自社の強さを磨き上げ、行動し続ける老舗企業
〜職人技の価値を京都から世界に届ける〜
目次
座布団や布団づくりの技を生かしたブランド「洛中高岡屋」のプロダクトは、すべて職人の手仕事で仕上げられ、現代のライフスタイルにもマッチするものとして、ユーザーにくつろぎをもたらしています。伝統的な寝具の製造卸商から「モダン和」のブランドへ。創業100年を超える株式会社高岡はいかにして変貌を遂げたのでしょう。その挑戦について、3代目の高岡幸一郎氏に伺いました。
「寝具」「座具」から「寛具」への転換
外的環境の変化、市場構造の変化、顧客の志向の変化。企業は常にさまざまな変化にさらされています。その変化に屈することなく活路を探り、強みを生かして危機を乗り越え、100年の歴史を刻んできた企業。それが京都の株式会社高岡です。
高岡の創業は、1919年(当時は高岡商店)。老舗百貨店大丸の布団加工所として誕生しました。その歴史は長く「大丸とともにあった」といってもいいでしょう。取引先は大丸の店舗、およびその関係百貨店などです。大丸が海外に進出すればそれに合わせる形で自社の職人が加工した布団を海外店舗にも納入し、寝具の製造卸商として事業を拡張してきました。
しかし、1980年に現社長の高岡幸一郎氏が勤めていた商社を辞め、実家に戻ってきた頃、高岡を取り巻く環境は激変していました。
「百貨店の寝具売り場が和布団や座布団に加え、工場で生産される羊毛や羽毛の布団も売り始めるようになったんです。そして、チェーン展開している各地の布団の小売店との取引が強かった大手が台頭し、職人を抱える弊社のような加工所への注文は年々減っていきました」
日本のライフスタイルの洋風化はさらに進み、和室のない住居も出現するようになりました。綿入れの布団や座布団が活躍する光景が日本から徐々に失われていきました。2000年代に入ると百貨店の統廃合も進みます。寝具売り場では、大手の占有化が進みます。困難な状況の中、高岡氏は生き残りの道を探りました。
「私たちの強みはどこにあるのかを真剣に考え、たどり着いた答えが職人の技術。最もわかりやすいのが座布団でしょうか。普通の座布団は重ねることができますが、弊社のように職人が手作りする座布団は、かまぼこのように中央部がふっくらと盛り上がっているため、初めはきれいに重ねられません。それは、あえて中心部に厚く綿(わた)を入れて、使い込んでも中央部がへこまず、きれいに平らになっていくことで、いつまでも座りやすくする職人の技によるものです」
経年変化を考慮した上で技を尽くして完成に至る伝統的商品。それが高岡の座布団です。しかし、住空間の洋風化が進行する中、どんなによい製品だと訴えても使ってもらえなければそのすばらしさは伝わりません。使用シーンをいかに創出するか。高岡氏は「くつろぐ」という言葉にヒントを得ました。
「床でごろんと横になってくつろぎたいときに座布団を使いますよね。座るための道具だけではなく、ライフスタイルのさまざまなシーンでくつろぐときに使ってもらえる道具として訴求していこうと考えました」
こうして1999年に誕生したのが「くつろぐ」をコンセプトに「モダン和」を追求したブランド「洛中高岡屋」。「寝具」や「座具」から「寛具」への大胆な発想の転換は高岡を経営危機から救い出し、さらに大きく羽ばたかせていくのです。
職人の技、プライド、意地が可能にした「おじゃみ座布団」
洛中高岡屋の第1号商品は、座布団3枚分サイズの『ごろ寝用布団』。使わないとき、おしゃれに収納できるよう、ロールケーキのようにくるっと丸められるように設計した布団は職人の技の産物です。
次いで発表したのが、同社の看板商品に成長した『おじゃみ座布団』。関西で「お手玉」を意味する言葉に由来するこの座布団は、まさにお手玉の巨大版。一度見ると忘れられないインパクトのある形ですが、これは高岡氏が「もっと楽に座る方法はないか」という思いを具現化した形状にほかなりません。
「お尻を上げて座ると、背骨が自然とピンと伸びます。『おじゃみ座布団』によってこの体勢が可能になるんですよ。しかし、お手玉のような立方体に綿(わた)を均質に入れていく作業は布団や座布団のように平面に綿を入れる作業とは比べものにならないほど難しい。実現には困難を極めました」
卓越した技術と豊富なノウハウを持つ職人であっても、美しい立体になるように安定的かつ、均質的に綿を入れるおじゃみ座布団の加工は未知の作業でした。途中で「できない」という声が上がったこともありましたが、最終的には職人たちはこの難題を解決に導きます。
「ウレタンなど他の材料を使うことも考えましたが、やはり弊社の商品は布団綿を入れるのが基本。ここは曲げたくない。試行錯誤を経て、職人たちは最後に『これでどうだ』とばかりに完成させてくれました(笑)。国外で模倣品も生まれましたが、単にポリエステルを詰めただけ。コシがなく、クレームが多かったのか、すぐに販売中止になったそうです」
まねしようとしてもまねられない。実現したくてもかなわない。職人たちの技術、プライド、意地の集約が模倣品をはねのけ、おじゃみ座布団の独自性を保っています。
「寛具」で注目すべきは、客が自由に色や柄を組みわせられるカスタマイズ性にもあります。
「百貨店の売り場からは『選択肢が多いとお客様は悩む』と言われましたが、自分の好きな組み合わせを考えるとき、人はニコニコ笑顔になりますよね。部屋を好みに合わせてコーディネートするために、好きな色柄を選んで楽しい気持ちになってほしいと思いました。それに、こうしたお客様の好みに合わせて一つずつ作る作業は工場生産ではできません。カスタマイズは弊社の職人技だからこそ可能なんです」
粘り強く新規チャネルを切り拓け
販路も百貨店ばかりに頼ってはいられません。2001年に社長に就任した高岡氏は新たなチャネルを求めて、2002年に総合見本市「インテリア ライフスタイル」に初出展しました。
一番小さなブースで出展したところ手応えは良好。通販の会社、インテリアショップ、家具の販売店などが「寛具」に関心を持ち、徐々に販売チャネルは広がり始めます。今では百貨店からの売り上げは全体の10%ほど。直販や卸も含めたネットショップやカタログギフト販売等が売り上げの大半を占めています。
2011年からは海外展開もスタートしました。
「最初はドイツで開催された『imm cologne ケルン国際家具インテリア見本市』に出展し、床に座るライフスタイルとしてアピールしました。大盛況だったのでこれはいけると思ったのですが、イベントとして盛り上がっただけでビジネスにはつながらない。2年目も同様でしたので、3年目には参加する展示会をフランクフルトの見本市に変えてみました。しかし、やはり収穫はありませんでしたね」
しかし、ここで大きな転機が訪れます。参加者から「出展するのなら、フランス・パリで開催されるインテリア・デザイン関連の見本市『メゾン・エ・オブジェ』のほうがいい」とアドバイスされた高岡氏は翌年、すぐに実践。ここから海外販路が着実に花開いていきます。
「すぐに芽が出たわけではないですよ。ただとにかく諦めずに出展しました。するとこちらの本気度が来場者に伝わったのでしょう。リピーターも少しずつ増え、ビジネスに結びつく機会も現れ、トルコのホテルやスペインの日本料理店、建築設計事務所が運営するインテリアショップなどでも使用されるようになりました」
しかし、高岡氏はまだ満足していません。コロナ禍で展示会が中止になるなか、ECサイトが国内外やBtoB、BtoCを問わず、想像以上に顧客拡大のチャンスを持つと気づいたからです。
「単にモノを売るサイトではなく、実店舗で接客するような、お客様の要望や悩みを伺いながら商品を提案できるサイトに育てていく計画です。ECサイトを通して、洛中高岡屋(TAKAOKAYA)は商品価値のあるブランドだと、実感してもらえる場所にしたいですね。お客様に寄り添い、くつろげる商品を販売して、お客様に笑顔をもたらし、その笑顔をこちらにもお裾分けしてもらう、というサイクルを構築していくのが目標です」
高岡氏の柔らかな笑顔から、そのサイクルがすでに始まっていることがうかがえます。巨大小売業に連なる存在から一歩抜け出し、独自の道を切り拓いてきた高岡。その歩みには、諦めない信念からくる確かな強さがあります。
お話を聞いた方
高岡 幸一郎 氏(たかおか こういちろう)
株式会社高岡 代表取締役
1951年京都府生まれ。1974年に同志社大学経済学部を卒業後、同年に株式会社野村貿易に入社。その後、1980年に家業である株式会社高岡に戻り、入社。2001 年同社の代表取締役に就任。
[編集] 一般社団法人100年企業戦略研究所
[企画・制作協力]東洋経済新報社ブランドスタジオ