戦後の制度を守り続けた日本
~デービッド・アトキンソン氏が解く日本の「前例主義」「形式主義」
目次
凋落が指摘され続けている日本経済。復活の鍵は、はたしてどこにあるのか。そのとき、中小企業はどのような役割を果たしうるのか――。なぜ日本では世界の「常識」が通用せず、また日本人は変化を避けるのか。その背景には、東洋に根づく「前例主義」「形式主義」がある。
「常識」が通用しない不思議な国
前回、数々の「神話」への誤解を解きながら、日本経済がなぜ平成の30年間に低迷したのか、その理由として1990年代から生産年齢人口が減り始めたことを紹介しました。そのうえで、日本人はデータなどの科学的根拠に基づいて物事を判断や分析できていないと指摘しましたが、今回はなぜ日本人が合理的に思考できていないのか、その大きな背景について私なりの考え方をお話ししたいと思います。
現在の日本のように人口が減少している国では、付加価値を増やさなければ、経済がこれ以上伸びることはありません。これは断言できます。生産年齢人口が減れば、GDPを生み出す人はもちろんのこと、多額の消費をする人もいなくなるのですから。2000年前からGDPの大きさと人口の多さに一定の強い相関関係があることを考えれば、当然です。この点については、合理的に考えれば自明の理のはずですが、日本では依然として議論が戦わされています。私にはこれが不思議で仕方ありません。
たとえば、私がゴールドマン・サックスに勤めていた時代に知り合った海外の投資家と会って、「日本はこれほどにも生産年齢人口が減っている」と説明するとしましょう。すると、誰もが「じゃあ個人消費が増えないから、設備投資に力を入れて付加価値を高めないと、もはや経済は成長しないね」という趣旨の言葉を即座に返してきます。それが「常識」だからです。でも日本では、「付加価値は増やすべきか」という手前の議論が繰り広げられている。じつに奇妙な現象です。
とくに問題だと思うのは、大学を卒業するなどそれなりの教育を受けて、有名な大企業で勤めている人までもが、そうした「常識」に対して異論を唱えたり、俗説や愚論を平気で口にしたりすることです。そして、その異論や俗論を口にするだけで、誰も何も変えようとしない。反論されても、海外と違って、日本は生産性も経済も30年間ほぼ成長していない事実がありますので、説得力はないはずです。
これは他の国と比較しても、日本の特徴の一つと言えるかもしれません。もちろん、日本の教育の水準が際立って低いという事実はありません。では、なぜそうした現象が起きるかと言えば、私なりに考えると東洋文化の影響があると考えています。
とにかく「型」を守る日本人
東洋文化の特徴を考えたとき、その基本は「形式主義」にあります。たとえば、日本の神社のお祭りでは、「滞りなくお祭りができました」という挨拶がありますね。「滞りなく」という言葉が象徴的で、これはつまり、「形どおり」に実行することを重んじでいるわけです。形どおりに催行することに意味があるということです。私は、これこそが東洋の文化のもっとも大きな特徴と認識していますが、さらに遡れば、これはもともと中国の考え方だそうです。
中国の皇帝にとっては、広大な土地や多様な民族を支配するうえで、決まりごとを忠実かつ完璧に繰り返すことが、国家の安泰へとつながるとされていたそうです。だからこそ、皇帝が道徳心を備えて、断じて怠けることなく、決まった時間に決まった順番で失敗することなく儀式を行なうことが、国の安定的な繁栄につながると考えられたそうです。
別にその文化を否定するつもりはありません。しかし、それを経済に持ち込むとどうなるかを指摘したいと思います。
私はお茶を習っていますが、古典的な日本文化はすべからく「型」を大切にします。型がなければ応用もないというわけで、その考え方自体は重要です。しかし、型だけは伝わっているが、その精神が伝えられていないことは多いです。「なぜそうなっているのか」を疑問視しても、「昔からそうしているから、その型どおりにやりなさい」と言われます。すると、その型を守ることが目的化して、なぜその型を守るべきかは忘れられることが多いです。
私が問題だと指摘しているのは、いまでは多くの日本人が型を守ることのみに執着していることです。その型を疑ったり、破ったりしようとしない。現に現在の日本では、いかなる分野でも前例を踏襲するべきという考え方が圧倒的に強いのではないでしょうか。
形式主義は前例主義へとつながります。そしてその結果として、日本ではミスを嫌ってチャレンジしない風土が生まれてしまいがちです。ですから現在、それぞれの会社には、とうの昔に意味がなくなったにもかかわらず、そして誰もが理由さえ説明できないにもかかわらず、続けている習慣があるでしょう。いつしか手段と目的が逆転して、成果よりもミスをしないことや続けること自体が目的と化したからこそ、思考が停止して無意味な習慣が続いているのです。
戦後の制度をいつまで続けるのか
現在の日本社会の制度は、その大半が戦後に始まったものです。年金、最低賃金、労働組合、年功序列、そして終身雇用……。もちろん、当時としては正しい制度だったのでしょう。当時の経済情勢に対応するべく、つくられた型ですが、多くの人にとっては、今となって、その型は文化となって、ただ単に守るべきものとなっています。
客観的に見るならば、それが現在にも通用すると考えるほうがおかしい。あくまでも、いずれも戦後の経済情勢などに沿って設計された制度です。当時は製造業が中心であり、なおかつ人口が増えている時代でした。
今は経済の競う条件は違います。人口減少、少子化、高齢化の社会になっているので、その当時にできた制度はいまの経済情勢に合っているかどうかを再検証するべきです。
たとえば、いまの年金制度は確定給付型ですが、これは要するに、給付を受け取る世代がもらえる金額が先に決まっていて、その総額を現役世代で均等に割って用意する仕組みです。この制度が成り立つのは、若い世代が増えて、給付を受け取る世代がさほど長生きしない時代であることが前提です。たしかに、以前の日本のようにその条件が満たされているのであれば、何の問題も起きないでしょう。
しかし、納税者が減り、平均寿命が延びて国民が高齢化していく時代において、確定給付型の年金制度は成り立ちません。私に言わせれば、とうの昔に見直したり止めたりするべきだったにもかかわらず、いまも制度が続いている。以上で申し上げた私の説にのっとれば、形式主義の国である日本では、確定給付型の年金制度は断じて守るべきだという理屈がまかり通っているのです。現に多くの人が年金に対する不満を口にしていますが、確定給付型を見直すべきという議論は巻き起こっていないでしょう。
年金の話はあくまでも一例で、ことほど左様に日本では多くの制度が戦後の人口増加時代にマッチするように設計され、それが現在に至るまで守られ続けてきました。そして遺憾なことに、経営者も当時の感覚から脱却できていないように思います。人口が増加していたころは、消費する世代も増えていったので放っておいてもモノはさらに売れるし、だからこそ終身雇用で人を雇っても経営が成り立ちました。言うなれば、さほど頭を使わなくとも黙っていれば会社は儲かる時代だったのです。国家としても、各企業が終身雇用や年功序列の方針を堅持していても不都合はありませんでした。
形式主義で失われた技術
形式主義には大きなデメリットがあって、それは検証能力や調査能力、分析能力、論理的思考などの技術を培うことができないことです。変化を不必要とする考え方であり態度ですから、いま守っている型の由来や理由を尋ねるのは、もっとも無意味な質問となります。「なぜそうなっているか」に対して「そうなっているからそうなっている」と返事しか来ません。何をおいてもその型を守ることが最優先とされて、それを改善したり異議を唱えたりすることは求められません。
だからこそ、日本の学校では現在も暗記主義が基本であり、問いを立てたり議論を展開したりする能力は養われないのです。そしていまでは、時代の変化についていけない人材ばかりが輩出されている。私自身、日本に来てからの30年間で、物事を検証して疑問点を投げかけるタイプの人間が、組織のなかではもっとも嫌われるのだと実感しました。変化を求めない人にとっては、「水を差された」と思うのでしょう。
ただし、すでに申し上げたように、「型」として守っている制度が日本社会の変化とマッチしなくなっているいま、そのような態度は許されません。これから求められる能力は、型を疑い、制度を考え直して、時代の変化に合う新しい型をつくることです。日本で言うならば、人口が減少する時代に機能する仕組みを構築し直さなければいけません。そのためには、すべての制度を変えるくらいの気概が必要になるでしょう。
経済学そのものはずっと続いてきた人口増加を基軸にしています。それを一から再検証しないといけませんが、現行の経済学という型を守る特徴を抱えている国が世界に先行して人口減少に突入したことは大きな不幸だと思います。結果として、人口減少社会に求められる経済政策をつくることができずに、30年間も経済が停滞することにつながっています。
日本は、形式主義で培われてこなかった検証能力や調査能力、分析能力、論理的思考をベースの技術として身につけなければ、これからの時代には通用しません。そのためには、教育だって即座に見直さなければいけないでしょう。この点に関しては、多くの日本人が現実を直視したうえで、日本社会全体が取り組まなければいけない大きな課題として自覚するべきです。
著者
デービッド・アトキンソン 氏
株式会社小西美術工藝社社長
1965年、英国生まれ。オックスフォード大学「日本学」専攻。1990年、来日。1992年にゴールドマン・サックス入社。2007年に退社し2009年に国宝・重要文化財の補修を手掛ける小西美術工藝社入社、2011年、同会長兼社長に就任し、日本の伝統文化を守りつつ伝統文化財をめぐる行政や業界の改革への提言を続けている。主な著書に『デービッド・アトキンソン 新・観光立国論』 (山本七平賞、不動産協会賞受賞)、『日本人の勝算 人口減少×高齢化×資本主義』(いずれも東洋経済新報社)他多数。
[編集協力] 株式会社PHP研究所 メディアプロモーション部/写真撮影:鶴田孝介