『隷従への道』にみる利己と利他~『読書大全』をひらく④

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前回のアイン・ランドの『利己主義という気概』に続いて、今回はオーストリア出身の経済学者・哲学者フリードリヒ・ハイエクが著した『隷従への道』(1944年)で、「利己」「利他」という問題について考えてみたいと思います。

隷従への道
フリードリヒ・ハイエク(著)
村井 章子(翻訳)
日経BPクラシックス

国民生活の隷従をもたらすものとは

本書は、中央計画経済は必然的に国民生活の隷従をもたらすことになるとした政治学書です。ハイエクは、ファシズム(全体主義)やナチズム(国家社会主義)は社会主義に対抗する概念であるという当時の理解を覆し、それらの本質的な同一性を明らかにしました。つまり、ファシズムやナチズムと社会主義は、国家の個人に対する優越を主張し、市場経済の代わりに中央計画経済を導入する点において同根の思想であると考えたのです。

ハイエクは、デカルト以来の理性主義を設計主義的合理主義と呼び、理性の傲慢さのもたらす危険性を問題視し、一部のエリートが主導することで、国家や社会という複雑なものを合理的に設計できるのだという中央計画経済の非現実性を批判します。同時に、マクロ経済政策による国家の市場への積極的介入を容認するケインズ政策も、同じく全体主義に至る道だとして批判しています。

ハイエクが考えた最も効率の良い市場

中央計画経済は、経済に対する政治の優越を前提としています。これに対して、ハイエクは、人間は既存の秩序を破壊して全く新しい秩序を建設できるほど賢明ではないと考え、イギリス経験論的で自然発生的な秩序の重要性を説き、参加者が自らの利益や選好に基づいて判断を下す市場こそが最も効率の良い手段だとしました。つまり、各自が一般的な基準に従いながら妥当な分け前を獲得できる体制とそれができない体制という選択ではなく、少数の計画者によって分け前が決定される体制と個人や企業によって決められる体制の選択であると考えたのです。

この点についてハイエクは、本書で次のように述べています。
「われわれの共通の倫理的規範を形作っている様々なルールはどんどん少なくなり、かつより一般的な性格のものになってきている。(中略)誰も、すべてを包括する価値尺度を持つことができない、(中略)つまり、彼がいわゆる『利己的』か『愛他的』か、ということ――も、さして重要なことではない。きわめて重要なことは、どんな人間であろうが、限られた分野以上のことを調査することや、ある一定の数以上のニーズがどれだけの緊急性を持っているかを考慮することは、不可能であるという、基本的な事実である。」

「利己」「利他」という問題~『隷従への道』にみるハイエクの思想

このように、ハイエクは、「利己的」と「利他的(愛他的)」に大差はないと考えています。すべての人に共通する包括的な倫理規範や価値尺度を想定することは現実的ではないという意味で、個人の自由と小さな政府を強調したのです。

このように全体主義に反対して個人の自由を擁護するハイエクの思想は、一般にはランドと同様に、個人的自由と経済的自由の双方を重視するリバタリアニズム(自由至上主義)と考えられています。

しかし、ハイエクは、ケインジアンだけでなく新古典派経済学やシカゴ学派が前提とする「合理的経済人」という個人像に対しても疑問を投げかけ、自分自身では「古典的自由主義者」を自称していました。

こうしたハイエクの思想は、イギリスのサッチャリズム、アメリカのレーガノミクスから日本の小泉構造改革にまで、大きな影響を与えたと言われています。

自由主義と自由市場に対する評価

新自由主義を代表するシカゴ学派のミルトン・フリードマンは、本書を20世紀末の社会主義の崩壊と市場主義の勝利を招いた名著であり、18世紀以降におけるアダム・スミス的な意味を持っていると評価しています。他方、『大転換』を著した社会経済学者のカール・ポラニーは、自由市場こそが社会秩序を脅威に直面させており、繰り返される経済不況とバブルの崩壊こそが独裁者の出現をもたらしているのだとして、ハイエクの考えを批判しています。

2021年4月に、『読書大全』という本を出版しました。人類の歴史に残る名著300冊をピックアップして、その内の200冊について書評を書いたものです。この300冊を、「第1章 資本主義/経済/経営」「第2章 宗教/哲学/思想」「第3章 国家/政治/社会」「第4章 歴史/文明/人類」「第5章 自然/科学」「第6章 人生/教育/芸術」「第7章 日本論」の7つに分けています。

この連載では『読書大全』の中から、企業の持続可能性に関わるものをピックアップして解説していきます。

著者

堀内 勉

一般社団法人100年企業戦略研究所 所長/多摩大学大学院経営情報学研究科教授、多摩大学サステナビリティ経営研究所所長

多摩大学大学院経営情報学研究科教授、多摩大学サステナビリティ経営研究所所長。東京大学法学部卒業、ハーバード大学法律大学院修士課程修了、Institute for Strategic Leadership(ISL)修了、東京大学 Executive Management Program(EMP)修了。日本興業銀行、ゴールドマンサックス証券、森ビル・インベストメントマネジメント社長、森ビル取締役専務執行役員CFO、アクアイグニス取締役会長などを歴任。 現在、アジアソサエティ・ジャパンセンター理事・アート委員会共同委員長、川村文化芸術振興財団理事、田村学園理事・評議員、麻布学園評議員、社会変革推進財団評議員、READYFOR財団評議員、立命館大学稲盛経営哲学研究センター「人の資本主義」研究プロジェクト・ステアリングコミッティー委員、上智大学「知のエグゼクティブサロン」プログラムコーディネーター、日本CFO協会主任研究委員 他。 主たる研究テーマはソーシャルファイナンス、企業のサステナビリティ、資本主義。趣味は料理、ワイン、アート鑑賞、工芸品収集と読書。読書のジャンルは経済から哲学・思想、歴史、科学、芸術、料理まで多岐にわたり、プロの書評家でもある。著書に、『コーポレートファイナンス実践講座』(中央経済社)、『ファイナンスの哲学』(ダイヤモンド社)、『資本主義はどこに向かうのか』(日本評論社)、『読書大全 世界のビジネスリーダーが読んでいる経済・哲学・歴史・科学200冊』(日経BP)
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