中小企業だからこそ実現できる持続的事業
~既存の施設や人材の有効活用が地方創生の鍵~

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関西のメディア全般で知られる、元近鉄名物広報・福原稔浩氏。鉄道のあらゆる情報に通じる博識と、広い人脈で、鉄道業界では“ボス”と呼ばれ慕われています。2021年に定年退職を迎えた後、テレビやラジオ出演をこなすなか、奈良県の文化施設の運営に転職。生粋の鉄道マンだった福原氏が、セカンドキャリアとして選んだのは、鉄道とは無縁の分野でした。その理由と、地方創生にかける熱い思いを語っていただきました。


広報の自分流の作法は「決して嘘をつかない」

福原氏は大阪の西淀川区で生まれました。阪神電車を間近に見て育ち、国鉄(当時)で全国を旅する少年時代を経て、近畿日本鉄道に就職しました。

「入社してから、異動はほぼ1年ごとにあり、駅員、車掌、運転士と多くの仕事を経験させてもらいました。違う業務に移るたびに必死に勉強しなくてはなりませんでしたが、元来、好奇心は旺盛な性格なので楽しんでいましたね。常に新入社員の気持ちで、それぞれの部署に臨んでいました」

エリートとされる助役試験に合格するなど、着実に社内でステップアップを果たした福原氏。1994年に本社広報室に配属され、それ以降の異動はなく、定年までは広報一筋で27年、関西マスコミ各紙の対応を一手に請け負いました。

仕事が目まぐるしく変わる経験と、ひとつの仕事に長年じっくり関わる経験。その両方を経て「どっちも、やり甲斐はあるし、サラリーマンの正解だと思います」といわれます。

広報業務は新車両の発表や商品開発の告知といったポジティブな内容だけでなく、近鉄沿線の事故の記者会見など、ネガティブな内容や不祥事への対応も迫られます。ときに記者からの厳しい追及を受けることもあったといいます。

「記者会見会場で強面の記者さんたちに、何時間も怒号を浴びせられたりしました。特に大変だったのは、2004年前後の近鉄球団買収騒動で、毎日、記者からの取材や問い合わせが殺到して電話が鳴りっぱなしだったこともありました。コンプライアンスのゆるい時代で、情報を取りたい記者さんたちに、自宅まで来られたこともあります。辛かったですが、思い返すと懐かしいですね。当時の記者さんの何人かは仲良くなり、いまでも交流があります」

福原氏はネガティブな情報を開示するとき、「決して嘘をつかない」ことを大切にしていました。例えば記者会見で、大事な情報を隠していると追及や批判は高まり、さらに窮地に追いやられる可能性があります。

「嘘は一時をしのげても、後で必ず裏目に出ます。生半可な保身は、近鉄を利用されているお客さんへの裏切りにもなるでしょう。嘘をつかず、ありのままを公に伝えること。私は記者会見にあたるときは、社内をくまなく調査して、いちばん悪い情報を真っ先に発表するよう心がけていました。そうした誠実な対応が、信頼の構築につながります。中小企業の運営にも通じる姿勢ではないでしょうか」

地方を活性化するロケーションサービスの発案

福原氏は、1980年代後半から地方経済が困窮していく様を目の当たりにしていたそうです。バブル経済の崩壊後、賑やかだった近鉄沿線の駅前のメイン通りから、人の往来が消え、軒並みシャッター通りへと変わっていきました。

「郊外に大型ショッピングモール建設が相次ぐ時代でもありました。お客さんの足は車が中心になり、鉄道の利用者は激減。利用者が少ない路線は運行数を減らさざるを得ず、さらに人が来なくなりました。往来のない街は、廃れていく。『弱い』ところから先に犠牲になるという、日本経済のリアルな光景を、私たち鉄道マンは複雑な思いで見ていました」

関西の厳しい地方事情を打開するために、福原氏は2011年、テレビドラマや映画のロケをサポートする、ロケーションサービスを立ち上げました。

ロケーションサービスでの仕事は、全体のコーディネーション、車両や道具の手配、スタッフやキャストのアテンドなど、多岐に渡りました。福原氏のチームの細やかなケアは好評を呼び、日本だけでなくハリウッドからも依頼が届きました。ジョン・ウー監督の『マンハント』は、大阪を舞台にしたアクション大作。現場を担当した福原氏は、ウー監督からも大きな信頼を得たそうです。

「『マンハント』の公開後はインバウンドのブームにも乗って、関西にアジアのお客さんが、どっと押し寄せました。経済効果は、億単位どころではなかったでしょうね。手探りで始めたロケーションサービスは、予想を超える二次効果、三次効果を生みました」

宣伝に代わる、場所とサポートを提供する。苦しい状況を逆手にとった近鉄のサービスは、現在の聖地巡礼ブームにつながる、地方創生の先駆けだったといえそうです。

大型テーマパークより魅力ある地域資源を再確認

近鉄を定年退職後、名物広報だった福原氏には全国から「是非わが社に」という誘いが殺到しました。古巣の近鉄からの慰留もあるなかで、指定管理会社のオファーに応じ、なら歴史芸術文化村の総括責任者に就きました。

「文化や歴史は、まったく門外漢ですので、最初はお断りしていたんです。実は私は40年以上も奈良県に住んでいる地元人。ですが仕事ばかりで、奈良県の将来を、真面目に考えたことはありませんでした。定年を過ぎて、今後の人生は、住み慣れた奈良県への恩返しに使いきろうと、転職を決心しました」

近鉄の会社規模に比べれば、現在の職場は中小企業です。しかし福原氏は、小さな組織で若いスタッフと一緒に働く、セカンドキャリアを心から楽しんでいます。

「中小企業は、働いている全員の意識が前向きなのがいいところです。実現が難しそうな企画でも、とりあえずやってみよう! やり方を考えましょう! と、前向きに取り組みます。一方、大企業は待遇では恵まれているかもしれませんが、『No』からスタートする傾向が強いでしょう。中小企業は否定されにくい環境にあり、新たなことにも取り組みやすい。緊張感はあるものの、意欲いっぱいの職場環境は、心地がよいですね。また小さな会社は、ノウハウを採り入れる柔軟性があります。私が長年の広報で培った人脈や知識を、これからは文化村の仲間たちに、すべて伝えていこうと思っています」

福原氏は総括責任者として、知名度を活かした新たな事業に取り組んでいます。今年の8月には、自身がフロントに立って“大和鉄道まつり2022”を開催。奈良県のコンベンションセンターを会場に、全国各地から8千人を動員する大イベントになりました。

「奈良県は新幹線の駅がないし、空港もありません。交通の利便性では引けを取りますが、集客施設は整っており、歴史的な遺跡や名勝も数多く、国内有数の観光地です。わざわざ地方創生に大金を投じる必要がありません。奈良は非常にわかりやすい例ですが、既存のものを活かす工夫と行動で、成し遂げられるのです」

今後の鍵は、持続性と若い世代の登用だと福原氏は提言します。 「集客イベントや企画は、立ち上げよりも、続けていくことのほうが大変です。自治体では企画チームメンバーを3年ぐらいで入れ替える傾向がありますが、外部の方でもよいので全体を長期間の視点で捉える人が必要でしょう。意欲に満ちた若い人の意見もとても参考になります。現場はもっと吸いあげるべきだと思います。若者はもちろん、子どもや孫たちが奈良の魅力を受け継いでいけるよう、私も残りの仕事人生を頑張りたいと思います」

お話を聞いた方

福原 稔浩 氏ふくはら としひろ

「なら歴史芸術文化村」総括責任者

1975年近畿日本鉄道入社。駅業務、車掌、運転士、助役などを担当後、1994年から近鉄広報部に所属。NHK「ブラタモリ」ほかバラエティ、メディア出演は多数。幅広い鉄道知識と軽妙なトークで、全国の鉄道ファンから高い人気を集める。定年退職後に「なら歴史芸術文化村」総括責任者に就任。2022年春にオープンし予想を大きく上回る来村者が訪れている。

[編集] 一般社団法人100年企業戦略研究所
[企画・制作協力]東洋経済新報社ブランドスタジオ

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