。この「CapX(キャピタル・トランスフォーメーション)」により、当時の日本は新しい時代を導きました。「新しい資本主義実現」では当然ながらDX(デジタル・トランスフォーメーション)が議論されています。しかしながら、そもそも「新しい資本主義実現」とは、CapXによる社会変革を導くことが本質でありましょう。

そういう意味では、新しい資本主義には新しい企業価値の定義が必要です。カーボン・ゼロ社会の実現に邁進している企業、人権を尊び搾取をサプライチェーンから排除する企業、地球の生態を守り、世界の人々の健康な暮らしを支える企業は、明らかに価値があります。ただ、この価値は必ずしも財務的な測定だけでは可視化できていない場合もあります。企業の非財務的な情報開示に留まることなく、社会的インパクトや環境的インパクトの意図を可視化する測定(メジャーメント)の検討・実践が今後、展開されることを期待しています。

人に投資する会社が生き残る

岸田総理の「新しい資本主義」の評価が市場で低いのには、理由があると思っています。それは、総理の発言の一部「市場や競争任せにせず」だけが切り取られてしまうと、いかにも大きな政府を目指す統治政策、つまり、新しい資本主義とは資本主義の有り方を否定する社会主義であることを短絡的に連想してしまうからです。

ただ、文藝春秋2022年2月号の総理の「新しい資本主義グランドデザイン」の寄稿に書いてある文章をきちんと読むと、「市場の失敗がもたらす外部不経済を是正する仕組みを、成長戦略と分配戦略の両面から、資本主義の中に埋め込み、資本主義がもたらす便益を最大化すべく」と意思表明されています。資本主義の否定ではないことが明らかです。

むしろ、環境や社会の課題という外部不経済を解決することに価値があり、その価値創造による、新しい市場や新しい競争を促すことが、「新しい資本主義」の本丸であると、実現会議の一メンバーに過ぎませんが、私は考えます。

新しい資本主義には企業価値の新しい定義も必要という討議の流れで、企業の非財務的な情報開示や社会的インパクトや環境的インパクトの意図を可視化する測定を検討するワーキンググループの設置を私から提案したところ、年が明けてから内閣府の下で「非財務情報可視化研究会」が設けられました。一橋大学の伊藤邦雄先生が座長に任命され、特に企業の人的資本の可視化について企業や投資家の有識者と議論を重ねて、夏までには報告書が作成されるスケジュールになっています。

ただ、課題があることは明らかです。日本の企業は欧米と比べて「人を大事にする」と云われてきましたが、この数十年間において、世界の中での日本企業の競争力の優位性は衰える一方です。言い換えると、日本企業が大事にしている社内の「人」の競争力が低下したという現実があるということです。そして、その原因が実は、日本企業が「人」に投資してこなかったことによるという衝撃的なデータがあります。

2010年~2014年のデータですが、厚生労働省「平成30年版労働経済の分析-働き方の多様化に応じた人材育成の在り方について」によると、日本企業の人的投資(OJTを除くOFF-JTの研修費用)は対GDP比でわずか0.10%。それに対し、米国(2.08%)、フランス(1.78%)、ドイツ(1.20%)、イタリア(1.09%)、英国(1.06%)であり、桁違いです。しかも日本の場合、同比率が1995年~1999年の0.41%からさらに低下しています。

【出典:厚生労働省「平成 30 年版労働経済の分析 ―働き方の多様化に応じた人材育成の在り方について― 」 https://www.mhlw.go.jp/wp/hakusyo/roudou/18/dl/18-1.pdf  89ページ】

昭和の成功体験となった一括採用・終身雇用・年功序列の企業慣習により、「背中を見て学べ」というOJT的な労働価値が社内で形成され、外部リソースを積極的に活用しなかったことが一因かもしれません。一方、欧米では人材の流動性が当たり前ですから、中途採用した社員の研修費なども重なっているのでしょう。

しかしながら、このデータから見えてくる実態は、日本は「人」に投資をしていなかったこと。その結果、平成を経て日本が世界で競争力を失ってしまったのは必然でした。会社内部の知見・ノウハウを刺激してレベルアップし新たな事業環境に応えるためには、外部から「触媒」の投入が不可欠です。

「人に投資しても、忠誠心がなくて辞めたらどうする」という懸念はあるでしょう。しかし、社員に一方的に忠誠心を要求することは責任の履き違いです。その会社に留まると自分は自己実現できない。自分の労働価値を高めることができない。つまり、魅力がない会社であるから社員は辞めるのです。

そういう意味で、社会における企業の真の役割とは、どこでも通用する社員を育成することではないでしょうか。これからの「良い会社」のKPIは離職率の低さではなく、逆に有能な人材を社会に輩出しているかどうか、という尺度が着眼されるかもしれません。

どこでも通じる労働価値を高めてくれる「良い会社」には、当然ながら自分の価値を常に高めることを求めている良い人材が数多く集まってきます。そのような人材が集まってくる会社は、時代の変化に機敏に反応することができて、事業モデルを常にアップデートできるはずです。

コロナ禍に加え、環境に配慮する経営が必須な時代になり、量産と破棄を繰り返して商売をしていた事業モデルの見直しを迫られている中小企業の女性経営者の言葉が印象に残りました。

「守るべきは人であって、会社ではないです。」

ただ一般的に企業経営者から聞こえてくるのは、「雇用を守るために」会社の今までの事業を継続するという声です。逆に賃金を上げると利益が圧迫されて経営が苦しくなり、リストラ等が余儀なくされ、守るべき社員が守れなくなるというロジックです。

しかし、この考え方は今の時代でも成立しているのでしょうか。終戦から高度成長期に、企業は日本社会の福祉機能を果たしていて、安定した雇用を提供することで日本人が豊かになったことに間違いありません。一括採用・年功序列・終身雇用という企業人事の慣習が適していた人口ピラミッド型社会の時代でした。

その時代が去り、およそ30年間の安かろう良かろうの時代が続き、日本人の人件費は「高い」と決して言えない世界になりました。そして一つの会社に勤めた30年間で形成された経験が、労働市場でさほど評価されない産業が日本社会では少なくありません。長年、年功序列・終身雇用にどっぷり浸かっていたので、労働市場で社員が自分の労働価値を確認する常識も乏しく、これが、日本社会の賃金上昇に蓋をしていたと言えるかもしれません。

いずれ、人的投資や賃金アップと労働市場の流動性を高めることがセットになってくると思います。そして、日本企業への長期投資家の立場から、時代に応じた変革を実現させる人的投資、賃金アップと労働市場の流動性を高めることには賛成です。単年度の「費用」という観点だけではなく、企業の長期的で持続可能な価値創造につながる「投資」としてこれらを捉える投資家が増えれば、企業の行動も変わると期待しています。

人的投資、賃金アップ、労働市場の活性化が、自分の会社にとってネガティブ要因であり、既存の事業モデルをあるがままに継続することを重視したい。会社の新陳代謝を高めることをためらっている経営者が、本当に社員をこれからも守っていけるのでしょうか。

「新しい資本主義」で政府は何をしてくれるんだということに甘んずる前に、日本の企業は自分たちの未来に向けて自ら、積極的に投資すべきではないでしょうか。日本は、極めて重要な時代の節目に立っています。

著者

渋澤 健氏

シブサワ・アンド・カンパニー株式会社 代表取締役
/コモンズ投信株式会社 取締役会長・創業者

1961年、神奈川県生まれ。87年にUCLAでMBA取得。JPモルガン、ゴールドマン・サックス等を経て、米ヘッジファンド、ムーア・キャピタル・マネジメントの日本代表に就任。2001年に独立し、同年シブサワ・アンド・カンパニー株式会社を創業。2007年コモンズ株式会社を設立し、代表取締役に就任(2008年コモンズ投信へ改名し、会長に就任)。経済同友会幹事、UNDP(国連開発計画)SDG Impact Steering Committee Group 委員、金融庁サステナブルファイナンス有識者会議委員、岸田内閣「新しい資本主義実現会議」 メンバーなどを務める。『渋沢栄一 100の訓言』、『渋沢栄一 愛と勇気と資本主義』、『人生100年時代のらくちん投資』(以上、日本経済新聞出版)、『SDGs投資 資産運用しながら社会貢献』(朝日新聞出版)、『33歳の決断で有名企業500社を育てた渋沢栄一の折れない心をつくる 33の教え』(東洋経済新報社)、『超約版 論語と算盤」(ウェッジ)など著書多数。

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